自分の経歴を公開(自己紹介)することはある意味、危険も付きまとう。
特にネット上では、成りすましも多く、私の勝手な想像だが、悪意の人も1割以上居ると考えている。
しかしブログでは、私も含め多くの人が個人情報を露出している。
相手に個人情報を知ってもらうことで、親しくなれることもある。
一般論として、お互い、自分のことを隠し、相手を信用しなければ、その人達は友達が出来ないだろう。
自分のことを隠していると、相手も自分の事を隠し、お互い警戒して寄ってこないからだ。
(ただし肩書がある場合は、肩書のみを信用して、安心して人は寄ってくることが多い。)
それでも、直接対面する場合に、それまで相手のことを知らなくても、人間でも動物でも、自分が相手を嫌いと思うと相手も自然にその方向に動き、好意的に思っていると相手も好意的に動く場合が多い。
嫌いや憎しみの感情や好意の感情は、相手にもよく伝わり、同じ反応を示すように見えることが多い。
多分直接対面する時は、眼差しや表情や態度といったボディーランゲージが意思伝達に役立っているのだろう。
初対面の場合で意図的に自分のことを隠そうとすると、相手もその雰囲気を察知し身構えて、お互いに好意的な関係にはなりにくいだろう。(打ち解けた話が出来ない。)
SNS等のネット上の場合は、会ったこともない人からも友達申請が来ることもある。
私の場合、以前は、今まではその人の背景も知らないので、お断りすることが多かった。
ただ、FB(フェイスブック)もツイッターと同じように、顔見知りでない人でも友達になる人が普通になりつつあるようだ。
私も、今ではFBの友達の何人かは全く面識のない人や、直接話を交わしたこともない人に、友達のリクエストをして友達に加えてもらっている。
今後も、顔見知りでない人とも友達になる機会が増えるだろうと思っている。
ところが、現実の世界で、顔見知りやよく話をする人について、その人のこと(経歴等)を知っているかというと、知っているようでほとんど知らないことが多い。
よく話を交わしている人でも、FBで友達になってから、その人の経歴を知った場合が多い。
特にパーティーとか、飲み屋とか、非常勤の勤務先とかで、知り合って短い時間で友達になることもあるが、その場合は、その人のことをほとんど知らないことになる。
このように、具体的に知人や友達のことを考えると、意外とお互い深く立ち入っていないことが多い。
又、知人、友人、親友といってもどこまでの範囲を指すのか、人によって大きく違うだろう。
付き合いの範囲がどこまでかという問題もある。
友達といっても、会社や学校の同僚、幼馴染、ご近所、サークル仲間、飲み友達、等さまざまな切り口がある。
お互い、過去の経歴を知らなくても、気の合う友達になることもあるだろうし、会社関係でよく見られるが、お互い過去の経歴はよく知っていても、単なる知人の関係の場合もある。
ただ、始めからある程度自己紹介を受けていると、親しく友達になりやすいのは経験的事実であろう。
ただ、SNSに加入する時、詳しい自己紹介が必要か疑問に思った。
そのとき、はじめは私も自己紹介は、ほとんど書かなかった。
今でも、例えばFB(フェイスブック)で、自己紹介を詳しくしている人は少ないように見える。
通常は、ネット上で詳しく自己紹介する必要はないと、今でも思っている。
しかし私自身については、SNS等のネット上で多少詳しく自己紹介している。
なぜ詳しく自己紹介するのか、その理由を次に示そう。
自己紹介の問題点は、自己紹介を詳しく書くと、悪意の人に利用される可能性があるからだ。
しかし私は、所詮、70歳に近い資産も経歴もない一介の貧困独居老人で、悪意の人から見れば全く利用価値はない存在なのだ。
非常に極端なことを考えれば、私を殺して成りすますことも考えられる。
しかし、現実問題私の長屋の隣近所は、みな顔見知りで幼馴染も多い、私の直接の父母兄弟は亡くなって居ないが、義姉や甥、姪、や従兄弟等親戚とは、今も疎遠に近いが付き合いはある。
中学高校の同窓生や40年来古い友達ともたまに交流するし、FBの友達(ほとんどの人が顔見知り以上)とはさまざまな形で交流があるので、殺して身代わりの成りすましは不可能だし、成りすましたところで、先ほど述べたように全く利用価値はない。
ネットで成りすましても、検索をかければすぐにばれる。
悪意の人が私を利用する価値がないのなら、プライバシーを侵害されても経済面では困らない。
私生活でばらされて困るようなことや、社会的地位もないので体面が傷つくこともない。
それなら、私のことを詳しく自己紹介しておいたほうが、さまざまな憶測による誤解を少なく出来るし、多くの人との交流を円滑に出来ると考えたからだ。
ギャラリーをしていた時に、私の前歴を聞かれることが多かった。
なぜ技術屋から転職したのかとか、前歴を話すと、その中にさまざまなエピソードがあるので、話が長くなり、充分説明できず困った経験が何度もある。
2000年にギャラリー廃業後は、契約社員や臨時雇用等で職を転々としたため、履歴書を書く事が嫌になったことを覚えているが、友達になったときに、こうしたことを説明すると余計に話が長くなるし、通常相手もそこまで細かな話はどうでもいいと思っていることが多い。(逆にそんな話長々と聞かされても困るだろう。この長くなった冗長なブログも同様?)
直接会って話すときは、態度ですぐに分るので、いろんな人に会うときは、直接会った時には、相手の態度にあわせるようにしている。
人によっては、プライバシーには触れて欲しくない人も多いようだし、会ったときはその人の個性を見ながら交流を深めるようにしたいと思っている。(経験的に芸術家の人は、サラリーマンと違って、個性豊かで面白いが、多少付き合いが難しいところがある。サラリーマンは、打ち解けやすいか、話に変化のない人が多い。)
私の場合、聞かれると自分のことをとうとうと喋ることがあり反省している。
その逆に必要以上に自分のことを言いたがらない人も多いが、そういう人とは、ある程度距離を保ちながら話すよう心がけている。
別に私がそうしたことを嫌っているということでは全くなく、自分のことをあまりしゃべらない人は、相手との間に距離を置いて欲しいという意思表示でもあると見ているからだ。
自分のことをしゃべりたがらないひとは、経験的に控えめで繊細であったり、他人の評価を気にする人だったりすることが多い。
ところで、自己紹介で、下手に評価の悪い経歴を隠しておくと、悪意の人は利用しようとするし、エリート意識の強い人は、私の経歴を知って態度を変えることもある。
例えば「私はあなたとは、住む世界が違うので会うことも無いでしょう。」と上から目線でいわれたこともある。
私には評価の悪い経歴もいろいろある。
私は、便所掃除の仕事をしたり、自己破産したり、夜逃げ同様にギャラリーを閉めたこともブログには、書いているが、別に恥ずかしいとは思わないが、強いて書く必要もないことだ。
ただ、始めから失敗したことを書いておくと、それ以上後から突っ込まれることもないという利点はある。
多くの中高年の人は、人生山も谷も経験しているだろうが、私も同じだ。
ただし、友達を作るために何でも自分をさらけ出せばよい、と言うつもはない。
自分をさらけ出すのをみて、変に思う人も居るので、必要以上にさらけ出す必要はないと思っている。
(私の場合は、上に述べたように、多少知り合い話を交わすようになれば、毎回前歴の説明になって長くなるので、その手間を省く為に概要だけを書いている。)
特に女性は、悪意の人がそうした情報を利用しやすいので、自己紹介で多くの情報を出すのは注意したほうがよいかもしれない。
余談
相手が異性で恋愛感情を持っている場合は、上記のような事例に当てはまらず、自分が好きと思ってもそうならないことは、多くの人が経験することだ。
恋愛感情が絡んだ交流は、ダメもとで相手に直接メッセージや態度で示すことが、誤解を避けるのに有効だろう。
SNS等で、八方美人的に多くの人に受けるメッセージを流したりすると、そうしたメッセージを受け取った多くの異性が誤解して反応したりして、中には思い込みの激しい人がいてトラブルになったりする可能性もある。
また恋愛感情のような、思い込みが入ると、相手のことやその真意をチェックせずに、相手を信用し相手の言動に歩調を合わせることが多いので危険である。(教材販売や、着物販売等でそうした手法が使われた。)
又、サラリーマン時代に別の会社に勤めていた私の知人が、彼が若いときに寝物語で、自分では、つかめない会社の他部門の情報を彼の彼女?から聞きだし、社内での地位向上に利用したという話を聞き、ドラマまがいのことが、実社会でも起きていることに驚いたことがある。(彼の話では、男女関係になると口が軽くなるというのだ。男が中心の技術系の職場では考えられない話だった。)
スパイや営業活動で、ハニー(ピンク)トラップは昔から使われ、多くの地位名誉財産のある人が引っかかっているし話題になったりする。
特にネット上では、成りすましも多く、私の勝手な想像だが、悪意の人も1割以上居ると考えている。
しかしブログでは、私も含め多くの人が個人情報を露出している。
相手に個人情報を知ってもらうことで、親しくなれることもある。
一般論として、お互い、自分のことを隠し、相手を信用しなければ、その人達は友達が出来ないだろう。
自分のことを隠していると、相手も自分の事を隠し、お互い警戒して寄ってこないからだ。
(ただし肩書がある場合は、肩書のみを信用して、安心して人は寄ってくることが多い。)
それでも、直接対面する場合に、それまで相手のことを知らなくても、人間でも動物でも、自分が相手を嫌いと思うと相手も自然にその方向に動き、好意的に思っていると相手も好意的に動く場合が多い。
嫌いや憎しみの感情や好意の感情は、相手にもよく伝わり、同じ反応を示すように見えることが多い。
多分直接対面する時は、眼差しや表情や態度といったボディーランゲージが意思伝達に役立っているのだろう。
初対面の場合で意図的に自分のことを隠そうとすると、相手もその雰囲気を察知し身構えて、お互いに好意的な関係にはなりにくいだろう。(打ち解けた話が出来ない。)
SNS等のネット上の場合は、会ったこともない人からも友達申請が来ることもある。
私の場合、以前は、今まではその人の背景も知らないので、お断りすることが多かった。
ただ、FB(フェイスブック)もツイッターと同じように、顔見知りでない人でも友達になる人が普通になりつつあるようだ。
私も、今ではFBの友達の何人かは全く面識のない人や、直接話を交わしたこともない人に、友達のリクエストをして友達に加えてもらっている。
今後も、顔見知りでない人とも友達になる機会が増えるだろうと思っている。
ところが、現実の世界で、顔見知りやよく話をする人について、その人のこと(経歴等)を知っているかというと、知っているようでほとんど知らないことが多い。
よく話を交わしている人でも、FBで友達になってから、その人の経歴を知った場合が多い。
特にパーティーとか、飲み屋とか、非常勤の勤務先とかで、知り合って短い時間で友達になることもあるが、その場合は、その人のことをほとんど知らないことになる。
このように、具体的に知人や友達のことを考えると、意外とお互い深く立ち入っていないことが多い。
又、知人、友人、親友といってもどこまでの範囲を指すのか、人によって大きく違うだろう。
付き合いの範囲がどこまでかという問題もある。
友達といっても、会社や学校の同僚、幼馴染、ご近所、サークル仲間、飲み友達、等さまざまな切り口がある。
お互い、過去の経歴を知らなくても、気の合う友達になることもあるだろうし、会社関係でよく見られるが、お互い過去の経歴はよく知っていても、単なる知人の関係の場合もある。
ただ、始めからある程度自己紹介を受けていると、親しく友達になりやすいのは経験的事実であろう。
ただ、SNSに加入する時、詳しい自己紹介が必要か疑問に思った。
そのとき、はじめは私も自己紹介は、ほとんど書かなかった。
今でも、例えばFB(フェイスブック)で、自己紹介を詳しくしている人は少ないように見える。
通常は、ネット上で詳しく自己紹介する必要はないと、今でも思っている。
しかし私自身については、SNS等のネット上で多少詳しく自己紹介している。
なぜ詳しく自己紹介するのか、その理由を次に示そう。
自己紹介の問題点は、自己紹介を詳しく書くと、悪意の人に利用される可能性があるからだ。
しかし私は、所詮、70歳に近い資産も経歴もない一介の貧困独居老人で、悪意の人から見れば全く利用価値はない存在なのだ。
非常に極端なことを考えれば、私を殺して成りすますことも考えられる。
しかし、現実問題私の長屋の隣近所は、みな顔見知りで幼馴染も多い、私の直接の父母兄弟は亡くなって居ないが、義姉や甥、姪、や従兄弟等親戚とは、今も疎遠に近いが付き合いはある。
中学高校の同窓生や40年来古い友達ともたまに交流するし、FBの友達(ほとんどの人が顔見知り以上)とはさまざまな形で交流があるので、殺して身代わりの成りすましは不可能だし、成りすましたところで、先ほど述べたように全く利用価値はない。
ネットで成りすましても、検索をかければすぐにばれる。
悪意の人が私を利用する価値がないのなら、プライバシーを侵害されても経済面では困らない。
私生活でばらされて困るようなことや、社会的地位もないので体面が傷つくこともない。
それなら、私のことを詳しく自己紹介しておいたほうが、さまざまな憶測による誤解を少なく出来るし、多くの人との交流を円滑に出来ると考えたからだ。
ギャラリーをしていた時に、私の前歴を聞かれることが多かった。
なぜ技術屋から転職したのかとか、前歴を話すと、その中にさまざまなエピソードがあるので、話が長くなり、充分説明できず困った経験が何度もある。
2000年にギャラリー廃業後は、契約社員や臨時雇用等で職を転々としたため、履歴書を書く事が嫌になったことを覚えているが、友達になったときに、こうしたことを説明すると余計に話が長くなるし、通常相手もそこまで細かな話はどうでもいいと思っていることが多い。(逆にそんな話長々と聞かされても困るだろう。この長くなった冗長なブログも同様?)
直接会って話すときは、態度ですぐに分るので、いろんな人に会うときは、直接会った時には、相手の態度にあわせるようにしている。
人によっては、プライバシーには触れて欲しくない人も多いようだし、会ったときはその人の個性を見ながら交流を深めるようにしたいと思っている。(経験的に芸術家の人は、サラリーマンと違って、個性豊かで面白いが、多少付き合いが難しいところがある。サラリーマンは、打ち解けやすいか、話に変化のない人が多い。)
私の場合、聞かれると自分のことをとうとうと喋ることがあり反省している。
その逆に必要以上に自分のことを言いたがらない人も多いが、そういう人とは、ある程度距離を保ちながら話すよう心がけている。
別に私がそうしたことを嫌っているということでは全くなく、自分のことをあまりしゃべらない人は、相手との間に距離を置いて欲しいという意思表示でもあると見ているからだ。
自分のことをしゃべりたがらないひとは、経験的に控えめで繊細であったり、他人の評価を気にする人だったりすることが多い。
ところで、自己紹介で、下手に評価の悪い経歴を隠しておくと、悪意の人は利用しようとするし、エリート意識の強い人は、私の経歴を知って態度を変えることもある。
例えば「私はあなたとは、住む世界が違うので会うことも無いでしょう。」と上から目線でいわれたこともある。
私には評価の悪い経歴もいろいろある。
私は、便所掃除の仕事をしたり、自己破産したり、夜逃げ同様にギャラリーを閉めたこともブログには、書いているが、別に恥ずかしいとは思わないが、強いて書く必要もないことだ。
ただ、始めから失敗したことを書いておくと、それ以上後から突っ込まれることもないという利点はある。
多くの中高年の人は、人生山も谷も経験しているだろうが、私も同じだ。
ただし、友達を作るために何でも自分をさらけ出せばよい、と言うつもはない。
自分をさらけ出すのをみて、変に思う人も居るので、必要以上にさらけ出す必要はないと思っている。
(私の場合は、上に述べたように、多少知り合い話を交わすようになれば、毎回前歴の説明になって長くなるので、その手間を省く為に概要だけを書いている。)
特に女性は、悪意の人がそうした情報を利用しやすいので、自己紹介で多くの情報を出すのは注意したほうがよいかもしれない。
余談
相手が異性で恋愛感情を持っている場合は、上記のような事例に当てはまらず、自分が好きと思ってもそうならないことは、多くの人が経験することだ。
恋愛感情が絡んだ交流は、ダメもとで相手に直接メッセージや態度で示すことが、誤解を避けるのに有効だろう。
SNS等で、八方美人的に多くの人に受けるメッセージを流したりすると、そうしたメッセージを受け取った多くの異性が誤解して反応したりして、中には思い込みの激しい人がいてトラブルになったりする可能性もある。
また恋愛感情のような、思い込みが入ると、相手のことやその真意をチェックせずに、相手を信用し相手の言動に歩調を合わせることが多いので危険である。(教材販売や、着物販売等でそうした手法が使われた。)
又、サラリーマン時代に別の会社に勤めていた私の知人が、彼が若いときに寝物語で、自分では、つかめない会社の他部門の情報を彼の彼女?から聞きだし、社内での地位向上に利用したという話を聞き、ドラマまがいのことが、実社会でも起きていることに驚いたことがある。(彼の話では、男女関係になると口が軽くなるというのだ。男が中心の技術系の職場では考えられない話だった。)
スパイや営業活動で、ハニー(ピンク)トラップは昔から使われ、多くの地位名誉財産のある人が引っかかっているし話題になったりする。