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旅行記、世相独言

さんふらわーde九州北部の歴史旅 (その4)学生や近隣国客で大賑わい 太宰府天満宮

2018年06月06日 20時58分57秒 | 異文化体験_日本
さんふらわー de 九州北部の歴史旅    2018.5.16-20

その4.修学旅行生や近隣国客やらで大賑わい 太宰府天満宮


 宗像大社から一般道を経て九州自動車道若宮ICから太宰府ICで太宰府天満宮まで、50km弱、およそ1時間ほどで到着。神宮の駐車場がわからず、西鉄太宰府駅前の民間駐車場に駐車。

  
 太宰府天満宮境内略図                    ご案内書                    西鉄・太宰府駅前

 丁度お昼時である。さすが学問の神様、駅前参道は修学旅行生の団体に、近隣諸国からの観光客でごった返している。

        
              修学旅行生の列が途切れることなく続く

 筑紫万葉のふるさと大宰府は、7世紀後半から奈良・平安の時代を通じて約500年の間九州を治め、我が国の防衛や外国との交渉の窓口として重要な役割を果たした所で、その中心が大宰府政庁である。大宰府ICから天満宮に至る途中に「都府桜跡」の名で親しまれている大宰府政庁跡がある。

        
  鎌倉末期作、中世の大鳥居(その先が桜門)          桜門から見る御本殿(本殿右の緑が飛梅)

 太宰府天満宮は、菅原道真公(菅公)を祀る神社として有名だが、菅公の御墓所の上に社殿が造営され、その神霊を奉祀する神社である。学問の神、誠心の神として今日なお世の崇敬を集めている。

  
       さすが学問の神様 お参りする学生たちを一人一人同行カメラマンが撮影するがゆえに長蛇の列

 901年に右大臣から突如大宰府に流された道真は2年後、この地で亡くなった。御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなく牛が伏して動かなくなった。これは菅公の御心によるものだろうとその聖地に御遺骸を葬った。京より追従した門弟がここに墓所と神殿を創建、更に左大臣藤原仲平が勅を奉じて造営を進め、919年御社殿を建立した。その後、一条天皇の993年には、正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ天満大自在天神(天神さま)と崇められた。

   
       境内の心の字を形どった心字池と朱塗りの3橋(太鼓橋・平橋・太鼓橋=過去・現在・未来を意味する)

 901年、時の左大臣藤原時平の讒言で左遷させられ、2月1日京を立つ時詠んだ歌、
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」は有名であるが、その梅が菅公を慕って飛来したのが御本殿前の「飛梅」であると伝えられている。(本殿右側にある梅の木がそれ)

        
  本殿横でいただく御朱印          天満宮と言えば御神牛(ボケないように頭を撫でて)

        
門前町に軒を連ねる梅が枝餅の店の一つ「やす武」で熱々の古代米の餅を購入、もっと欲しいが一つで我慢

 御本殿で御朱印をいただき、来春高校入試を迎える孫のために合格祈願のお守りをいただいて、天満宮を退出する。参道には太宰府名物「梅が枝餅」を売る店がわれこそ元祖!と軒を連ねている。熱々の梅が枝餅を頬張りながら、次なる目的地「吉野ケ里遺跡」に向かう。
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