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旅行記、世相独言

古都トレドとエル・グレコ -トレド-(異文化体験30 灼熱のアンダルシアの旅2)

2013年04月26日 16時13分20秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

古都トレドとエル・グレコ 97.07.24

 これがあるからここは***、と多くの街がランドマーク中心に特徴ある景観を有している。ここトレドもタホ川に囲まれた高台にアルカサル(城壁)や大聖堂が特徴的な景観を醸し出し、写真を見れば一目でトレドと分かる。

 一目でトレドと分かる景色

  
(左)ピサグラ新門に向うバス        (右)タホ川に架かるサン・マルティン橋の向こうに帰りのバスが

 バスで来る観光客はピサグラ新門から入って太陽の門から徒歩で旧市街地を散策、大聖堂からエル・グレコの家を見物した後、ロス・レイエス・カトリコス通りを下って、タホ川に架かるサン・マルティン橋を渡れば、バスが待っているというコース。

 ゴヤが描いたトレドの街(Wikipediaより)

 西ゴート王国がイベリア半島を支配し、560年トレドはその首都になり、またイベリア半島全体の首座大司教座ともなった。しかし、711年にはウマイヤ朝によって征服されイスラム支配となった。現在の大聖堂はイスラム時代の大モスク跡に建てられたもので、1227年着工、1493年竣工、かつての権威を象徴するかのような見事なフランス・ゴシック建築である。

              
(左)見事なフランス・ゴシック建築の大聖堂        (右)大聖堂の内部
 
 スペインは国民の70%以上がキリスト教のカトリックの国である。1549年に日本にやってきた宣教師フランシスコ・ザビエルは、バスク地方のイエズス会に属し、熱心な宣教師であると共に商人顔負けの商才も発揮した。1584年には天正遣欧使節団がマドリードを訪問する等、日本との関係も深い。

 旧市街地の中は、何本もの細い路地が走っているが、登り方向に歩いていけば大聖堂(カテドラル)に行き着く。

 路地を上の方に歩いていくと大聖堂に。路地の隙間から塔が見える。

 クレタ島出身のギリシャ人画家エル・グレコ(1541-1614)は、若い時ヴェネチアでティツィアーノに師事、35歳の時にスペインに渡り、トレドに居を構え74歳で死ぬまでここで描き続けた。エル・グレコの家は、そのアトリエと書斎が再現され、美術館も兼ねている。

 エル・グレコの家(アトリエと書斎が再現されている)

 本当かどうか知らないが、グレコの作品「羊飼いの礼拝」等を見ると頭と身体のバランスが少しおかしいことに気づく。意識して描いたのかどうか分からないが、近年ではグレコ乱視説が有力のようだ。本名はドメニコ・テオトコプーロス。
 エル・グレコとは、「あのギリシャ人」という意味だそうな。作品には必ずギリシャ語サインがある。

               
(左)エル・グレコ作 「羊飼いの礼拝」   (右)同じく「ある老人の肖像」(Wikipediaより)

 スペイン陶器は国内広く焼かれているが、ここトレド近郊も盛んである。道路わきのお店にはカラフルな陶器やタイルが売られている。「家を建て替えた時の表札に丁度良いねえ」と女房と言いながら、いつ建て替えるかわからぬ未来の我が家のためにアルファベットでの表札タイルを一式買った。(幸いこの4年後に建て替え工事を行い、この時買ったタイルは死蔵されることなく我が家の門扉に顔を覗かせている)

  
(左)アルファベットタイル これで表札を作るのも如何? (右)何故か壁面裏に貼り付けた我が家のタイル


  
(左)トレドの撮影ポイントにて              (右)タホ川に架かるマルティン橋

 今夜は熟睡! 明日はアンダルシア アグマールホテルのカードキイ

 さあ、明日から小生にとって処女地のアンダルシア地方、楽しみである!