Anchor

旅行記、世相独言

カーネーションとフラメンコ -マドリード&トレド-(異文化体験9 カディスの赤い星の旅5)

2010年11月10日 20時53分01秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

カーネーションとフラメンコ -マドリード&トレド-  1987.6.5~7

 3方を川に囲まれたトレドの街
 

      
エル・グレコ作(左)トレドの街 (右)代表作「Nobleman with his hand on his chest」

 マドリードの南72kmにある6世紀以降1000年にわたるスペインの首都、トレド。中世の都市には3つの要素があるという。城壁、教会、そして市場。都市の周囲の城壁は軍事的防御の役割、都市の中心の教会は精神的支柱、市場は商工業の中心となったようだ。

  
(左)トレドツアーの切符     (右)そびえ立つ城壁の上には澄渡った青空が

    
(左)トレド大聖堂(Santa Iglesia Catedral Primada)   (右)入場チケット

 ローマ時代からの歴史を持つこの小高い丘の上の都市は、3方をタホ川に囲まれ、なお且つ城壁にも囲まれ、90mの鐘楼を持つCatedralが中央に配置され、エル・グレコが1577年から没するまでの37年間を過ごした都市である。澄渡った青い空に白い城壁がまぶしく映えている。スペイン革命時にはフランコ軍が街に立てこもって戦ったという。


   
    タブラオ「Cafe De Chinitas(カフェ・ド・チニタス)」(店のパンフより)

 マドリードに戻り、ENAガスのおじさんお勧めの「Cafe De Chinitas(カフェ・ド・チニタス)」に予約を入れ、夕闇迫る夜の10時頃にタブラオを訪ねる。
 店奥の舞台の両脇に食事テーブルがあり、舞台前方にはカクテルテーブルが店の入口近くまで配されている。左隣はアメリカの中年夫婦、右隣はイタリアの新婚カップル。食事は豪華にとM君がじゃんじゃん注文、それを両隣があっけにとられて見ている。

 午後11時からショーが始まる。最初は駆け出しの若い女性グループの踊り、徐々に真打に近づいていくのは、どのエンターテイメントの世界でも共通。

   
  早い時間帯はまだ駆け出しのグループ(写真)、真打の踊りには写真を撮るのも忘れる迫力が・・・

 フラメンコが今日的舞踏形式になったのは19世紀の初めの頃。元来ジプシーはカンテ・ホンド(深い歌)という物悲しい民謡を持っていたが、踊りは伴っておらず、アンダルシア地方の踊りとジプシーの歌が一緒になって、ジプシーが創作した一種の表現形式と言われている。

 この裾捌きが国花カーネーションのように見える


 フラメンコの最盛期は19世紀末で各地に現在のタブラオの前身であるカフェ・カンタンテというフラメンコを視聴させる酒場が続々と出来たようだ。フラメンコのスカートの裾捌きはスペインの国花であるカーネーションを表現している。
 真打に登場してきたのは、まだ若そうな小柄な女性である。男踊りの黒衣が見事な身体の線を作り出し、力強く打ち出すステップの音と手拍子。吸い込まれそうな黒い目、そして流れるような黒髪。

 気がつくと午前2時をかるく過ぎている。夜に弱いM君もこの夜だけは特別だったようだ。深夜の街はまだまだ人通りの絶えないマドリードの夜である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする