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YESか、NOか -ジョホール・バール- 1988.11.25
1038mのジョホール水道 水道管も併設されている
マレー半島最南端の町、マレーシアのジョホール・バール。シンガポールとは全長1038mのジョホール水道を隔てて向かい合っている。市街地に入ると極めてイスラム色が強くなり、手描きのろうけつ染の絨毯売りがあちこちの木陰で店を出している。
手書きのろうけつ染め
かつてジョホール州を治めたサルタン、アブ・バカールが1866年に建てた壮麗なサルタン王宮は、50haもの美しい庭園に囲まれ、緑の芝生に黄金色の建物が映え、ジョホール水道を見下ろすビクトリア調宮殿は圧巻である。
アブ・バカール・モスク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b7/87de32839632f0148f4704fdcd5180d9.jpg)
(左)イスタナ・ブザール (右)ジョホール州政府庁舎
シンガポールからジョホール・バールに至る道筋に、フォード自動車の工場跡地で今はブリジストンの工場になっている所がある。
ここが、かつて日本軍のシンガポール侵略の際、山下将軍が英軍の将校パーシヴァルに対し、一か八かの降伏を「YESか、NOか」と迫った場所だそうである。この話は有名な話であるが、後年、実際は降伏の意思の有無を訊く為であって恫喝の類ではなかったとされている。
山下将軍とパーシヴァル(Percival)との会談(Wikipediaより)
我々の知らない戦争秘話が現地では語り継がれ、バスの中で改めて現地ガイドから聞くと、我々の世代の戦争に対するある意味での責任を感じざるを得ない。
今回の旅の目的は「大阪に世界貿易センター(WTC)」を作るための下調べである。
一都市に一つの「世界貿易センタービル」が認められており、実現すれば東京浜松町の世界貿易センタービルに次いで日本で2番目となる。
ソウル、台北、シンガポール、メルボルン等、アジア・オセアニア地域の世界貿易センター(WTC)を視察し、大阪WTCの参考とするものである。
このWTCという称号は、自由に使えるものではなく、本部がニューヨークにある世界貿易センターで「クラブ組織」となっており、WTC of Osaka(WTCO)が入居することで、その建物がWTCビルという称号が晴れて使えるようになっている。
大阪市南港に建設予定のこのビルは、建物(ハード)が港湾局、WTCO(ソフト)は経済局と、両局が協力して建設するもので、今回の出張はその推進協議会のメンバーによる調査活動の一環である。
YESか、NOか -ジョホール・バール- 1988.11.25
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マレー半島最南端の町、マレーシアのジョホール・バール。シンガポールとは全長1038mのジョホール水道を隔てて向かい合っている。市街地に入ると極めてイスラム色が強くなり、手描きのろうけつ染の絨毯売りがあちこちの木陰で店を出している。
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かつてジョホール州を治めたサルタン、アブ・バカールが1866年に建てた壮麗なサルタン王宮は、50haもの美しい庭園に囲まれ、緑の芝生に黄金色の建物が映え、ジョホール水道を見下ろすビクトリア調宮殿は圧巻である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/62/fb6faf71e000f627a85b06baeeafd580.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b7/87de32839632f0148f4704fdcd5180d9.jpg)
(左)イスタナ・ブザール (右)ジョホール州政府庁舎
シンガポールからジョホール・バールに至る道筋に、フォード自動車の工場跡地で今はブリジストンの工場になっている所がある。
ここが、かつて日本軍のシンガポール侵略の際、山下将軍が英軍の将校パーシヴァルに対し、一か八かの降伏を「YESか、NOか」と迫った場所だそうである。この話は有名な話であるが、後年、実際は降伏の意思の有無を訊く為であって恫喝の類ではなかったとされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/15/efaaeca93e3c09aafd7d40525fc65856.jpg)
我々の知らない戦争秘話が現地では語り継がれ、バスの中で改めて現地ガイドから聞くと、我々の世代の戦争に対するある意味での責任を感じざるを得ない。
今回の旅の目的は「大阪に世界貿易センター(WTC)」を作るための下調べである。
一都市に一つの「世界貿易センタービル」が認められており、実現すれば東京浜松町の世界貿易センタービルに次いで日本で2番目となる。
ソウル、台北、シンガポール、メルボルン等、アジア・オセアニア地域の世界貿易センター(WTC)を視察し、大阪WTCの参考とするものである。
このWTCという称号は、自由に使えるものではなく、本部がニューヨークにある世界貿易センターで「クラブ組織」となっており、WTC of Osaka(WTCO)が入居することで、その建物がWTCビルという称号が晴れて使えるようになっている。
大阪市南港に建設予定のこのビルは、建物(ハード)が港湾局、WTCO(ソフト)は経済局と、両局が協力して建設するもので、今回の出張はその推進協議会のメンバーによる調査活動の一環である。