イングランド南東、ケントKent の古くて美しくて小さい街、ロチェスター Rochester 郊外で夫の姪の豪華な結婚式に参列しました。
その前日に夫と二人で決行したロチェスター観光の記事も読んでください。☟
今日は、まあその続きです。
結婚式はクーリング・カースル・バーン Cooling Castle Barn というイベント(もっぱら結婚式)会場でとりおこなわれました。
ロチェスターから北に約10キロ、果樹園と平坦な緑の農地ばかりのクーリング Cooling という田舎町にある古城 Cooling Castle は、見栄えのするゲートハウス gatehouse とバラバラと残る外壁と塔が残る廃墟です。1380年の建造だそうです。
ゲートハウスの横にバーンと広がる17世紀の巨大な木造建築、バーン barn (納屋)が挙式と披露宴の会場として使われました。
ホテルから見知らぬ招待客2人(花嫁の大学の同級生の若い男性2人)とタクシーで相乗りしてきた時に窓からチラッと見ただけのゲートハウス(中央) と、そのとなりバーンの写真は...
かなりのルール違反ですが、イベント会場、クーリング・カースル・バーンのウェッブサイトから借りちゃいました。
花嫁の大学の同級生2人も私たち夫婦も、地元のタクシー会社に時間の余裕をもってホテルに迎えに来てくれるように予約をしていたのにもかかわらず、すっぽかされました!そんなわけで私たち2組は声を掛け合って新たにタクシーを呼んで集合時間まぎわに到着したのです。古城見物する余裕は全くありませんでした。
...といっても、集合時間から式の開始までずいぶん時間がありました。
バーン(上の写真右側)から中庭を囲み込むように直角に増築された広大なレセプションホールに集まった私たち招待客は、司会進行役の赤い燕尾服を着た美声の男性に、式の開始まで1時間近くの間「外に出ないように」と固くくぎを刺されました。
支度を終えた花嫁と母親、ブライドメイド bridesmaid (花嫁の 介添え)に参列客が遭遇してしまうとマズい「縁起かつぎ」のためです。
花婿が前夜から式前に花嫁を見るのはタブー中のタブーなのです。招待客も式まで見ないように気をつけます。ちなみに花婿が式前に花嫁衣裳を見るのも絶対ダメです。
...たぶん、花嫁とその取り巻きは(花婿や招待客抜きで)美しい庭園や古城を背景にプロのカメラマンによる写真撮影をしていたんじゃないかと思うのですが。
暖炉に火が燃える暖かい屋内で新郎新婦の友人たちが歓談に予断なく、同窓会のようなにぎやかさでした。どちらかと言うと年齢のいった私たち親戚も去年の夫の父のお葬式以来の再開でにぎやかに旧交を温めました。
バーでふるまわれるお酒はいくら飲んでもいいものですから、けっこうお式のまえに出来上がっている人もいましたっけ。
新郎新婦はどちらもそれぞれ、英国最難関の二つの大学の卒業生です。お互いの友人同士の紹介で15歳の時に知り合った初恋どうしだそうです。小学校から大学まで別々だったため、共通の友人もあまりなく、招待客の人数が膨れ上がっちゃったようでした。
式は宗教色抜きの登記所挙式 register wedding でした。
登記所の係官が式場に出張して、列席者の前で宣誓、署名させるシンプルな形式の挙式です。
とは言え、お金はかかっていたようです。
クーリング・カースルについて調べようとグーグルした夫は、はずみで最初に出てきたこのイベント会場の結婚式プランの値段一覧を見てしまいました。弟が姪の結婚式にいくら使ったか勝手に胸算用してのけぞるような巨大な金額を私に教えてくれました。(よその家の結婚費用の詮索なんて品が良くないのですが、ウェッブサイトに明記されているものですから知っちゃっても仕方ありませんよね)
伝統的に英国では花嫁の父が挙式、披露宴費用を全額負担します。夫の弟には他に娘が2人います!花嫁の姉(婚約していて今年の夏に挙式予定)と妹(同棲中)が!
宣誓式が終わるまで撮影は遠慮するよう言われました。プロ仕様の機材を抱えたプロのカメラマンはもちろんさまざまな角度から式の進行をすべて激写していました。
宣誓式後の写真撮影は歓迎だそうです。ただし、翌日の正午まで Facebook や Instagram などに新郎新婦の写った写真を投稿しないようにという、不思議なお願いがありました。
夫の妹によれば、「プロの写真家が撮った写真をまっさきに見るのは花嫁であり、その前に他の人たちが結婚式の写真を見るのはよろしくない」という比較的新しい(?)SNS時代の決まり事か何かがあるようです。縁起かつぎの類ではなく、礼儀だそうです。
伝統的な結婚式では登記所でも教会でも、花嫁の父が娘に腕をかしてエスコートして花婿に引き渡すことになっているのですが、今回は父と母が花嫁をはさんで入場するという斬新な演出でした。
式後に屋外で新郎新婦が写真を撮ったあと、新郎新婦と新郎新婦の家族、新婦の友人、新郎の友人、新婦の親戚...という具合に1時間近くかけて記念写真のセッションがありました。
(逆光で見えにくいゲートハウスの塔の下にとめた、新婚旅行用の花婿所有のクルマ、花婿のファースト・ネームを取り込んだ特別なナンバープレートがついています)
そして、暖かい屋内に戻る前のウェディング・コンフェッティ wedding confetti のシャワー 。
よくある小さなベルや蹄鉄、ウィッシュボーンなどの形に切り抜いた薄紙ではなく、小さな封筒にはいった本物のポプリが各自に渡されました。新郎新婦の頭上にいっせいにふりかけて前途を祝福します。(洗濯カゴ大の大きなカゴに半杯ほど余っていたので1袋記念にもらって帰りました)
披露宴はフルコースでした。
私たち「親戚テーブル」で、ベジタリアンではない肉サカナ・コースを予約して食べたのは私と、夫の妹の婚約者だけでした。それぞれ何種類かあるメニューから前もって注文してあります。
食後恒例の花婿、花嫁の父、花婿の父、ベストマン bestman(花婿の介添え役)のスピーチでみんなが正面の主役の座を向いた時の写真です。
夫の弟(花嫁の父)の凝ったスピーチには定評があります。
いきなり、この地で生まれ育った19世紀の有名な小説家のチャールズ・ディケンズの代表作のひとつ「大いなる遺産」とクーリングの関連性のレクチャーをぶちかましました。
会場がちょっと戸惑ったところで「え、およびでない?じゃあ、新婦の隠れたエピソードをひとつ...」と娘のハズカシくもほほ笑ましくもある感動逸話にもっていき会場をもりあげ、花嫁が「お父さん、それはちょっと...」と言い始めたのを機に「ダメ?じゃあ、ディケンズの話、また行きますか」で、大爆笑を取りました。
...今から思えばそんなに笑うほど面白くもなかったのですが、笑えたのです!アクセントの強弱が秀逸で、機会があれば参考にしたいお手本スピーチでした。
英国の伝統的な結婚式次第には、女性がスピーチをする幕は全くありません(ホッ)
食後、バーンにダンス会場の準備ができるまでまたレセプションホールに戻って酒宴です。今度は新郎新婦も列席者のグループをまわって挨拶やおしゃべりに花を咲かせます。
お年よりや子供連れはこのあたりでご挨拶をして退散しました。
食卓が片付いて生バンドや照明を入れたバーンで今度はディスコタイムです。
手前のオジサン、オバサンばっかりが写っちゃっていますが30人以上いた若者集団は奥のほうで新郎新婦を囲んでいます。
新郎新婦のファーストダンスに大きな喝さいをおくった後、私たち夫婦と夫の妹とその婚約者はそこで失礼しました。私と妹はちょっとだけ踊りましたが。
妹の婚約者のクルマでホテルに送ってもらいました。
ダンスと生バンドの騒々しい宴は深夜の1時まで続いたはずです。
日本ではかしこまった披露宴と、会費制で気楽な新郎新婦の友人たちが楽しめる「二次会」を分けて開催しますよね。
英国でも「二次会」のような、友人や職場の有志などが企画してくれるお祝い会のようなものをやることがあるようです。
式が教会の場合、原則として招待されていなくても誰が参列しても良いのですが披露宴は招待客のみ。
このバーン・ウェディング・コースはバー、式、披露宴、バー、ディスコタイムがセットになったコースのようで、招かれたら最後までいられます。最後のディスコタイムは早退しても問題ありません。年配者が帰ってしまうのは想定済みだったのかもしれませんね。
大学を卒業してまだ数年しかたっていない若いカップルの需要にじゅうぶん見合っているようです。(二次会相当の若者たちのお楽しみタイムも花嫁の父の出費です)
今回は私が英国に来て列席した中でも一番豪華な式と披露宴でした。他はすべて立食パーティ形式でしたから。バンド演奏も花婿のお友達だったりとか。
私たちも登記所挙式をしましたが、私たちの子供2人と証人2人のみが列席する安上がり結婚式でした。式後にみんなで登記所近くの中華料理屋で昼食を食べただけです。
夕食後、夜もふけた9時ごろだったと思いますが、ダンス会場の準備街の間ちょっとだけ、夫とゲートハウスの外に出て道からバーンとゲートハウスをながめてみたのですが、見えたのはライトアップしてあるイベント会場の看板だけでした。
城壁とゲートハウスがライトアップされていなくてがっかり...どころか、街灯すら全くなく、真の闇。どこからどこまでが道か農地かもわからない暗さで、行き返りはスマートフォンの灯りで足もとを照らしながらこわごわと歩きました。