散歩者goo 

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昨日記130904水(ジム15分間2km 竜巻・豪雨)

2013年09月05日 15時39分18秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:曇・雨20.0mm 28.2  19.6℃ 84% 2.7m西北西

昨日も、終日ぐずついた天気で、前線通過時には大雨が降った。
栃木では再び竜巻の被害があり、名古屋では豪雨に見舞われ冠水騒ぎがあり、全市に避難準備情報まで出された。

夕方から先週金曜以来久しぶりに、ジムに行った。
雨上がりで一見すいているように見えたが、実際にはそれなりに人がいて、お目当てのトレッドミルは、準備運動する前は、空いていたのに、準備運動を終えて走ろうと思うと、既に4台とも人が乗っていた。

仕方なく筋トレをした。
筋トレでは、少し記録が伸びたようだが、夏前と比べると回復するまで1-2ヶ月かかりそうな気がする。

その後、20分余り経ってやっと空きが出た。
さて、夏前から自分で考えた新しいメニューでウォーミングアップメニューを行ってみた。
時速8km2分9km2分で残りは10km2分時速11kmは走れる範囲の予定だったが、時速10kmでは1分間走るのが精一杯だった。
その後時速5kmで2分間歩いて、休まず再び同じメニューを繰り返し、残りは、トータル15分になるまで時速9kmで走りトータル2km余り走ったが、限界だった。

体力的にはかなり落ちているようだ。
去年の夏休み明けの10月2日の記録を見るとやはりかなり落ちていたが、それでも時速9kmで20分間3km走っている。
かなり厳しそうだがチャレンジしてみよう。

昨日は、ジムに行った以外は、本も読まず、TVを見たりPCを見たりして過ごした反省すべき一日だった。
ただ、午前中ヤケドムシについて調べ、その関係でチャドクガのことで、7月に未掲載で書きかけのブログがあるのに気付き、書きかけて又中断したり、そこから話が飛んで「ネコの休憩所」を書いたまま未掲載状態で放置しているが、それで日程がずれ込み、そこに再び竜巻のニュースや大雨のニュースがいろいろあったので、気になって長い間TVを見て時間を潰した。

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言葉、読み方、使い方、感性

2013年09月05日 11時45分10秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
とある番組のナレーションでテロップに「即興」とあるのに、ナレーションでは「そっこう」と聞こえた。
聞き取りが悪かったのかと思ったが、その言葉は何度も繰り返された。
どう聴いても「そっこう」と聞こえる。

そこで国語辞典を調べたが「即興」は「そっきょう」の読みしかない。
即座に、その場で歌や詩を作るという意味で、即興曲とか、即興で作るとか演じるとかの使い方で、一般的に使われている。
最近は、すぐにやるという意味の、「即行」という言葉も耳にするので、ナレーションがそれと間違ったのか、私の聞き取りが悪かったのか分からないが、映像の内容はその場にあわせて作るという感じで、即実行するという「即行」でも間違いではないが、興に乗って作るという「即興」に近いような感じに思えた。

近年TVで気になるのは、テロップの誤字とか読みの誤りの多発である。
特に民放の場合は多いような感じがする。

私もこのブログを書きながら、とんでもない誤字を見逃してそのまま投稿してしまうことは日常茶飯だ。
言い訳になるが、ある程度ブラインドタッチでも打てないことはないが、癖で半分ぐらいの時間は、キーボードを見ながら文字を打っている。
完全にブラインドタッチで打っていれば、間違いを見逃すことが少ないのだが、癖をなおすのはむずかしい。
努力して完全ブラインドタッチで打つ癖をつけるようにしたい。

こうしたことに関連して言うと、文章を書く場合、今やすっかりPCにおんぶにだっこという感じになっている。
そのため、ペンを持って字を書くと元々下手な字が、更に下手になってしまった。
しかも、手書ではPCの変換機能が使えないので、文字は読めてもかけなくなった字が多くなった。

普段から手書の日記を書くことで、漢字を忘れないようにし、同時に美しい文字や正しい筆順で書けるトレーニングをする必要がありそうだ。
このことは、今年の春に決心してやろうと思って実行したが、文字通り三日坊主になった苦い記憶がある。
「継続は力なり」で、毎日数行でもいいから、今日から再び手書の日記をかくようにしたい。
挫折すれば、その次の日から再開すればいいのだ。
とにかく、少しでも続ける努力をしたい。


更に、関連したことを言うと、文字や文章は言葉であるが、その言葉の誤用も多いらしい。
ワイドショーやバラエティー番組でもよく取り上げられる話題だが、多くの人が間違った意味で、ことわざや、単語を使っている場合が多い。
教養豊かな人や、文章や言葉を仕事として扱っている人ですら、たまに間違うこともあることは、バラエティー番組の言葉に関するクイズ等で、よく見かけるられる。
業界や仲間内では日常的に使用されている言葉でも、世間では聞きなれない言葉も多くあり、その場合はその言葉を公の場で使うと、うまく意思疎通ができなくなる。

このように言葉に関しては誰でも間違ったり誤用したりする可能性があるので、聴きなれない言葉や疑問に思った言葉に関しては、出来る限り国語辞典をこまめに引くようにしている。

言葉は、意思伝達(コミュニケーション)のための重要なツールだ。(意思伝達にはそれ以外、表情、身振り手振り、声の調子等その他、美術・音楽等の芸術表現等様々な要素がある。)
特に複雑な考え方や思想や抽象的なことを正確に伝えるには、言葉の表現にたよるしかない。(感情や雰囲気等の表現については、音楽・美術の世界も主要な表現である)

言葉の芸術である文学や短歌・俳句を含む詩を味わおうとすると、言葉に対する感覚を磨かなければ味わいが浅くなったり、誤った解釈をしたりすることになる。
特に最短に詩である俳句や短歌については、一言や助詞の使い方の違いでも大きく意味が変わる。
その意味で、短歌や俳句を作ることは言葉やイメージ・感性を磨くトレーニングになるのかもしれない。

美術や音楽を鑑賞するのと同様、文学や詩も言葉に対する感性を磨かなければ、すばらしい作品を深く味わうことが出来ない。
即ち、文学や詩は誰でも読めるし面白いが、多分言葉の感性を磨くことによりより深く味わえると、思っている。(私の言葉の感性は、深いものを味わえるまでには、程遠いと思っている。将来同じ小説なり詩を読み返して、感動が深くなったり、面白さが分かれば、言葉の感性が現在より高くなったといえるのだろう。)

感受性は常に磨く努力をしなければ、深まらないし、放置するとすぐにさび付くと思っている。
感性は、優れた作品に数多く接することで、高められるのかもしれない。
言葉の広がりは、言葉による内面世界やイメージの世界の深さや広がりと思っている。



参考
言葉以外のコミュニケーションとして、視覚・聴覚に関しては、美術・音楽という 別の表現・イメージの世界がある。
そうしたもに、言葉を加えて表現したものが、映画、演劇、パフォーマンス、歌曲・民謡・民族音楽、文字入り絵画となる。
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