《異文化体験21「LNG-11の旅」の次に、昨年12月に行ったエジプト旅行(五千年の時空を超える旅)を飛び入りさせましたが、本来の異文化体験22「中東欧の旅」に戻り新たにスタートさせます。》
シェイクスピア・カントリーとブレナム宮殿 -ストラッドフォード・アポン・エイボン&ウッドストック ー 1995.09.23~09.25
夕刻のロンドン・ヒースローにロンドン事務所長の出迎えを受け、最近の定宿となったランガム・ヒルトンにチェック・イン後、夕食を共にしながら英国の規制緩和論議を交わす。今回の旅はIGUプラハ理事会への出席と英国公益事業の規制緩和に関する情報収集が目的である。
翌朝、お城好きの同行者のためにストラッドフォード・アポン・エイボンのシェークスピア・カントリーとBlenheim Palace(ブレナム宮殿)観光をセットし、ロビーに9時半集合のはずがなかなか降りてこない。
ロンドン事務所のT君とやきもきしていると10分ほど遅れて何とホテル玄関から現われた。どうしたのかと聞くとタクシーでロンドン市内お上りさんコースを廻って写真を撮って来たとの返事。なかなかのおじさんである。
ストラッドフォード・アポン・エイボンの街
ストラッドフォード・アポン・エイボンは2ケ月前LNG-11の際に訪れ2度目の訪問である。前回と同様のコースに加え、ホーニー・トリニティ教会の墓地や妻アン・ハサウェイの実家を観光する。3月も下旬と言うのに結構な人出である。
昼食後、オックスフォードシャー・ウッドストックの名城ブレナム宮殿に向かう。1705年から1722年にかけてThe Duke of Marlborough(マールボロー卿)初代当主Johnとその妻Sarahのために建設された豪華なお城は、むしろチャーチルが生まれ育った所として良く知られている。
世界遺産 ブレナム宮殿全景
一般観光客のゲートとなる東門にはマールボロー家の旗が紺碧の空に翻っている。北庭を取り囲むように東西に翼を広げたような宮殿の北側には女王の池とそれにかかるグランド・ブリッジに続く。更にその先には勝利の塔が垣間見える。お城の東側には9代目当主によって改築された中央にマーメイドのモニュメントが置かれた見事なイタリア庭園が配置され、一方、お城の西側には同じく9代目当主によって1930年に改造されたウォーター・テラス・ガーデンを見ることが出来る。
宮殿正面玄関(by Wikipedia)
ウォーターテラスガーデン
中央と四隅に配置された噴水が無ければ、まるで鏡を敷き詰めたような錯覚に陥る見事な造形美である。お城の正面玄関にはワルシャワ門を真似て造ったと言う真鍮製のロックが装備され、サロンや部屋と言う部屋夫々に見事な装飾が施されている。また大理石のドアケースで飾られた55mもの長さを有する書斎書庫、1732年に完成したお城の中のチャペルには初代当主夫妻と若くして死んだ2人の息子のモニュメントや大きなパイプオルガン等々、全てに圧倒される。
宮殿内部(パイプオルガンも見える)
1874年Sir Winston Leonard Spencer Churchill(ウィンストン・チャーチル卿)はこのお城の中で生れ育ち、晩年もここで過ごしたようだ。1965年没し、ここに埋葬されている。5歳の時の頭髪カールが展示されている。まるでゴルフ場と見間違う程の広大な芝生と森、そして池。必見の城の一つである。
手入れの行き届いた一面の芝生の庭
その夜、7月LNG-11の際、コンパニオンをやってくれたN嬢にFAXで再度ロンドンに行くこと、22時以降であればホテルに戻っているだろうと知らせていたが、来るかどうかは分からない。22時半頃フロントから来客の知らせ。ホテルのラウンジで2ヶ月ぶりの再会。その後の生活や身の上話に時間を忘れ、気がつくと午前0時半。バスも地下鉄ももはやなし!明日はプラハに移動するためポンド紙幣は手元にわずか。下宿先までタクシーでいくらかかるのか知らないが、とりあえず持ち金のポンド紙幣を全部渡して、彼女の留学の成功を祈る。
翌朝は、いよいよ大いに楽しみにしているプラハ行きである。
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シェイクスピア・カントリーとブレナム宮殿 -ストラッドフォード・アポン・エイボン&ウッドストック ー 1995.09.23~09.25
夕刻のロンドン・ヒースローにロンドン事務所長の出迎えを受け、最近の定宿となったランガム・ヒルトンにチェック・イン後、夕食を共にしながら英国の規制緩和論議を交わす。今回の旅はIGUプラハ理事会への出席と英国公益事業の規制緩和に関する情報収集が目的である。
翌朝、お城好きの同行者のためにストラッドフォード・アポン・エイボンのシェークスピア・カントリーとBlenheim Palace(ブレナム宮殿)観光をセットし、ロビーに9時半集合のはずがなかなか降りてこない。
ロンドン事務所のT君とやきもきしていると10分ほど遅れて何とホテル玄関から現われた。どうしたのかと聞くとタクシーでロンドン市内お上りさんコースを廻って写真を撮って来たとの返事。なかなかのおじさんである。
ストラッドフォード・アポン・エイボンの街
ストラッドフォード・アポン・エイボンは2ケ月前LNG-11の際に訪れ2度目の訪問である。前回と同様のコースに加え、ホーニー・トリニティ教会の墓地や妻アン・ハサウェイの実家を観光する。3月も下旬と言うのに結構な人出である。
昼食後、オックスフォードシャー・ウッドストックの名城ブレナム宮殿に向かう。1705年から1722年にかけてThe Duke of Marlborough(マールボロー卿)初代当主Johnとその妻Sarahのために建設された豪華なお城は、むしろチャーチルが生まれ育った所として良く知られている。
世界遺産 ブレナム宮殿全景
一般観光客のゲートとなる東門にはマールボロー家の旗が紺碧の空に翻っている。北庭を取り囲むように東西に翼を広げたような宮殿の北側には女王の池とそれにかかるグランド・ブリッジに続く。更にその先には勝利の塔が垣間見える。お城の東側には9代目当主によって改築された中央にマーメイドのモニュメントが置かれた見事なイタリア庭園が配置され、一方、お城の西側には同じく9代目当主によって1930年に改造されたウォーター・テラス・ガーデンを見ることが出来る。
宮殿正面玄関(by Wikipedia)
ウォーターテラスガーデン
中央と四隅に配置された噴水が無ければ、まるで鏡を敷き詰めたような錯覚に陥る見事な造形美である。お城の正面玄関にはワルシャワ門を真似て造ったと言う真鍮製のロックが装備され、サロンや部屋と言う部屋夫々に見事な装飾が施されている。また大理石のドアケースで飾られた55mもの長さを有する書斎書庫、1732年に完成したお城の中のチャペルには初代当主夫妻と若くして死んだ2人の息子のモニュメントや大きなパイプオルガン等々、全てに圧倒される。
宮殿内部(パイプオルガンも見える)
1874年Sir Winston Leonard Spencer Churchill(ウィンストン・チャーチル卿)はこのお城の中で生れ育ち、晩年もここで過ごしたようだ。1965年没し、ここに埋葬されている。5歳の時の頭髪カールが展示されている。まるでゴルフ場と見間違う程の広大な芝生と森、そして池。必見の城の一つである。
手入れの行き届いた一面の芝生の庭
その夜、7月LNG-11の際、コンパニオンをやってくれたN嬢にFAXで再度ロンドンに行くこと、22時以降であればホテルに戻っているだろうと知らせていたが、来るかどうかは分からない。22時半頃フロントから来客の知らせ。ホテルのラウンジで2ヶ月ぶりの再会。その後の生活や身の上話に時間を忘れ、気がつくと午前0時半。バスも地下鉄ももはやなし!明日はプラハに移動するためポンド紙幣は手元にわずか。下宿先までタクシーでいくらかかるのか知らないが、とりあえず持ち金のポンド紙幣を全部渡して、彼女の留学の成功を祈る。
翌朝は、いよいよ大いに楽しみにしているプラハ行きである。
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