散歩者goo 

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都構想批判・維新批判とブログ閲覧数

2013年09月23日 12時46分03秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
きのう、堺市長選挙情勢で、維新が現職市長に迫る追い上げを見せているという分析が朝日新聞に出ていた。

維新は、自民党から共産党までのほぼすべての政党を敵に回し、すごい善戦をしていると感じた。
素人では有るが、マスコミ情報(マスコミ情報が偏ったり誤っていることも多いので正確とは言い切れないが、少なくとも他の情報よりは信頼できる確率が高い。)だけを頼りに、私が考えた原因は、
維新の会の、タウンミーティングにあると考えた。
小規模集会を、くまなく開く手法は、大阪市長選でも行われた。
他の陣営でも、選挙時に小規模集会を開くが、大物は来ないことが多い。
ところが、維新の場合は、大物もこまめにそうした集会をまわっている。
特に橋下氏の演説を直接聴ける効果は大きい。
熱弁をふるい、既存政党批判を繰り広げ、夢を語り大衆を魅了するのである。
しかも大阪市長選挙の場合でも、小学校単位で繰り返しやっていたような気がする。


私の知人も、タウンミーティングに参加して橋下知事の話を聞き、すっかり維新ファンになったひとが、維新の政治・橋下市政が実現すれば、大阪に人が集まり、経済も向上し、小さな飲食店も繁盛するようになると、目を輝かして話していたことを思いだす。

このとき以来、タウンミーティングの威力に注目していた。
大阪市長選前から、当時の橋下知事は知事でありながら、維新主催の各区のタウンミーティングに精力的に出席し都構想実現に熱弁をふるっていた。
一方平松市長は、タカをくくっていた。
その結果見事に、橋下市長が勝利した。
私は、この勝因は、本気のタウンミーティングにあると見た。

このことを、TWに書くと、ブログのアクセス数が伸びた。
ところが、昨日の日記は誰も読まないだろうというタイトルで、内容の無い記事だったし、現実に昨日の日記が読まれたアクセス数は、少なかった。
だのに、主に読まれていたのは、5月下旬に書いた橋下市長の記者会見の批判記事と、その後の日付の園芸を含む日記の記事だった。

最近TWに維新関連の批判記事を書くと、必ず先にあげた記事が読まれ、閲覧数が上がることに気付いた。
検索のせいで、一時的に過去のブログのアクセス数が数週間上昇したことはあるが、その場合検索されるページは決まっていた。
ところが、上記の現象は、FBに維新批判を書くと起こるのだ。

私が考えすぎなのかも知れないが、これは、君が代斉唱のときに、校長が教員の全員の口元をチェックするように、誰が敵でどんな記事を書いているのか、維新支持者達が調査しているのではないかと妄想したりもする。
ただ、以前には、こんな現象は一度も無かった。


ところで、維新政治の現実は、どうだろう。
民間の再開発の努力とアベノミクスの効果で、大阪の景気が多少上向いているようにみえるが、大阪独自の力で上向いているとは言いにくいし、大阪が他府県と比べてかなりの勢いで、経済力をつけているといった話は聴いたことが無い。

維新発想のきっかけになったのではないかと思われるのは、府市間のいざこざ、即ち市が府に従わないことが橋下氏が府知事時代に問題となったことである。
例えば、現在でも、府大と市大の統合問題は、力ずくで実現しそうだが、水道事業の統合は、見込みが立っていない。
統合によって、市の水道料金が上がることは目に見えている。

堺市も大阪市と同じ構図である。
府市統合で膨大な二重行政が削減できるのは本当だろうか。
現状、府市仲良くしていても、少しの削減はあったという話はあるが大幅な削減の話は聞こえてこないし、かえって特別区の設置のほうが、区議会等コストがかさむかもしれないのだ。

都市と農村部の行政のあり方は、人口密度や施設の集積度により効率の問題でおのずと変わる。
行政には、都市部や農村部といった、立地条件に合った最適の行政が求められるのだ。
先に述べたように、大阪都は地方分権でなく、本質はミニ中央集権で、府知事時代、市が府に従わなかったため、都構想を持ち出したように見えるのだ。

現に、府市同じ維新政権になって、府市間の障害がなくなっても、大阪府政や市政が際立って良くなったとも思えない。
本当に、地方分権するなら、道州制にして、道州制単位の経済圏にして、都道府県を廃止し市町村を残すのも一つの方法かもしれないが、大阪都を独立させる必要性は無いのではないか。
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