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マドリード、僕は大学教授?-マドリード- 97.07.23―07.25
真夏のスペイン、いまいち気の進まない女房殿を伴ってアンダルシアの旅に出かけた。昨年の豪華なイタリア個人旅行と違って今回はグループ旅行。それはそれなりに楽しみ方があろうというもの。夏のアンダルシアだけに暑さが気にかかるところである。
(左)「血と金の旗」と言われるスペイン国旗 (右)今回の宿舎「アグマールホテル」
関空からマドリードへは、アムステルダム経由KLMオランダ航空を利用。お昼に関空を飛び立ち、午後10時前にバハラス国際空港に到着。ホテルはアトーチャ駅に近いアグマール・ホテル。アトーチャ駅はアンダルシア等、南部方面の列車が発着する駅で、このホテルになったとか。明日は午前に市内観光、午後はオプションのトレド観光である。
今回が3度目のスペイン。初めて来た時は、10年前の1987年。イベリア航空がIATA(国際航空運送協会)にまだ加盟しておらず、日本―欧州のラウンドチケットではスペインに入れず別途料金を払ってマドリード入りをした記憶がある。その時スペインは物価も安く、間違いなく新たな観光地として脚光を浴びるだろうと確信したが、10年後の今日、その確信は現実のものとなった。
(左)スペイン広場のセルバンテス像、後ろはプラザホテル (右)ドン・キホーテとサンチョパンサ像
観光のスタートは、初回訪問時に泊まったプラザ・ホテルの前に広がるスペイン広場。騎士道物語に心酔するドン・キホーテとお供のサンチョ・パンサの像、さらにそれを見下ろすミゲル・デ・セルバンテス像がある。彼が「ドンキホーテ」を書いたのは1605年、聖書に次ぐベストセラーと言われている。
ブルボン朝初代国王フェリペⅤ世が命じ1764年に竣工した王宮、フェリペ3世の騎馬像が立つかつての街の中心マヨール広場、マヨール広場に代わって19世紀から市の中心となったプエルタ・デル・ソル、グランビア通り周辺の主要な観光の後、プラド美術館へ。
(左・右) 街の中心部の賑わい、今日は暑くなりそう!
市の中心となるプエルタ・デル・ソル(太陽の門)
世界3大美術館に数えられるプラド美術館。古典絵画の宝庫であり、盗品や剥奪品がない点が他の美術館とは違う!とスペイン人は自慢するが、本当はどうなのか?
エル・グレコ、ベラスケス、そしてゴヤに至るスペイン絵画が堪能できる。更にラファエロやルーベンス等の名作も数多く展示されていて、とても短時間に見れたものではない。前回来た時は日曜日でもあり足が棒になるまでタップリ名画鑑賞を行ったのを思い出す。
(左)プラド美術館入場券(500ペセタ=400円程) (右)公式ガイドブック(英語版293頁)
ゴヤ(1746生)専制主義下の異端尋問所から追及を受けた「裸のマハ」とその姉妹作「着衣のマハ」(Wikipediaより)
パエリャの昼食後は、トレド観光。これは次回ブログで紹介するとして、夕刻マドリードに戻って、今回のツアーでは夕食はフリー。
ツアーの昼食は早速パエリャ
沢山のプランが旅行会社から出ているが、出来るだけ自由度の多いプランを選んだ結果である。ガイドブックの調べとホテルで評判を聞いた結果、「Botin ボティン」というヘミングウェイが足繁く通ったと言う創業1725年の由緒あるレストランに決定。名物料理は仔豚の丸焼きと書いてある。
(左)マドリードで知らぬ人がいないと言うボティン (右)名物料理の仔豚の丸焼き
ギネスが認定した世界で一番古いレストラン(1725創業)
Botinにて
宵っ張りのスペイン人と違って早い夕食の日本人。お店に行くとお客はまだ2,3組。名物料理にトライしたいが二人ではヘビー過ぎる、ウェイターに相談するとハーフ・ポーションもあるので是非とのこと。「では、それ!」と即決。
我々のテーブルの斜め向いに一人の日本人青年が一人で食事をしている。話しかけると旅行中とのこと。この店は一応高級スペイン料理店ということになっているので、「豪華な旅行だね」と言うと、彼は「今日が旅行最終日で、寂しく一人豪華ディナーです」と、はきはきと答えてくれる。スペインのこと、大学生活のこと等を話していると、学生君が何を思ったか「ひょっとして大学の教授ですか?」との発言に、女房も大笑い。
小生がそんなに品格があるように見えたのかなあ???
マドリード、僕は大学教授?-マドリード- 97.07.23―07.25
真夏のスペイン、いまいち気の進まない女房殿を伴ってアンダルシアの旅に出かけた。昨年の豪華なイタリア個人旅行と違って今回はグループ旅行。それはそれなりに楽しみ方があろうというもの。夏のアンダルシアだけに暑さが気にかかるところである。
(左)「血と金の旗」と言われるスペイン国旗 (右)今回の宿舎「アグマールホテル」
関空からマドリードへは、アムステルダム経由KLMオランダ航空を利用。お昼に関空を飛び立ち、午後10時前にバハラス国際空港に到着。ホテルはアトーチャ駅に近いアグマール・ホテル。アトーチャ駅はアンダルシア等、南部方面の列車が発着する駅で、このホテルになったとか。明日は午前に市内観光、午後はオプションのトレド観光である。
今回が3度目のスペイン。初めて来た時は、10年前の1987年。イベリア航空がIATA(国際航空運送協会)にまだ加盟しておらず、日本―欧州のラウンドチケットではスペインに入れず別途料金を払ってマドリード入りをした記憶がある。その時スペインは物価も安く、間違いなく新たな観光地として脚光を浴びるだろうと確信したが、10年後の今日、その確信は現実のものとなった。
(左)スペイン広場のセルバンテス像、後ろはプラザホテル (右)ドン・キホーテとサンチョパンサ像
観光のスタートは、初回訪問時に泊まったプラザ・ホテルの前に広がるスペイン広場。騎士道物語に心酔するドン・キホーテとお供のサンチョ・パンサの像、さらにそれを見下ろすミゲル・デ・セルバンテス像がある。彼が「ドンキホーテ」を書いたのは1605年、聖書に次ぐベストセラーと言われている。
ブルボン朝初代国王フェリペⅤ世が命じ1764年に竣工した王宮、フェリペ3世の騎馬像が立つかつての街の中心マヨール広場、マヨール広場に代わって19世紀から市の中心となったプエルタ・デル・ソル、グランビア通り周辺の主要な観光の後、プラド美術館へ。
(左・右) 街の中心部の賑わい、今日は暑くなりそう!
市の中心となるプエルタ・デル・ソル(太陽の門)
世界3大美術館に数えられるプラド美術館。古典絵画の宝庫であり、盗品や剥奪品がない点が他の美術館とは違う!とスペイン人は自慢するが、本当はどうなのか?
エル・グレコ、ベラスケス、そしてゴヤに至るスペイン絵画が堪能できる。更にラファエロやルーベンス等の名作も数多く展示されていて、とても短時間に見れたものではない。前回来た時は日曜日でもあり足が棒になるまでタップリ名画鑑賞を行ったのを思い出す。
(左)プラド美術館入場券(500ペセタ=400円程) (右)公式ガイドブック(英語版293頁)
ゴヤ(1746生)専制主義下の異端尋問所から追及を受けた「裸のマハ」とその姉妹作「着衣のマハ」(Wikipediaより)
パエリャの昼食後は、トレド観光。これは次回ブログで紹介するとして、夕刻マドリードに戻って、今回のツアーでは夕食はフリー。
ツアーの昼食は早速パエリャ
沢山のプランが旅行会社から出ているが、出来るだけ自由度の多いプランを選んだ結果である。ガイドブックの調べとホテルで評判を聞いた結果、「Botin ボティン」というヘミングウェイが足繁く通ったと言う創業1725年の由緒あるレストランに決定。名物料理は仔豚の丸焼きと書いてある。
(左)マドリードで知らぬ人がいないと言うボティン (右)名物料理の仔豚の丸焼き
ギネスが認定した世界で一番古いレストラン(1725創業)
Botinにて
宵っ張りのスペイン人と違って早い夕食の日本人。お店に行くとお客はまだ2,3組。名物料理にトライしたいが二人ではヘビー過ぎる、ウェイターに相談するとハーフ・ポーションもあるので是非とのこと。「では、それ!」と即決。
我々のテーブルの斜め向いに一人の日本人青年が一人で食事をしている。話しかけると旅行中とのこと。この店は一応高級スペイン料理店ということになっているので、「豪華な旅行だね」と言うと、彼は「今日が旅行最終日で、寂しく一人豪華ディナーです」と、はきはきと答えてくれる。スペインのこと、大学生活のこと等を話していると、学生君が何を思ったか「ひょっとして大学の教授ですか?」との発言に、女房も大笑い。
小生がそんなに品格があるように見えたのかなあ???