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大司教の館に迫るJCB -ザルツブルグ- 1986.09.18
ミュンヘンから153km。楽聖モーツアルトを生んだ街ザルツブルグ。アルプスの山塊に連なる三つの丘陵に囲まれ、Salzach川の清流が街を貫いている。
アルプスの牧歌的風景を楽しむ(ミュンヘン~ザルツブルグ)
ザルツブルグの街(ホーエンザルツブルグ城、背景はアルプスの峰々)
委員会の作業は予定より早く昨日の午後に終えたので、今日はO氏、I氏と共に急遽車でザルツブルグへのミニ旅行を実施することに。小雨に煙るハイウェイを1時間半。アルプスの牧歌的風景を楽しみながら、オーストリア国境を越えるとそこはもうザルツブルグ。毎年7月から8月末まで開催される音楽祭(Festpiele)が終わったところで、街にはまだその余韻が漂っている。
市内を一望出来る高台にはホーエンザルツブルグ城、別名「大司教の館」とも言う、がそびえている。1077年に着工されローマ教会の大司教が置かれた由緒あるお城である。この街で生れ25歳までここで過ごしたモーツアルトもその少年時代(幼名アマデウス)には、この館での音楽会でやんちゃぶりを発揮したようだ。
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(左)ホーエンザルツブルグ城の入場チケット (右)右奥がゴシック式ストーブ
大司教の儀式の間、今にもバイオリンやチェロの音が聞こえてきそうな黄金の間、囚人の部屋、1501年製の人の背丈の2倍はあろうかというゴシック式ストーブの部屋、「ザルツブルクの雄牛」と呼ばれる大オルガン等々を見ながら、この城館の見張り台に上がる。
お城(大司教の館とも言う)から見た街並み
(街の中央を流れるSalzach川、手前が旧市街、川向うが新市街)
折からの雨で霧の間に間に眼下のSalzach川向うの新市街や城下の旧市街に、欧州最大級のパイプオルガンを有するドーム、祝祭劇場、宮廷コンサートが行われるミラベル宮等々が見え隠れしている。晴れていれば目の前にアルプスの山々や映画Sound of Musicの舞台になった湖沼地帯が展望出来るようであるが、誠に残念である。
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(左)街の至る所からお城が見える。欧州最大級パイプオルガンを有するドーム (右)モーツアルト生家の入場券
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(左)ゲトライデ通りに面したモーツアルトの生家 (右)幼少のモーツアルト(Wolfgang-amadeus)
ケーブルカーを利用して、旧市街地のモーツアルトの生家を訪ねる。市内で最も賑やかなゲトライデ通りに面したその家は、今は記念館として公開されている。1756年1月27日にこの家で生まれた楽聖Mozartsは、その後ウイーンを中心に活躍し、国立オペラハウスのコケラ落としでは新作「ドン・ジョバンニ」が演じられた。
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(左)いつも賑わいを見せるゲトライデ通り (右)急速に拡大するご存知JCBのロゴマーク
人口10万少しのこの町にも日本人が大勢押寄せているらしい。訪問中に日本人と会うことはなかったが、店々が受け入れるカードの種類を見ているとその状況が良く分かる。欧州全体に数年前とは比較にならない程、JCBマークを貼っている店が増えているが、この小さな町でも然り。ほとんどの店が軒先やドアにJCBマークを貼り付けており、まさに大司教の館に迫るJCBである。
夕刻にはミュンヘン・リーム空港に戻らなければならない。オーストリア・アルプスの牧歌的匂いと宮廷音楽の雰囲気を味わったわずか5時間足らずの滞在であった。
ミュンヘン・リーム空港
ミュンヘン空港に戻るとI氏が搭乗予定のロンドン便は離陸した後。O氏が少し後のロンドン便だったので、変更を交渉すれどもフィンエアー(フィンランドの航空会社)で欧州入りしているのでフィンエアーのエンドースが必要とか。しかし肝心の事務所がここにはないようだ。困った困った。小生のジュネーブ行きのフライトの時刻が迫ったので両氏と別れたが、後日談で結局ロンドンまでのチケットを買ったようだ。
ジュネーブ行きの便は途中の天候が悪く1時間遅れで到着。休む間もなく再びジュネーブへ。ああ、明日のモンブランは大丈夫だろうか? どうか神様、天気にしておくれ!
大司教の館に迫るJCB -ザルツブルグ- 1986.09.18
ミュンヘンから153km。楽聖モーツアルトを生んだ街ザルツブルグ。アルプスの山塊に連なる三つの丘陵に囲まれ、Salzach川の清流が街を貫いている。
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委員会の作業は予定より早く昨日の午後に終えたので、今日はO氏、I氏と共に急遽車でザルツブルグへのミニ旅行を実施することに。小雨に煙るハイウェイを1時間半。アルプスの牧歌的風景を楽しみながら、オーストリア国境を越えるとそこはもうザルツブルグ。毎年7月から8月末まで開催される音楽祭(Festpiele)が終わったところで、街にはまだその余韻が漂っている。
市内を一望出来る高台にはホーエンザルツブルグ城、別名「大司教の館」とも言う、がそびえている。1077年に着工されローマ教会の大司教が置かれた由緒あるお城である。この街で生れ25歳までここで過ごしたモーツアルトもその少年時代(幼名アマデウス)には、この館での音楽会でやんちゃぶりを発揮したようだ。
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(左)ホーエンザルツブルグ城の入場チケット (右)右奥がゴシック式ストーブ
大司教の儀式の間、今にもバイオリンやチェロの音が聞こえてきそうな黄金の間、囚人の部屋、1501年製の人の背丈の2倍はあろうかというゴシック式ストーブの部屋、「ザルツブルクの雄牛」と呼ばれる大オルガン等々を見ながら、この城館の見張り台に上がる。
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(街の中央を流れるSalzach川、手前が旧市街、川向うが新市街)
折からの雨で霧の間に間に眼下のSalzach川向うの新市街や城下の旧市街に、欧州最大級のパイプオルガンを有するドーム、祝祭劇場、宮廷コンサートが行われるミラベル宮等々が見え隠れしている。晴れていれば目の前にアルプスの山々や映画Sound of Musicの舞台になった湖沼地帯が展望出来るようであるが、誠に残念である。
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(左)街の至る所からお城が見える。欧州最大級パイプオルガンを有するドーム (右)モーツアルト生家の入場券
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(左)ゲトライデ通りに面したモーツアルトの生家 (右)幼少のモーツアルト(Wolfgang-amadeus)
ケーブルカーを利用して、旧市街地のモーツアルトの生家を訪ねる。市内で最も賑やかなゲトライデ通りに面したその家は、今は記念館として公開されている。1756年1月27日にこの家で生まれた楽聖Mozartsは、その後ウイーンを中心に活躍し、国立オペラハウスのコケラ落としでは新作「ドン・ジョバンニ」が演じられた。
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(左)いつも賑わいを見せるゲトライデ通り (右)急速に拡大するご存知JCBのロゴマーク
人口10万少しのこの町にも日本人が大勢押寄せているらしい。訪問中に日本人と会うことはなかったが、店々が受け入れるカードの種類を見ているとその状況が良く分かる。欧州全体に数年前とは比較にならない程、JCBマークを貼っている店が増えているが、この小さな町でも然り。ほとんどの店が軒先やドアにJCBマークを貼り付けており、まさに大司教の館に迫るJCBである。
夕刻にはミュンヘン・リーム空港に戻らなければならない。オーストリア・アルプスの牧歌的匂いと宮廷音楽の雰囲気を味わったわずか5時間足らずの滞在であった。
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ミュンヘン空港に戻るとI氏が搭乗予定のロンドン便は離陸した後。O氏が少し後のロンドン便だったので、変更を交渉すれどもフィンエアー(フィンランドの航空会社)で欧州入りしているのでフィンエアーのエンドースが必要とか。しかし肝心の事務所がここにはないようだ。困った困った。小生のジュネーブ行きのフライトの時刻が迫ったので両氏と別れたが、後日談で結局ロンドンまでのチケットを買ったようだ。
ジュネーブ行きの便は途中の天候が悪く1時間遅れで到着。休む間もなく再びジュネーブへ。ああ、明日のモンブランは大丈夫だろうか? どうか神様、天気にしておくれ!
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