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旅行記、世相独言

春のアオスタ渓谷 -ミラノ-(異文化体験17 ミラノ・イベント準備の旅1)

2011年10月06日 11時30分33秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

春のアオスタ渓谷 -ミラノ-  1994.4.24~4.30
 
 マンションで顔を洗いつつ、何か胸騒ぎがする。ひょっとして、とフライトを確認すると案の定13:00成田発。時既に11時過ぎ。3時(15時)と13時を間違えていた。こりゃ、しまった!ととりあえず大急ぎで都心のマンションを飛び出し、タクシーに飛び乗る。日曜日とあって比較的道路は空いている。幸運にも12時40分に成田着。搭乗手続きは終わっているが無理を言い、胸に飛行機のワッペンをつけてもらって出国ゲートをくぐり、搭乗ゲートに向かう。まだ、10分あるのを確認して免税煙草を買い、搭乗ゲートに着くとほとんどの人が機内に入り、同行のM君が一人待ってくれている。そ知らぬ顔で『ご苦労様』と声を掛け、機内に。

 ミラノの名門「プリンシペ・ディ・サヴォイア・ホテル」

 フランクフルト経由でミラノの最高級ホテル「プリンシペ・ディ・サヴォイア・ホテル」に着いたのは、深夜。
今回の旅の目的は6月にミラノで開催される世界ガス会議の諸々の下準備である。

 アオスタへの道中、春のアルプス山麓

 翌25日は時差解消も兼ねて、イタリア北部・アルプスの麓のアオスタ渓谷に行くことに。事務局サポートのI氏も加わり、今回の会議で多数のベンツの調達を依頼している地元のハイヤー会社を営むファビオ氏が、自ら運転するベンツで我々をホテルに出迎えてくれる。

 
(左)ヴァッレ・ダオスタ州の州都「アオスタ」の街 (右)初代ローマ皇帝アウグストスが造ったアウグストス凱旋門(Wikipedia)

 あいにくの曇空の下、「アオスタ」へは時速140~150kmのスピードで約2時間半のドライブ。ヴァッレ・ダオスタ州の州都であり、2000年前のローマ時代の面影を今なおそのままに伝えている。初代ローマ皇帝アウグストスが造ったと伝えられるこの街にはアウグストス凱旋門、円形劇場跡、プレトリア門等が当時を偲ばせる。

 ウィンタースポーツの拠点「クールマイヨール」近郊の景色

 周囲は4000m級の山々が迫り、4月下旬ではまだ残雪があちこちの山肌に厚く残っている。少し山側に行ったスキーや登山の拠点「クールマイヨール」の小さな村「ラパリュ」のレストランで軽い昼食を取る。立派な髭を蓄えたアラブ人のファビオに歳を聞くと、何とまだ30歳。どう見ても40歳以下には見えないが、まだ独身とか。

 
(左)ラ・パリュのレストランにて (右)イタリアからフランスへ、アルプス越えケーブルカーの拠点(参考写真)

 昼食後、山上方面にケーブルカーが動いているのを見て案内板を見ると、なんと!ここからケーブルカーやロープウエイを乗り継いでモンテ・ビアンコ(モンブラン)の真横を通ってアルプスを越え、フランスのシャモニーまで行く事が出来るようだ。

     
(左)伊側ラ・パリュからエルブロンネルへ (右)仏側エルブロンネルからエギュ・デュ・ミディ経由シャモニーへ
(赤線は氷河スキーコース、黒線がケーブルカー、ゴンドラルート)

 しからば、ちょっと乗ってみよう!と、ファビオに出発の時間を確認し、往復切符を買ってケーブルカーに乗り込む。小生とM君は一応厚手のセーターを持参してきたが、I氏は背広姿のまま。1370mのラパリュから2173mのパヴィロンへ、更に3375mのトリノ小屋へとケーブルカーを2つ乗り継いだが、辺りの視界は全くゼロ。乗り込んで来る人は大人も子供も防寒具に登山靴と本格装備。2つ目のケーブルカーを降りて、人の気配のない展望台に立つと横殴りの雪に凍えるような寒さ。ガスの合間から剥き出しの黒い岩肌と真っ白な積雪の山々が見え隠れする。岩ツバメが我々をあざ笑うかのように、頭上を生き生きと飛び交っている。こりゃたまらん!と着いたばかりのケーブルカーにまた乗り込んでラパリュに下山する。車窓からは野生のカモシカが見える。

 
(左)春4月のラ・パリュを出発     (右)ガスと寒さでこりゃたまらん!岩燕があざ笑っている。

 
(左)こんな格好では、馬鹿な日本人と思われているだろう  (右)天気が良ければこんな景色が。

 6月にはきっともう一度チャレンジするぞ、岩ツバメ君!!


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