明けましておめでとうございます。
日本の実家で静かな新年を迎えました。
大みそかは「紅白歌合戦」が終わるころテレビをつけて、新年へのカウントダウン番組を英国の自宅にいる夫と見ました。
年が改まる瞬間を私とすごしたい、という夫が英国よりも9時間早い日本の年明けにつきあってくれたのです。
(私たちは、ディスコード Discord というビデオチャット・アプリケーションを家族の通信に使っています)
夫が「もうすぐだぞ」と言ったあたりで、私のあずかり知らぬところで盛り上がっていたにぎやかな紅白歌合戦が終了、「ゴ~ン…」という荘厳な除夜の鐘の音とともにテレビの画面がどこかの由緒ある山寺の山門のシーンに切り替わりました。
「なんだなんだ?」といぶかる夫に除夜の鐘のコンセプトを説明しているうちに、全国各地の神社仏閣に初もうでに詰めかける善男善女や、コンセプトの説明不能な宗教儀式(護摩をたいたり祝詞をあげたり…?)を執り行う僧侶、神官の様子がつぎつぎと画面にうつりました。
ああ…そうだった、これが日本の年明けだった…
ストックポートの我が家には、娘のインターネット・ゲーム仲間たちが宿泊していました。
夫と新年のあいさつをした後、娘はじめ、昼間の階下のキッチンに集結したゲスト3人ともあいさつを交わし…私は寝ました。
翌朝、元旦です。日本時間の午前9時前にこんどは夫にチャット電話をかけて、英国の年明けにお付き合いです。
カウントダウンの後、夫と再び新年の挨拶を交わし寝室の窓から、四方八方の夜空に上がる花火を一緒に見た後、階下のニューイヤーズイブ(年越し)パーティのゲストたちにも挨拶をしました。
階下のテレビでは、ロンドンのビッグ・ベンの上空に上がる華やかな花火と大歓声が映し出されていました。
これが、英国の年明けです…と言うか日本以外の国ではドンドンパーン(花火)や歓声、イルミネーションやキスやハグが年越しの標準なはずです。
英国の大晦日、午後いっぱいテレビで世界各国の年明けの様子を生中継して映し出します。
まず最初に南半球のオーストラリア。シドニーのオペラハウス上空にドンドンパーンと歓声、そして中東、東南アジアと続くカウントダウンと年明け映像にはいずれもドンドンパーン。コンサート、民族舞踊、レーザー光線のディスプレイなどが加わることもありますが、基本的にはお祭り騒ぎです。中国も同様。
北朝鮮までもミニスカートの軍服を着た女性歌手の歓喜の歌で年が明けるのに、その1時間後の日本では、ゴ~ン...(除夜の鐘)と厳かな寺社の儀式風景…なんですよね。去年は成田山の参道(だったと思います)でNHKの女性アナウンサーが厳かに「新年あけましておめでとうございます」というシーンが英国のテレビで流れました。
日本人はそれほど敬虔な民族だったのであろうか。
違います。違いますよね。
日本人はよく自分たちの信仰心のなさと節操のなさを自虐的に「神社の氏子としてお神輿をかつぎ、お葬式は仏教式で結婚式は教会で」なんて表現しますよね。信仰というより慣習でしょうか。
実は、そういった慣習的なかかわりすら拒絶し、本来の宗教であるキリスト教会と隔絶した人が非常に多い英国人のほうが概して言えば…宗教離れは激しいんですけどね。
写真はすべて地元の神社、元日の船橋大神宮です。
神社周辺には参拝(お祓い?)目的の人々の想像を絶する長蛇の列ができていました。日本人の強い信仰心のあらわれでしょうか。
…違うと思います。無病息災満願成就をねがう素朴な神頼みですよね。
警備のスタッフに「参拝せずに境内を見て回るだけなら列に並ばなくてもよい」ということを確認して、並ばずに入りかなり「俗っぽく」楽しい境内の出店を見物して回りました。
境内の高い位置にある、船橋市の文化財である明治時代の木造灯明台(灯台)の内部が一般公開されていました。
畳の部屋に座ってのんびり眺望を堪能できました。
解説も見張りもなく、勝手に出入りできる貸し座席みたいでした。食べ物を持ち込んでパーティなんかもできそうです(やる人はいないでしょうけど)
地域の住人を見守る地元の神様といっしょに年始を楽しむ日本人の宗教に対する姿勢、けっこういいですよね。
信仰に真剣に帰依するか、完全にかかわりを断つかふたつにひとつのキリスト教、イスラム教(は、特に戒律もめちゃくちゃ厳しいですし)なんかと違って、宗教を上手に生活に取り入れて余裕をもってかかわっているように思えます。