長女が亡くなった二ヶ月後の平成12年7月7日、七夕の日。長女の弟(長男)
に第三子が誕生した。その誕生には、亡娘との不思議な関わりがあった。
長男の嫁は流産の恐れから、S病院に入院した六日後に、手当てが難しい
からと○○か△△に所在する病院へ転院することになった。救急車の後に続
き着いた病院は、亡娘の実家に近い病院だった。後で確認したところ、移動中
にA病院の特別室一部屋が空いていることが確認され急遽変更になったもので、
入院三日目には、帝王切開により798㌘と超未熟児の「孫」が誕生した。
順調に成育し普通分娩だったらS病院で誕生し、A病院とは全く関わりのない
ものだったが……。
そのA病院は、私達の初めての子が産声を上げた地であり、その子が長女で
した。また、亡娘が角膜を提供し、それを受けたのもA病院だった。
母親も順調に回復し、乳児を残して退院した。病室の入り口には、いつもドライ
フラワーが飾れているが退院の前日、孫の母親が入室していたその入口だけ
に、何故か生花の「トルコ桔梗」が飾られ、しかも、亡娘のエッセイにも登場する
ほどに娘の大好きな花だった。
咄嗟に、「お姉ちゃんが赤ちゃんを見守っているから安心して退院していいよ」
との姉からのメッセージだと長男夫婦は感じ取ったと……。
私達も、これはきっと「娘があの世から大丈夫だよと私達へ語りかけているの
かもしれない」と受け止めた。
加えて、孫の誕生予定日は9月28日だったが、長女は9月23日にこのA病
院で生を受け、そして長女が眠る、ここはA病院を眼前に眺望できる場所にある。
ところで、長女が入院中に小さなテーブルに向かって書いていたノートには、
入院し日からの治療内容が克明に、しかも確かな字で記されていた。それも入
院後の二ヶ月以降は空白となり……その後にポツンと一字? 力を振り絞って
書いたのでしょう。解読が難しい線のからんだだんごのような文字。これを読み
見たときに、あらためて、苦悩と苦しみに頑張っていた娘、そして脳裏に残る
あの病床での226日間にわたる娘の様々な姿が何時も思い起こされる。
その娘に見守られていたのであろう孫も143日間の入院中には、「未熟児網
膜剥離」の症状で三度にわたる目の手術を受けたが、「情けは人の為ならず」と
でも言いましょうか亡娘の角膜提供行為が、弟の子にその力が与えられたのだ
と思いたくなるほどに、心配していた目もほぼ全治し、改めて、孫は、娘に守られ
たんだと実感し、亡娘と孫の不思議な繋がりを私達は今でも感じている。
「うん」から「あ」へと時は流れ、そして受け継がれ、入院中には度々呼吸をす
ることを忘れたこともあった孫は、今は、「オメー、ばかやろうー」などとと言いなが
ら兄弟4人のなかで暴れまわっている。
に第三子が誕生した。その誕生には、亡娘との不思議な関わりがあった。
長男の嫁は流産の恐れから、S病院に入院した六日後に、手当てが難しい
からと○○か△△に所在する病院へ転院することになった。救急車の後に続
き着いた病院は、亡娘の実家に近い病院だった。後で確認したところ、移動中
にA病院の特別室一部屋が空いていることが確認され急遽変更になったもので、
入院三日目には、帝王切開により798㌘と超未熟児の「孫」が誕生した。
順調に成育し普通分娩だったらS病院で誕生し、A病院とは全く関わりのない
ものだったが……。
そのA病院は、私達の初めての子が産声を上げた地であり、その子が長女で
した。また、亡娘が角膜を提供し、それを受けたのもA病院だった。
母親も順調に回復し、乳児を残して退院した。病室の入り口には、いつもドライ
フラワーが飾れているが退院の前日、孫の母親が入室していたその入口だけ
に、何故か生花の「トルコ桔梗」が飾られ、しかも、亡娘のエッセイにも登場する
ほどに娘の大好きな花だった。
咄嗟に、「お姉ちゃんが赤ちゃんを見守っているから安心して退院していいよ」
との姉からのメッセージだと長男夫婦は感じ取ったと……。
私達も、これはきっと「娘があの世から大丈夫だよと私達へ語りかけているの
かもしれない」と受け止めた。
加えて、孫の誕生予定日は9月28日だったが、長女は9月23日にこのA病
院で生を受け、そして長女が眠る、ここはA病院を眼前に眺望できる場所にある。
ところで、長女が入院中に小さなテーブルに向かって書いていたノートには、
入院し日からの治療内容が克明に、しかも確かな字で記されていた。それも入
院後の二ヶ月以降は空白となり……その後にポツンと一字? 力を振り絞って
書いたのでしょう。解読が難しい線のからんだだんごのような文字。これを読み
見たときに、あらためて、苦悩と苦しみに頑張っていた娘、そして脳裏に残る
あの病床での226日間にわたる娘の様々な姿が何時も思い起こされる。
その娘に見守られていたのであろう孫も143日間の入院中には、「未熟児網
膜剥離」の症状で三度にわたる目の手術を受けたが、「情けは人の為ならず」と
でも言いましょうか亡娘の角膜提供行為が、弟の子にその力が与えられたのだ
と思いたくなるほどに、心配していた目もほぼ全治し、改めて、孫は、娘に守られ
たんだと実感し、亡娘と孫の不思議な繋がりを私達は今でも感じている。
「うん」から「あ」へと時は流れ、そして受け継がれ、入院中には度々呼吸をす
ることを忘れたこともあった孫は、今は、「オメー、ばかやろうー」などとと言いなが
ら兄弟4人のなかで暴れまわっている。