日本では年末に大掃除が行われますが、アメリカでは長い冬が明け、春になったら大掃除、という風習があります。昔は家を閉め切って、暖炉のすすなどが溜まっていたので、それを春に一気に落とす、という意味合いがあったらしい。うちはもちろん暖炉はありませんが(アパートだし)、ものがあふれ返って歩くだけですねにあたって腹立たしいので、昨日は一気に掃除をしました。おもちゃも種類別に分け、本棚を動かし、ちょっと模様替えもしました。なんかすっきりした感じ。でも、片付ける隙から、上の子は米をまき散らし、下の子はクラッカーをまき散らし、気が遠くなります。
ぐちゃぐちゃ取ってあった郵便物も、一気に処分。なくなったおばあちゃんと、まだ生きてるけど一応両親からのものだけ保管することにして、あとはえいやっと勢い良く捨てることに。常日頃、私には友達がいない、と思っているけれど、良く振り返るとゴミ袋2杯分も手紙をくれていた友人がいるのだ…とはっとしました。
でも。この作業をしながら、私にはやっぱり欠落しているものがあると思わずにはいられなかった。土曜日の夜に夫にぼつぼつ話したんだけど…私、多分感情の何か大切な部分が足りないと思うのです。子供の頃から、他の人たちが感動したり、喜んだり、泣いたりしているのを、まったく理解、同調できず、不思議な気持ちで遠くから眺めることが多かった…。意地悪とか、極悪なんじゃないと思うんです、自分では。でも、良い人でもないと思う。何かに夢中になれることもなく、与えられたことはとりあえずこなすから忙しくしてるけど、実は興味のあることがほとんど皆無。趣味とかないの。しかも、表面上外交的に演じているけれど、実はそれは仮面。本当の私ではないのです。本当の私は、誰とどうやって付き合えば良いのか分からない。分からないからいつも交わらないように、深入りしないようにしている。でも、とりあえず誰とももめごとは起こさない。だから良い人と言われたり、お人好しと言われたりする。良い人じゃないし、お人好しでもないのに。
やばいよね、これ。
夫はちゃんと聞いてくれたけど…分かったんだろうか?
彼は、私のどこかがおかしいのは分かってる感じ。切れるし、暴れるし。でも、問題の本質は多分分かってない。
以前、会社の同僚に「○○州の知り合いが(名前忘れた)、××さん(私ね)のことよーく知ってるって言ってましたよ」と言われたことがある。私は、その州に知り合いがいる認識がなく、結局誰だか分からず。私が一生懸命考えているのを、その、1年に一度しか会わない同僚(それが誰かももう忘れた)はにやにやしながら試すような目で見ていたけど…正直に「私のことをよーく知ってる人なんていないと思うの。だから、自称私をよーく知っている人はほらふきです」と言ってやれば良かったかな(笑)