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EXTRA SMALL PLEASE! -ミラノ1- 1987.6.2~5
宿舎兼会議場 ジョリー・プレジデント・ホテル
ミラノ到着は夜の9時。リラを求めて銀行を捜すが全てクローズド。銀行窓口周辺はカービン銃をぶら下げた女性警官がうろ、うろ。タクシーの運ちゃんにポンドでも良いか?と聞いても意味が通じない。ええい!なるようになれ、とタクシーに乗り込む。荒っぽい運転にひやひやしながら、無事Jolly President Hotelに到着。両替してくるから待っていろ、と言うと意味が通じたらしく一安心。
(左)ミラノの象徴 DUOMO (右)135を数える尖塔群
ミラノと言えば、イタリア・ゴシックの代表的建造物であるDUOMO(ドウオーモ)とその広場がシンボル。1386年に起工し19世紀に完成。尖塔の数は135を数え、見上げると一つ一つの像の表情が実に繊細に異なり威圧感を与えると共に、一揺れあればどうなるか、尖塔が今にもまっ逆さまに襲い掛かってくるような恐怖感にも襲われる。広場の階段には沢山の市民が腰をかけ、ある者は鳩と戯れている。
(左)ドウモ広場に面したGalleria Vittorio EmanueleⅡ通り (右)スカラ座と広場
Duomo広場を起点にGalleria Vittorio EmanueleⅡのアーケードがのびており、イタリアンモードがここから発せられる。ガラス張りの天井、十字型に伸びるこのアーケードは現代の都市開発でもその変形が多数採用されている。アーケードの一方の出口はオペラの殿堂スカラ座のあるスカラ広場に通じている。
(左)サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会 (右)食堂跡から発見された「最後の晩餐」
Duomo広場から北西に歩くと、サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会がある。1465年から1490年にかけて建設され、修道院食堂からレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の大壁画が発見され、世界的に有名になった教会である。左右8m、天地4mの壁画は、薄暗い照明に照らし出され幻想的な雰囲気を醸し出している。
スフォルツェスコ城
教会から北東に少し歩くとスフォルツェスコ城に出会う。先程の教会とほぼ同時期にブラマンテやダ・ビンチの手で完成されたこの城は近代城塞として有名らしい。夕方までのほぼ一日を徒歩で街見物。
Galleria Vittorio EmanueleⅡ通り
しかし、大切な使命がまだ残っている。ミラノファッションの最先端を日本に持ち帰らねばならないのである。街見物の合間に街角の沢山のブティックに足を踏み入れたので、街見物はミラノファッションの勉強と言っても過言ではない。夏を間近に控えた店頭のファッションは当然夏物である。原色の大胆なデザイン、大きな開口部、そして何よりもやや大きめのサイズ。特に肩幅はまず日本人女性には合わないだろうと思われる。英国なら子供服売り場に行く必要があるが、ここはイタリア。少しはましである。高級ブランド品は端から論外で、適当なお土産になるものがきっとあるはず。が、結局夕刻になってタイムアウト。
最近のベネトン・ファッションより(当時のティーンズファッションとは異なる)
とりあえずイタリアのティーンズ・ファッション専門店「ベネトン」(その後、急速にヤングアダルト向けファッションで世界制覇するが)で、うちの娘(会社の娘)はこれ位の背丈でと汗をふきふき説明。かなり大胆なデザインのものを若い女店員が次から次と持ってくる。日本ではこんなの誰も着ないよ!と説明して、結局オリジナルカラーの一番おとなしいT-シャツとパンツに決定。しかし、この店員まだ解放してくれない。同色のインナーウェアもあるからと、かわいいのを持ってくる。わしゃ、娘のサイズは知らん!とほうほうの体で逃げ出した次第。疲れを倍増させる買物であった。
今宵は世界ガス連盟(IGU)の歓迎レセプション。ホストはイタリア最大のエネルギー会社・SNAM。例のマラソンディナーの始まり!始まり!
EXTRA SMALL PLEASE! -ミラノ1- 1987.6.2~5
宿舎兼会議場 ジョリー・プレジデント・ホテル
ミラノ到着は夜の9時。リラを求めて銀行を捜すが全てクローズド。銀行窓口周辺はカービン銃をぶら下げた女性警官がうろ、うろ。タクシーの運ちゃんにポンドでも良いか?と聞いても意味が通じない。ええい!なるようになれ、とタクシーに乗り込む。荒っぽい運転にひやひやしながら、無事Jolly President Hotelに到着。両替してくるから待っていろ、と言うと意味が通じたらしく一安心。
(左)ミラノの象徴 DUOMO (右)135を数える尖塔群
ミラノと言えば、イタリア・ゴシックの代表的建造物であるDUOMO(ドウオーモ)とその広場がシンボル。1386年に起工し19世紀に完成。尖塔の数は135を数え、見上げると一つ一つの像の表情が実に繊細に異なり威圧感を与えると共に、一揺れあればどうなるか、尖塔が今にもまっ逆さまに襲い掛かってくるような恐怖感にも襲われる。広場の階段には沢山の市民が腰をかけ、ある者は鳩と戯れている。
(左)ドウモ広場に面したGalleria Vittorio EmanueleⅡ通り (右)スカラ座と広場
Duomo広場を起点にGalleria Vittorio EmanueleⅡのアーケードがのびており、イタリアンモードがここから発せられる。ガラス張りの天井、十字型に伸びるこのアーケードは現代の都市開発でもその変形が多数採用されている。アーケードの一方の出口はオペラの殿堂スカラ座のあるスカラ広場に通じている。
(左)サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会 (右)食堂跡から発見された「最後の晩餐」
Duomo広場から北西に歩くと、サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会がある。1465年から1490年にかけて建設され、修道院食堂からレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」の大壁画が発見され、世界的に有名になった教会である。左右8m、天地4mの壁画は、薄暗い照明に照らし出され幻想的な雰囲気を醸し出している。
スフォルツェスコ城
教会から北東に少し歩くとスフォルツェスコ城に出会う。先程の教会とほぼ同時期にブラマンテやダ・ビンチの手で完成されたこの城は近代城塞として有名らしい。夕方までのほぼ一日を徒歩で街見物。
Galleria Vittorio EmanueleⅡ通り
しかし、大切な使命がまだ残っている。ミラノファッションの最先端を日本に持ち帰らねばならないのである。街見物の合間に街角の沢山のブティックに足を踏み入れたので、街見物はミラノファッションの勉強と言っても過言ではない。夏を間近に控えた店頭のファッションは当然夏物である。原色の大胆なデザイン、大きな開口部、そして何よりもやや大きめのサイズ。特に肩幅はまず日本人女性には合わないだろうと思われる。英国なら子供服売り場に行く必要があるが、ここはイタリア。少しはましである。高級ブランド品は端から論外で、適当なお土産になるものがきっとあるはず。が、結局夕刻になってタイムアウト。
最近のベネトン・ファッションより(当時のティーンズファッションとは異なる)
とりあえずイタリアのティーンズ・ファッション専門店「ベネトン」(その後、急速にヤングアダルト向けファッションで世界制覇するが)で、うちの娘(会社の娘)はこれ位の背丈でと汗をふきふき説明。かなり大胆なデザインのものを若い女店員が次から次と持ってくる。日本ではこんなの誰も着ないよ!と説明して、結局オリジナルカラーの一番おとなしいT-シャツとパンツに決定。しかし、この店員まだ解放してくれない。同色のインナーウェアもあるからと、かわいいのを持ってくる。わしゃ、娘のサイズは知らん!とほうほうの体で逃げ出した次第。疲れを倍増させる買物であった。
今宵は世界ガス連盟(IGU)の歓迎レセプション。ホストはイタリア最大のエネルギー会社・SNAM。例のマラソンディナーの始まり!始まり!