上海双龍ラグビー倶楽部

上海にてラグビーを愛する者達の活動報告です。

(Vol.36) かけがえの無い時間(或る親御さんのお便りから)[②]

2007-11-20 18:51:21 | その他
高校ラグビー神奈川県決勝戦の結果、桐蔭学園(43)vs(12)東海大相模。
全国大会(花園)出場、おめでとうございます! 

これで、書き続け易くなりました。



(Vol.33[①]より つづく)


さて、トップリーガーであれ少年ラガーであれ、レギュラーであるか否かと
いうのは、多少意味合いは異なるんだろうけど「たかが」では済まされない
大問題である。

トップリーグの或るチームのHPには、中々レギュラーになれない、或いは
上と下を行ったり来たりの選手の悲哀が面白可笑しく、しかし優しい眼差し
で綴られるコラムが有って、ホロリとさせられる事が有る。トップリーグの
チームに所属する程である。それだけでもう全国のラガーマンピラミッドの
頂上選手であろう。しかし、高校では花園の常連校、大学でも有名どころで
レギュラーだったその選手の「たくさんの観客の前で試合をしたのは何年か
振り」というコメントは奥深い。この選手は社会人になって長らく、練習中
はマシン代わりにスクラムやタックルの「台」を務め、試合の日には競技場
の外で「チームグッズ」を売り、ファンには応援用の小旗を配りと、つまり
2軍3軍で踏ん張ってた選手だ。レベルの違いこそ有れど、上だの下だのの
達成感や挫折感というのは付いて回るものだろう。

前号に掲載の「ご子息」が「とてつもない強豪校に入ってしまい、仮に1軍
の機会は無くとも…」のシーンに、自身の高校時代を思い出す。

ホロ苦い昔話だが、何を隠そう僕も花園の経験者である。しかし花園の芝生
を踏んだとは言え、やっとこさのリザーブ(背番号⑯)で入場行進だけだった
からなぁ。ある日「オレ、花園ではスタンド(観戦)やったんや」と言ったら、
ドルマン徹に「えええ~ッ(そのデブ体型で)スタンドオフやったんですか?」
と驚かれたのには苦笑した。ちゃうがな……。僕らの時は、最後の最後まで
21人の3年生が残り、ピーク時には3学年の合計数が70人強と、公立の
普通科高校という事を考えると、昨今では考えられない程の大所帯であった
訳だ(*4)。勿論、リザーブに入れなかった3年生も何人か居た。大阪府の
ラグビーの強豪校と言えば、現在では大阪工大高(*5)、啓光学園(*6)、
東海大仰星、大阪桐蔭、大阪朝鮮……と、何れもが私立。しかし僕が高校生
だった当時は、阪南の他、淀川工、島本、牧野、茨田………といった公立の
高校(*7)が全国大会へ出場出来るレベルで君臨し、いわば「公立旋風」が
ナニワの街に吹き荒れていた時代。

(*4)「部員総数16人でも背番号⑯やったかも知れんで」というご意見も、
   無い訳ではない。
(*5)学校名がいかめしいと、新入生の募集もままならないらしいという事
   で、来年春からは「常翔学園」という、全く軽っちょい名前になって
   しまうらしい。何かラグビー、弱くなってしまいそう。
(*6)阪南が2度目の全国大会を勝ち取った時の決勝の相手が、当時新興校
   として売り出し中の啓光学園。自慢しても仕方ないか。
(*7)双龍の小組織に「電池の会」というのが有ります。これへの参加資格
   は「大阪の公立高校の卒業生(*8)」という事です。

   (*8)共通の体験として、中学3年の三者面談の帰り道、保護者から
      「頼むから公立に入ってぇ~」と哀願された事が挙げられる。
   
最後の夏合宿。「明日、山を下りる」という晩、いわゆる「レギュラー当確
に非ず」の3年生(6~7人居たか?)に監督の部屋から緊急召集令状が発令
された。それを伝えに来たOBが、ヨタヨタと廊下を歩く僕らの後ろから、
「オマエら何を言われても口答えするな、ひたすら下向いて謝っとけ!」と
ビビらせるご忠告。まぁ我々ラグビー劣等性だから、こりゃ絶対に「出来が
悪いっ!」とか、或いは合宿中にちょっとだけやんちゃした事とか、何れに
しても怒鳴られるもんだと思って覚悟して行ったら、案の定、監督とコーチ、
それにOBの皆様が皆様とも、怖い顔をして「そこへ座れ!」と。もっとも
高校生なんで、合宿中のやんちゃと言っても限度が有るし、アレコレ記憶を
辿ったけど、そこまで怖い顔をされる様な事件も思い浮かばない。重苦しい
時間が流れ「万事休すか」と垂れた頭の上から落とされた雷は………、

「ここまでのチームへのサポート、本当に有難う。3年生がこんなに残って
くれて本当に嬉しい。お前らが居てくれてるから、お前らが上を押し上げて
くれるから上も強くなれるんだ。強いチーム内には、強い2本目、3本目が
必ず存在するもんなんだ。森田、お前最近になって、やっとトイメンと互角
にスクラム組める様になって来たなぁ(*9)。【中略】勿論、これからも上
を目指して頑張って欲しいし、若しそれが叶わなくても『強い阪南の2本目』
として、誇りを持って、またチームをサポートし続けて欲しい。」

………とまぁこんな内容の、涙腺を大破裂させる雷だった。

我々3年生は全員、ヘナヘナと崩れ堕ちる。コーチ、そしてOBが爆笑する。
シビレの切れた両足の感触にも、泣くに笑えない。

(*9)本職はHOだったが、3年時は右PRで練習する機会の方が多かった。
   トイメンの「コーちゃん」はイイ奴で仲も好かったけど、PRという
   ポジションは、トイメン、つまり相手の1番を幾らブイブイいわして
   潰したとしても、それで上へ上がれるのは味方の1番であって、自身
   としては相手の3番との「相対的な競争」で勝たないと上には上がれ
   ないという、何とももどかしい位置付けなのだ。



(つづく)
コメント
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