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Viva ハワイ! 2016.01.25~01.30
戦後60年の時は、サイパンに行った。そして、今回は戦後70年。戦争のない幸せを噛みしめながら、過去2回のハワイ訪問で行っていない真珠湾を訪問してみよう。
初めて乗ったハワイアン航空が25年ぶり、3度目のホノルル空港に着陸した。再訪3人、初訪1人、計4人の学生時代の仲間による念願のハワイでのゴルフツアーの幕開けだ。
現地実質3.5日、ゴルフ2ラウンド、半日観光、半日ワイキキ浜浴、1回は豪華ディナー、そしてホテルはワイキキ無星OK、これらの条件を満たして総予算は20万円の旅。
(左)初めて乗ったハワイアン航空 (中)ホノルル空港 (右)ホノルル空港周辺の風景
今冬最大の寒波に見舞われている日本からホノルルに降り立つと、誰しも早く何とか着込んだ防寒具を脱ぎたいもの。一流ホテルを次々回って一番最後に今回の宿舎「ワイキキ・サンド・ヴィラホテル」に到着したのが12時過ぎ。ラッキーにもチェック・インOKとのことで早速2部屋に分かれて夏バージョンに着替えを済ます。バスタブもあり、ウオッシュレットまで完備されており、申し分ないホテルだ。
(左)WAIKIKI SAND VILLA HOTEL (右)ワイキキ周辺MAP(ホテルは中央上の運河沿い)
早速、JTBオフィスに出向いて、日本で申し込んだ観光ツアーの確認とディナーショーの申し込みを済ませ、ワイキキ周辺を散策する。若い女性の浜辺の日光浴姿、ウクレレ同好会の練習、カピオラニ王妃の公園の緑等々、いつもと変わらぬワイキキである。
(左)ハワイといえばこの景色(昔は消波ブロックはなかった?) (右)浜辺ではウクレレ同好会の演奏会?
(左)いつもの浜辺の景色 (右)緑豊かなカピオラニ王妃公園
私が初めてハワイを訪れたのは、今から丁度30年前の1985年2月。オイルショック後の日本のエネルギー事情の混迷期に主要電力・ガス会社が合同で我が国の都市エネルギーの在り方を研究するチームが発足し、約1ケ月3~4名の2班に分かれて欧米諸国を調査し、最後に合流・立ち寄ったのがこのハワイ。西海岸からハワイに向かう予定がパン・アメリカン(パンナム)だったのだが、急なストでアメリカン航空への振替輸送となった。席の奪い合いで大混乱の中何とか席にありつけたのが何とファーストクラス。この時泊まったのがパシフィックビーチ・ホテル。今も健在だ。
初めてのハワイ訪問時(40歳) (左)ハナウマ・ベイにて (中)ワイキキにて (右)現在のパシフィック・ビーチ・ホテル
2回目のハワイは、25年前の1991年6月。義弟のジューン・ブライド、結婚式でオアフ島とマウイ島を訪問。若い人達にまじって女房とマリン・スポーツの一日ツアーに参加。ウインド・サーフィンで最後までボードに立てなかったのが未だに残念な想いとして残っている。マウイ島での泊まりはラハイナ・ショアーホテル。オアフの喧騒とは別世界の静かな魅力ある島だ。ホノルルでの泊まりは、カピオラニ女王公園に面したパーク・ショアホテルで、これまた今も健在だ。ホノルルではこの時パン・パシフィック・フェスティバルが開催され夜遅くまでカラカウア通りはブロックパーティで賑わっていた。
2回目のハワイ (左・中)ZERO GRAVITYのスキューバ入門修了書と参考写真 (右)オアフ・ワイキキのパークショア・ホテル
(左)マウイ島のラハイナショア・ホテル (右)マウイ島 ラフィオカラニ教会
さて、25年ぶりのハワイ・オアフ島。明日は、早速コオリナ・ゴルフクラブでのラウンドが待っている。
ビジターゴルフ場ではオアフ島で1,2を争うゴルフ場と聞いている。
Duke Kahanamoku像の前で
さあ、ツアーの始まりだ。
Viva ハワイ! 2016.01.25~01.30
戦後60年の時は、サイパンに行った。そして、今回は戦後70年。戦争のない幸せを噛みしめながら、過去2回のハワイ訪問で行っていない真珠湾を訪問してみよう。
初めて乗ったハワイアン航空が25年ぶり、3度目のホノルル空港に着陸した。再訪3人、初訪1人、計4人の学生時代の仲間による念願のハワイでのゴルフツアーの幕開けだ。
現地実質3.5日、ゴルフ2ラウンド、半日観光、半日ワイキキ浜浴、1回は豪華ディナー、そしてホテルはワイキキ無星OK、これらの条件を満たして総予算は20万円の旅。
(左)初めて乗ったハワイアン航空 (中)ホノルル空港 (右)ホノルル空港周辺の風景
今冬最大の寒波に見舞われている日本からホノルルに降り立つと、誰しも早く何とか着込んだ防寒具を脱ぎたいもの。一流ホテルを次々回って一番最後に今回の宿舎「ワイキキ・サンド・ヴィラホテル」に到着したのが12時過ぎ。ラッキーにもチェック・インOKとのことで早速2部屋に分かれて夏バージョンに着替えを済ます。バスタブもあり、ウオッシュレットまで完備されており、申し分ないホテルだ。
(左)WAIKIKI SAND VILLA HOTEL (右)ワイキキ周辺MAP(ホテルは中央上の運河沿い)
早速、JTBオフィスに出向いて、日本で申し込んだ観光ツアーの確認とディナーショーの申し込みを済ませ、ワイキキ周辺を散策する。若い女性の浜辺の日光浴姿、ウクレレ同好会の練習、カピオラニ王妃の公園の緑等々、いつもと変わらぬワイキキである。
(左)ハワイといえばこの景色(昔は消波ブロックはなかった?) (右)浜辺ではウクレレ同好会の演奏会?
(左)いつもの浜辺の景色 (右)緑豊かなカピオラニ王妃公園
私が初めてハワイを訪れたのは、今から丁度30年前の1985年2月。オイルショック後の日本のエネルギー事情の混迷期に主要電力・ガス会社が合同で我が国の都市エネルギーの在り方を研究するチームが発足し、約1ケ月3~4名の2班に分かれて欧米諸国を調査し、最後に合流・立ち寄ったのがこのハワイ。西海岸からハワイに向かう予定がパン・アメリカン(パンナム)だったのだが、急なストでアメリカン航空への振替輸送となった。席の奪い合いで大混乱の中何とか席にありつけたのが何とファーストクラス。この時泊まったのがパシフィックビーチ・ホテル。今も健在だ。
初めてのハワイ訪問時(40歳) (左)ハナウマ・ベイにて (中)ワイキキにて (右)現在のパシフィック・ビーチ・ホテル
2回目のハワイは、25年前の1991年6月。義弟のジューン・ブライド、結婚式でオアフ島とマウイ島を訪問。若い人達にまじって女房とマリン・スポーツの一日ツアーに参加。ウインド・サーフィンで最後までボードに立てなかったのが未だに残念な想いとして残っている。マウイ島での泊まりはラハイナ・ショアーホテル。オアフの喧騒とは別世界の静かな魅力ある島だ。ホノルルでの泊まりは、カピオラニ女王公園に面したパーク・ショアホテルで、これまた今も健在だ。ホノルルではこの時パン・パシフィック・フェスティバルが開催され夜遅くまでカラカウア通りはブロックパーティで賑わっていた。
2回目のハワイ (左・中)ZERO GRAVITYのスキューバ入門修了書と参考写真 (右)オアフ・ワイキキのパークショア・ホテル
(左)マウイ島のラハイナショア・ホテル (右)マウイ島 ラフィオカラニ教会
さて、25年ぶりのハワイ・オアフ島。明日は、早速コオリナ・ゴルフクラブでのラウンドが待っている。
ビジターゴルフ場ではオアフ島で1,2を争うゴルフ場と聞いている。
Duke Kahanamoku像の前で
さあ、ツアーの始まりだ。
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