イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

善男善女の浄財を子供たちの支援に使う地域の取り組みと小銭の始末

2025年01月19日 09時29分38秒 | 日本

船橋駅周辺の公共アートについて記事にした前回につづいて、駅構内の「公共アート」もご紹介します。

ローカルな話題で恐縮ですが、後半、何とか英国の話題につなげることに成功しました!

「さざんかさっちゃん」像。

写実的な半身像と、かわいらしいマンガキャラクター像の変わった組み合わせが謎めいたブロンズ像です。

JR船橋駅と建物を共有する東武鉄道の敷地内にあります。

管理するのは、設置にもかかわった東武デパートだそうです。

さっちゃん像は長年、待ち合わせスポットとして親しまれています。

さざんかさっちゃんって誰?昔から気になっていました。調べました!

渋谷のハチ公のようにこの場所に関係のある実在の人物ではなく、進学困難なおもにひとり親家庭の子供の進学を支援する地域独自の募金活動のマスコットとして作り出された架空の女の子、みたいです。(現在、さざんか募金活動基金は教育支援に限らず、公益性の高い複数のチャリティ活動に使われているようです)

像が募金箱になっています。

設置は1980年。

2010年に設置30周年記念式典が行われ、9歳の時に「さっちゃんのモデルになった」女性もかけつけた、という新聞記事を見つけました。今年は45周年目ですね。

えっ!って言うか、さっちゃんって船橋市の市章(市花)であるサザンカをつけた野球帽の子(小さいほう)じゃないの?!

モデルになったのはどう考えても写実的な半身像(大きいほう)ですよね?

「さざんかさっちゃん」で検索すると上記の新聞記事ふくめ、混乱する記述いくつかにヒットします。いわく前に座っているのはさっちゃんではなく弟の「福太郎君」とだとか(それは誤情報です。この子はスカートをはいています)

さっちゃんは間違いなく野球帽の子です。じゃあ、9歳の少女がモデルをつとめた後ろの写実的な半身像は誰?

大きさの比率や伏し目がちの落ち着いた表情から、写実的な半身像はさっちゃんのお母さんだとずっと思っていました!

育英金募金運動なんだから「あしながおばさん」ってこともありうる…。とにかく、さっちゃんを温かく見守る大人の女性だと思っていたのですが、モデルが9歳!ふたりとも女の子だったんですね!じゃあ、なぜ2人…?

写実的な少女像を後ろに配したのは、漫画キャラクターだけだとアートとして軽んじられるんじゃないかという懸念でもあったのでしょうか?

 

2020年3月の時点で、さっちゃん像の募金箱には通算 724万円の募金が集まったという記事を見つけました。その額は40年間で、多いのか少ないのか? 

そう言えば、お金を入れている人を見かけたことが1度もありません。

財布の中でジャラジャラ重い小銭を通りがかりに入れていってもいいな、と思っても立ち止まってバッグから財布を出してお金を入れるのはちょっと手間だし、人目を惹きます。

募金箱って、小銭の受け渡しをする会計カウンターなんかにあったほうが入れやすいのですが…日本には、募金箱がある会計カウンターがあまりありませんよね。

英国では、思いつく限りすべての会計カウンターに、地域や全国規模の慈善活動の基金を募るプラスチックの筒状かアクリル板の箱型の募金箱が置かれています。

日本よりずっと早く2,010年頃には「キャッシュレス化」が普及していたた英国では現在、募金箱設置による基金集めに苦戦しているはずですが。

それでも、大半の買い物客は、現金払いでお釣りを受け取ったら少額の小銭は募金箱に入れていくのを習慣にしています。

 

今回の来日で気づいたことがあります。私を含め、現金払いの人たちは小銭を使い切ることに熱心ですよね。(日本で銀行口座を持たない私は日本滞在中はいつも現金払いです)

支払金額が1,543円であれば、2,043円払って5百円玉1枚のお釣りをもらうのはごく普通です。

英国では、15ポンド43ペンスの支払い金額に、20ポンド札に財布から掻き出した小銭43ペンスを添えて支払う人はほとんどいません。20ポンド紙幣のみをぺらっと手から手へ渡すのが普通です。

上記の例では、ほとんどの人が受け取った 4ポンド57ペンス(ジャラジャラ)の釣銭のうち4ポンドは財布に入れ 57ペンス(か、少なくとも7ペンス)を募金箱に入れていきます。

途上国支援のチャリティ団体、オックスファムでボランティアをはじめて以来、6年間の会計カウンター経験談です。釣銭がすぐになくなって厄介です。

日本でも、募金箱をすべての会計カウンターに設置すれば財布でかさばる小銭を減らす努力をする人が減るのではないでしょうか。お店は小銭不足に悩むかもしれませんが。

ガザ攻撃が始まった最初の10日間で「ガザ支援」と書かれたオックスファムの募金箱に浄財700ポンド(13万3千343円)以上も集まったのには驚きました。

支払い時の釣銭のみならず、5ポンド紙幣、10ポンド紙幣もぎゅうぎゅう詰まっていました!(昨日の停戦ニュースは、とりあえず喜ばしいです!)

 

船橋市内のいたるところでサザンカの花が今、満開です。

 

 

 

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定番は子供と裸婦?地方都市の公共アートの必然性

2025年01月16日 13時01分56秒 | 日本

JR船橋駅、北口前広場の巨大な石彫アート作品です。

ハトと幼児。

子供を性的な対象としてみることにつながるかも…と幼児の裸体像を見て居心地の悪い思いをする神経質な欧米人はけっこういるかもしれません。ヨーロッパでは見かけない対象です。

この作品はほほえましい雰囲気を作り出すことに成功していますし、写実性が低く漫画っぽい表現、むきだしなのはかわいいお尻だけ。ぜんぜん問題なさそうです。ただ…そう言われてみると子供の裸の必然性が気になる人も出てくるのではないでしょうか。

もしかすると問題視する人がいるかもしれない「アート」を無邪気に駅前広場に設置する日本人はちょっと…のんきなのかもしれません。

それに、なぜここにアート性は低そうな、それでもかわいいと思う人も一定数いそうな裸の子供たちの像が…?

そもそも、ヨーロッパにはアーティストとのコミッション契約で購入される、屋外の高価な公共アートが日本ほどたくさんありません。(私の知る限り、少なくとも英国では)

日本には、本当に多いですよね。

地域のイメージや地元住人の美意識の向上、文化意識の高さをアピールするなど、いろいろな思惑があってのアート投資なのでしょう。

裸の幼児とハトと同じロータリーに面したブロンズ像、「歓び」。

思いっきり古典的です。作品名に反して表情が楽しそうではありません。

親しみやすい日本人体形なのに、日本では見慣れない竪琴を持つこの裸婦像、寓意的な意図があるのかもしれません。

でも惜しい、駅前ロータリーに大掛かりな陸橋が設けられて以来、ブロンズ像の前の道には歩道がなく歩いて通ることができません。前をバスが頻繁に通ります。

陸橋から下のバスターミナルに降りて幅の広い道路ごしに遠くから鑑賞するしかありません。スマートフォンのカメラで撮ったピントの緩い望遠写真ではじめて作品名を知ることができました。

ブロンズ像の設置は、30年以上前に始まった駅北口前の再開発以前です。背面も二階建ての駐輪設備にかこまれ、そばで見ることができません。

(おそらく税金で購入された)立派な公共のアートを大切に扱っていないようなのが残念です。

 

駅前広場から300メートルぐらい離れた、大通りに面した公園入口には造形的に美しい裸婦ブロンズ像「希望」があります。

やはり安心感をもたらす日本人体形です。顔の造形は国籍不明。

古典的裸婦像も、言ってみれば公園や(しかも人が通れない)ロータリーに設置する必然性が低そうです…

裸婦像はこの地域に限らず日本中の屋外に多数あるようなのに、古代ギリシャ彫刻のような男性裸体像がなさそうなのはなぜ?

この石像も同じ駅前ロータリーの目立たない反対側に置かれています。

「交通安全の像」。

これには、交通安全意識を高めてもらう啓蒙的意図がある…のかもしれません。

なんだか旧ソビエト連邦衛星諸国で製作されたような作風ですね。

 

英国の町の公共アートといえば、建築物を部分的に取り壊した後の大きな壁面や仮囲いなどにプロのアーティストによって描かれたミューラル mural(壁画)など、ポップで安価で親しみやすい一過性のアートが主流です。

それと、多くが20世紀以前に設置された国王や郷土の名士や英雄(軍人)のブロンズ像…

加えて、最近ではポップカルチャーやフェミニズム、公民権運動、スポーツなどで知られた地元出身の有名人の像、それに慰霊のための兵士の像なども各地で見かけます。

 

海外ではお金のかかった永久設置の屋外「アート作品」が少なく、日本にとても多い要因の一つに、日本と海外の公共心の違いを挙げる人がいます。

…たしかに海外では名前やスローガンを独自の書体で壁面に書きつける「タギング tagging 」という落書きが日本より圧倒的に多いです。高名なアーティストの作品を破壊したりタギングしたりされては設置に投じたお金をどぶに捨てるようなものですし、地元の評判に傷がつく…なんて思惑もあるのかもしれません。

とは言え…!

英国ではそこら中にある英雄偉人の銅像、ブロンズ像への破壊行為は知る限りほぼ、ありません。

よくあるのは(ストックポート日報でもたびたびしつこく取り上げてきたように)偉人像の頭の上にトラフィック・コーンをのっけたり、手にビールの缶やブラジャーやコンドームを持たせたり、とにかく郷土の英雄がまぬけに見えるようなイタズラ行為!

迷惑行為ではありますが、破壊行為ではありません。

 

私の考えですが…ヨーロッパ(少なくとも英国)では、日本より税金の使い道に関する意識がシビアだからだと言えるかもしれません。公共の福祉につながらない出費をヨーロッパ(少なくとも英国)の有権者はひどく嫌がりますから。

そういえば、船橋駅周辺の古典的な2体の裸婦像は1,980年代に設置されています。

いわゆるバブルの頃なのでした。ありあまる税金の使い道に苦慮していたのかもしれません。

バブル崩壊後には公共アートの購入を各自治体も控えはじめたのではないでしょうか。

 

市内各所にある遊歩道の、自転車から降りるように促すボラードにとまる…

かわいらしい金属製の小鳥は大量生産でしょうね。気が利いています。

 

子供への性犯罪は日本でも長いあいだ懸念されているはずです。

 

 

 

 

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久しぶりのお気に入りバーガーショップ、思いのほかの高級感

2025年01月11日 22時14分28秒 | 日本

都内の大学街のハンバーガーチェーン店、モスバーガーで友人と昼食を食べました。

数ある日本のファーストフード・チェーンの中でもおいしさで群を抜く(私個人の感想)モスバーガーの懐かしい特徴は…

注文が入ってから調理すること、食材を提供する生産農家の氏名が明記されていることなどのほか…バーガーが紙袋に入って出てくること! モスバーガーだけのことではないのかもしれませんが。

ガサガサ音のする張りのある紙です。

40年近く前はお総菜屋さんでコロッケを入れてもらうような柔らかい紙の袋だった記憶があります。そして「袋から出さずにおめしあがりください」と印刷されていました。

「袋から出さずにどうやって食べるのー」と、当時1人でウケていましたっけ。

そう、袋の中に入って(顔を袋に突っ込んで)食べるのです。

手がトロトロあふれ出るソースで汚れない、食べ物に触らないので手を洗わなくてよい、こぼさない、そして何よりも大口をあけてバーガーにかぶりつくみっともない顔を紙で隠して食べられます!素晴らしい、袋入りバーガー!!!

「一頭買い黒毛和牛バーガー山わさび醤油仕立て」おいしかったです。

 

インパクトのあるキャンペーン名とビジュアルのポスター。

ベジタリアン向きのオプションがないのが、英国ではまず考えられないのですが、べジタリアニズムが市民権を得ているとはいいがたい日本では「バーガー店なんだからあるわけないじゃん」という意見が大勢でしょう。

ベジタリアンもミートイーター meat eater (肉を食べる人)に同行してバーガー店でベジタリアンメニューを注文する英国では、「肉肉肉」という直接的な表現は避けるはず。

(日本的な感覚でも表現が直接的なのは承知の上での、狙ったコピーかもしれませんが)

「え、肉を食べに来るべきバーガー店で?!」と思うでしょう?はい。価値観と社会意識の違いでしょう。

英国ではとても人数が多い(私の夫も含む)ベジタリアンと「黒毛和牛」のおいしさを共有できないのが残念です。

 

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お正月が終わった週末明けに思う日本の祝祭日の多いこと…

2025年01月06日 08時06分27秒 | 日本

キリスト教圏の「年末年始」は昨日6日、エピファニーで終了です。

写真はそれと無関係、昨日友人と待ち合わせした、あの国際観光地、浅草界隈のスカイツリーのある風景…他です。

今年は週明けと重なり、日本でも仕事始めの人が多かったでしょう。

年末に、高齢の父につきそって行ったデパートのダイアリー、カレンダー売り場です。

用途に応じて種類が豊富、機能性がすぐれていてしかもお手頃!買うつもりがなかった私も欲しくなりました。でも、「祝祭日」の日付がで記されている日本のカレンダー、ダイアリーは日本国外で生活する私には不都合すぎて…けっきょく買いませんでした。

大安や仏滅など私には不要な情報の記載は気になりませんし、日本の祝祭日を知っておくのも何かの役に立つかもしれませんが、とにかく赤い日付は混乱のもとです。

日本には祝祭日がめちゃくちゃ多い気がします。私が日本に住んでいた頃より、増えた気もします。

…調べました。年間16日、多いです。増えていました。

実は私が住むイングランドの「法定休日 bank holiday」が年に何日あるのか知りませんでした(スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと日数が異なります)

…調べました。年間8日、日本の半分でした。

その内訳は

元日 New Year`s Day(1月1日)

グッド・フライデー Good Friday(イースター前の金曜日、イースター当日は日曜日)

イースター・マンデイ Easter Monday(イースターの翌日の月曜日)

メイ・バンクホリデイ May Bank Holiday(5月最初の月曜日)

スプリング・バンクホリデイ Spring Bank Holiday(5月最後の月曜日)

サマー・バンクホリデイ Summer Bank Holiday(8月最後の月曜日)

クリスマス・デイ Christmas Day(12月25日)

ボクシング・デイ Boxing Day(12月26日)…以上

日が定まらない「移動休日」が多いですね。

立憲君主制である英国で国王の誕生日が公休日でないことに驚かれた方もいるかもしれません。

bank holiday の和訳「銀行休日」は間違いです。正しくは「公休日」「法定休日」です。もともとは「(銀行が閉まって)経済活動が停止する日」のような意味だったようですが。

「祝祭日」という名称を使わないのは、祝ったり記念したりするわけではない日が多いためでしょう。

グッド・フライデー Good Friday なんて、キリストが処刑された忌まわしい日もありますしね(その2日後には復活しますが)

月曜休みが多いことから、週末を取り込んで連休を増やそうという意図があきらかです。

記念することもない月曜の休みを点在させることに疑問を持つ人はいません!

 

それよりも日本の、名前からは何を記念する日だか判別のつかない「祝祭日」の存在が疑問です…「海の日」とか…

フルタイム勤務者の場合、年に最低28日間の有給休暇が与えられることを法律で保障されていて、しかも全員が有給を使い切る英国では休暇が取りにくい日本と違い、個性的な祝祭日を創設して国民を休ませるための工夫をしなくてもよいのは確かです。

 

日本に来る前に買って持参した小型のカレンダーです。

今年からはダイヤリー手帳の代わりにスマートフォンのカレンダー機能を活用することにしました。代わりに、私専用のカレンダーをキッチンにおいて、家族が見られるようにします。

共有スペースに置くために、夫の意見も取り入れて選んだ「ナマケモノ・カレンダー」、いいでしょう?

英国で市販されているカレンダー、ダイアリーの大半は、主要な英語圏の国すべて(英国4国、アイルランド、合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)対応です。

細かい字で各国すべての公休日のほか、主要な宗教の祭事、二十四節気(例;春分の日)新月満月などの情報が書き込まれています。

(コモンウェルスの一国であるニュージーランドでは英国王チャールズIII世の誕生日が公休日だということを知り、驚きましたっ!)

もちろん各国の公共日の日付も同じ色ですから、混乱することもなく自分に必要な情報だけを丸で囲うなりして利用すればよいわけです。

日本の美しいカレンダーやダイアリーも赤字表記さえなければ海外の人も買って帰って使えたのになぁ…ちょっと残念。なぜか、Sunday, Monday …と英語で曜日表記してあるカレンダーやダイアリーはとっても多かったのですが。

 

《ホンモノ》和服の正装のお嬢さんたちを国際観光地、アサクサで目にしました。

さすがに多いな、着物姿の女性たち...と思ってよく見たらほぼすべてが、スニーカーやブーツにも合うレースの帯揚げ、ビーズの帯締め、明白なつけ帯...が特徴の貸し着物屋さんで着付けてもらった外国人観光客でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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久しぶりの日本のお正月、期待はしていなかったものの特別感はあまりなし

2025年01月05日 01時00分00秒 | 日本

20数年ぶりの日本のお正月が、あっけなく終わりました。

写真は、英国では珍しい「パイロン pylon (高架線鉄塔)のある住宅街の風景」です。

林立するパイロンは電線が極端に少ない英国に住む私には珍しく、青空や夕日に映えて美しく思われます。英国では現在、より安定した電力供給のためシンプルな純白の「Tの字」型パイロンを海岸沿いや丘陵地などに建設する計画がたちあがり、環境/景観保護団体の反発を買っています…都市近郊の住宅街にパイロン…手つかずの自然の風景を脅かすよりずっといいと思います。

お勤めの人にはこの週末も三が日の延長感覚かもしれませんね。

英国の年末年始の公休日はクリスマス(12月25日)と翌日のボクシングデイ Boxing Day、そして元日 New Years Day のみ、1月2日からすでに通常運行ですが、クリスマス前から1月2日、3日と有給休暇を取り週末とつなげてまとめて休んだ人も多いはずです。

前回、夫と娘を連れて来日した時(小学生だった息子は実の父親とクリスマス休暇をすごしました)は私の母が健在でしたので実家でお重詰めしたおせち料理とお屠蘇で祝いましたが、今回は私と高齢の父の2人ですので、略式です。

事前に注文してあった京風のおせち料理の詰め合わせ、それぞれ1食分とパックに入ったお雑煮を温めてお昼に食べました。

(おせち料理が詰まっていた、しっかりした美しい紙の箱は捨てるに惜しく、引き出しの中で文房具を整理するのに使うことにしました…日本では捨てるに惜しい美しい箱がやたらに多いですね!?すべて取っておけばどこの家庭も紙箱だらけになるはずです)

20数年前もそう言えば、デパートで買った出来合いを母の手作りのお節料理とほぼ半々でお重に詰めていましたっけ。私が子供のころ、そして日本に住んでいた30数年前まではほかの多くの家庭と同様、私の実家でもおせちの大半を手作りしていましたっけ。私も手伝いました。

お餅と日持ちするお節料理を3が日いっぱい食べながらお店が開くのを待ったのは、私が高校生の頃までだったかな。当時少しずつ一般的になってきていたコンビニエンス・ストアは元日にも営業していましたし、デパートも2日に開くのが普通になっていた記憶があります。

今回、近所のショッピングモールも大型スーパーマーケットも、大手チェーンのドラッグストアも元日から営業していたのには驚きませんでした。

私が子供の頃、初商いのデパートで振袖姿の女性店員を多く見かけたものですが3日にとおりかかった駅ビルのデパートは全くの通常営業でした。(初売りの2日に行ったらもう少し華やぎが見られたのかもしれませんが)

1月1日にドラッグストアでは筝曲「春の海」がかかっていたのと、ショッピングモールの暮れからの立派な門松…、私が目にしたお正月らしい雰囲気と言えばそのぐらいでした。

新興住宅地の実家周辺では、一般家庭の門松もほぼ皆無、あっても略式の松の緑を左右に1本ずつが標準のようでした。

凧揚げ、羽根つきをしていた子供はもちろん、和服の人も皆無。

私たちが子供のころ、女の子は晴れ着といわずともウールのアンサンブルの着物を着せてもらって出かけたものなのですが。凧揚げ、羽根つきはさすがにもう一般的ではなかったものの、学習雑誌の付録の「ドラえもん福笑い」で友達と遊んだ記憶があります。

昨日行ったショッピング・モールでは、そう、これこれ!日本のお正月になくてはならない「福袋」をほとんどすべての店舗で見かけました!

日本に住んでいた30数年前からすでに福袋には疑問がいっぱい…初商いのデパート前の福袋目当ての長蛇の列は毎年の正月恒例ニュースでした。縁起物で値段以上の値打ち物が詰まっているらしいとは言うものの、「何が入っているかわからないものによく1万円も払えるものだ」とひそかに思っていたものです。

…なんだ、びっくり!今どきの「福袋」って、中に何が入っているのかわかるようになっているんですね、合理的です。

スポーツ衣料店ではブランドのロゴがプリントされた巾着袋にサイズが書かれた札がついていて、ハンガーにかかった中身の実物見本が添えられていました。

楽器屋さんではピアノの上にそれぞれカラの福袋が。福袋にお金をはらったらピアノが自宅に届くみたい。持ち帰ることができるマリンバや「オタマトーン」が入った福袋もありました。

電気屋さんにはテレビや食洗器、空気清浄機などの写真が貼られた無駄に大きい福袋が、眼鏡屋さんには「眼鏡ケアセット」が詰まった透明の福袋がそれぞれ少数…売れ残っていました。

それらは私に言わせれば「福袋」ではありませんっ。おめでたい袋に入った(おめでたい袋に入っていないものもあり)ただの「バーゲン品」ではありませんかっ!?

シーズン末まで待てば、半額近くまで値下げする現在(しかもファーストファッションのシーズン周期は週単位!)福袋のありがたみってずいぶん薄れてきているのではないでしょうか。それでもやっぱり恒例の客寄せ目玉として用意しておく店が多いってことは需要は絶えないのでしょうね。

 

昨日のニュースで「故郷で正月休みをすごした人たちの帰宅ラッシュ」が報じられていました。ああ、懐かしい。

「おじいちゃんおばあちゃんちで凧揚げをした」とインタビューを受けた子供が言ったのをきいて、「おお、田舎では日本の伝統のお正月の遊びが引き継がれているのだ!」と一瞬思ったのは…たぶん違いますね。祖父母は自分たちもリアルタイムで体験したわけではない、お正月伝統の遊びを、孫のためにわざわざ用意してくれていたのでは。

英国ではクリスマスに家族や親せきとすごすのが大勢ですが帰宅はクリスマス後から、新年まで、(今年は今週末まで)期間的に余裕があるので帰宅が集中することは、あまりありません。

晴天続きの日本で、「暮れの大掃除」をきちんとしなかった言い訳が見つかりません…

冬に雨が多い英国では、年に一度の大掃除 spring cleaning は春にするものと決まっています。(クリスマスに人をよぶ家庭では片づけぐらいはするでしょうが)

晴天の日に窓を開けて空気を入れ替えるのも「新生」を意味する春にふさわしいことらしいのです。

 

 

 

 

 

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新年の神社の楽しいお祭りに行って考えてみた日本人の宗教へのかかわり方

2024年12月31日 23時30分19秒 | 日本

明けましておめでとうございます。

日本の実家で静かな新年を迎えました。

大みそかは「紅白歌合戦」が終わるころテレビをつけて、新年へのカウントダウン番組を英国の自宅にいる夫と見ました。

年が改まる瞬間を私とすごしたい、という夫が英国よりも9時間早い日本の年明けにつきあってくれたのです。

(私たちは、ディスコード Discord というビデオチャット・アプリケーションを家族の通信に使っています)

夫が「もうすぐだぞ」と言ったあたりで、私のあずかり知らぬところで盛り上がっていたにぎやかな紅白歌合戦が終了、「ゴ~ン…」という荘厳な除夜の鐘の音とともにテレビの画面がどこかの由緒ある山寺の山門のシーンに切り替わりました。

「なんだなんだ?」といぶかる夫に除夜の鐘のコンセプトを説明しているうちに、全国各地の神社仏閣に初もうでに詰めかける善男善女や、コンセプトの説明不能な宗教儀式(護摩をたいたり祝詞をあげたり…?)を執り行う僧侶、神官の様子がつぎつぎと画面にうつりました。

ああ…そうだった、これが日本の年明けだった…

ストックポートの我が家には、娘のインターネット・ゲーム仲間たちが宿泊していました。

夫と新年のあいさつをした後、娘はじめ、昼間の階下のキッチンに集結したゲスト3人ともあいさつを交わし…私は寝ました。

翌朝、元旦です。日本時間の午前9時前にこんどは夫にチャット電話をかけて、英国の年明けにお付き合いです。

 

カウントダウンの後、夫と再び新年の挨拶を交わし寝室の窓から、四方八方の夜空に上がる花火を一緒に見た後、階下のニューイヤーズイブ(年越し)パーティのゲストたちにも挨拶をしました。

階下のテレビでは、ロンドンのビッグ・ベンの上空に上がる華やかな花火と大歓声が映し出されていました。

これが、英国の年明けです…と言うか日本以外の国ではドンドンパーン(花火)や歓声、イルミネーションやキスやハグが年越しの標準なはずです。

英国の大晦日、午後いっぱいテレビで世界各国の年明けの様子を生中継して映し出します。

まず最初に南半球のオーストラリア。シドニーのオペラハウス上空にドンドンパーンと歓声、そして中東、東南アジアと続くカウントダウンと年明け映像にはいずれもドンドンパーン。コンサート、民族舞踊、レーザー光線のディスプレイなどが加わることもありますが、基本的にはお祭り騒ぎです。中国も同様。

北朝鮮までもミニスカートの軍服を着た女性歌手の歓喜の歌で年が明けるのに、その1時間後の日本では、ゴ~ン...(除夜の鐘)と厳かな寺社の儀式風景…なんですよね。去年は成田山の参道(だったと思います)でNHKの女性アナウンサーが厳かに「新年あけましておめでとうございます」というシーンが英国のテレビで流れました。

日本人はそれほど敬虔な民族だったのであろうか。

違います。違いますよね。

日本人はよく自分たちの信仰心のなさと節操のなさを自虐的に「神社の氏子としてお神輿をかつぎ、お葬式は仏教式で結婚式は教会で」なんて表現しますよね。信仰というより慣習でしょうか。

実は、そういった慣習的なかかわりすら拒絶し、本来の宗教であるキリスト教会と隔絶した人が非常に多い英国人のほうが概して言えば…宗教離れは激しいんですけどね。

写真はすべて地元の神社、元日の船橋大神宮です。

神社周辺には参拝(お祓い?)目的の人々の想像を絶する長蛇の列ができていました。日本人の強い信仰心のあらわれでしょうか。

…違うと思います。無病息災満願成就をねがう素朴な神頼みですよね。

警備のスタッフに「参拝せずに境内を見て回るだけなら列に並ばなくてもよい」ということを確認して、並ばずに入りかなり「俗っぽく」楽しい境内の出店を見物して回りました。

境内の高い位置にある、船橋市の文化財である明治時代の木造灯明台(灯台)の内部が一般公開されていました。

畳の部屋に座ってのんびり眺望を堪能できました。

解説も見張りもなく、勝手に出入りできる貸し座席みたいでした。食べ物を持ち込んでパーティなんかもできそうです(やる人はいないでしょうけど)

地域の住人を見守る地元の神様といっしょに年始を楽しむ日本人の宗教に対する姿勢、けっこういいですよね。

信仰に真剣に帰依するか、完全にかかわりを断つかふたつにひとつのキリスト教、イスラム教(は、特に戒律もめちゃくちゃ厳しいですし)なんかと違って、宗教を上手に生活に取り入れて余裕をもってかかわっているように思えます。

 

 

 

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年内ギリギリ、日本からお届けするストックポート日報、第ー報です

2024年12月30日 21時08分45秒 | 日本

12月初めから日本にいます。

単身での帰国です。

ストックポート日報 創刊10年目の2024年のうちに何とか投稿更新がかないました、ごぶさたしています。

日本での年末年始は、夫と当時男の子だった娘と一緒に3週間、滞在した20数年前以来です。

実は、去年と一昨年にも2回にわたりそれぞれ2か月以上の長きにわたって日本に滞在しましたが、その時はストックポート日報を更新する気が起りませんでした。

クリスマス、新年を夫と離れて過ごすのは初めてです。離れて初めてありがたみを実感する夫の存在、この時期、特にはなればなれは堪えます。

滞在中に、日本国外を終の棲家と定めた私の目から見た日本...というか英国と日本の違いですね!また、私がかつて住んでいた頃、30余年前の日本と現在の日本の違いについて等思いついたことを少しずつ記事にしてみるつもりです。

英国の家族や友人に送り付けて好評な写真をちりばめてみます。ほとんどが実家周辺のローカルな風物です。

「イブ」ではなく、クリスマス当日(12月25日)にKFC (ケンタッキーフライドチキン)のクリスマスのディナーパックを予約して食べました。

「日本人はクリスマスイブにKFCのチキンを食べる」のは英国では、というより日本国外でよく知られています。ここ、10年ほどの間に「本当のことなのか」と、スペイン人を含めた約7人に聞かれました。

私が住んでいた頃の日本にはそんなことなかったはずですが、ここ数年、海外でも広く親しまれるようになった日本の「アニメ」や漫画を通じて現代日本の「風習」として国外で広く知られているようです。

鶏モモ肉のローストも私が子供のころ以来ずっとー般的なようですが、とにかく「日本人はイブにKFC」の伝説を現地日本で踏襲してみたかったのです!

日本の「アニメ」ファンであり、大学でアニメーションを専攻している娘がうらやましがりました。

KFCの「イブ」は予約いっぱい、25日、予約した時間に取りに行ったクリスマスディナーパックのいろいろな種類のチキンスナックの詰め合わせは、まったく見栄えがせず残念です。味は悪くなかったのですが…

オリジナルのスパイスのきいた皮付きチキンピースを3ピースずつ買ったほうが楽しめたかもしれません。

私のいないストックポートの我が家では、夫と娘が家庭でじっくりローストする出来合いの半製品、サーモン・ウェリントン salmon welington(サクサクのパイ皮に包まれたビーフ・ウェリントンのシャケ版、夫が魚は食べるベジタリアン=ぺスカトリアンなものですから)の豪華なクリスマス・ディナーを食べたようです。

ここ日本の公共施設や商業施設では、クリスマスの日の深夜にクリスマス飾りを撤去したようですね。

のみならず、近所の商業施設では、26日の開店時間にはすでに立派な門松が据え付けられていました。

翌日、12月26日は英国ではクリスマスとセットになったボクシング・デイ Boxing Day という奇妙な名前の祝日なのですが日本では完全に無視されていますね。

もっと重要な、お正月がすぐ後に来ますものね。

英国を含め、キリスト教圏では1月6日のエピファニー Epiphany までクリスマス飾りを残しておくのが普通です。(それ以前に取り下ろしても、もちろんかまいません)

日本のクリスマスのイメージといえば、圧倒的にサンタクロースですね。

飲食店街のクリスマス飾りの、サンタクロースのシェフたちがご披露する得意料理のレパートリーがイチゴの乗った「クリスマスケーキ」はじめ、日本的過ぎて大感激です。

1月6日はユール・タイド(年末年始) の正式な終わりの日です。1月2日から出勤する人も多いのですが。

クリスマスの2日後にみかけた、コンビニエンスストアの外に押し出され、片づけられるのを待つクリスマスツリーです。

日本にあるまじき手際の悪さ…ああ、日本は空前絶後の人手不足なのでした。

いえ、人手不足にもかかわらず、クリスマス当日の深夜に膨大な電飾をとりおろして松飾をそなえつける日本人の機動力にこそ脱帽すべきです。

よいお年をお迎えください。

 

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昨今の中国事情でとつぜん思い出した日本滞在中の大事件、元総理大臣の国葬の是非

2022年12月01日 08時00分00秒 | 日本

中国の「反体制」デモ、鎮静化しちゃいましたね。

「中国人がんばれ、もっと怒れ!」と陰ながら応援していましたのに残念です。

写真は昨日と一昨日撮ったクリスマス前のうんざりするほど浮かれ切った英国の光景です。クリスマス対応商品を棚に詰め込んだスーパーマーケット、コンビニエンス・ストアとチッピー(フィッシュ&チップスの持ち帰り店)で撮りました。

話かわって、安倍元総理の国葬、2か月も前の話で恐縮ですが、私の日本滞在期間におこった最もセンセーショナルなニュースでした。

(一方、ここ英国では私の留守中、首相の交代2回と女王の死去というほんものの重大ニュースが目白押しでした)

安倍元総理の政見やら功績やら人柄やらをここで評価/批判するつもりはありません。

が、国家を挙げて追悼するにあたいする、外国の首脳クラスの人たちを呼びつけていっしょに追悼してくれるよう国家が要請するほど国家にとって意味のある、国税を12.4億円も使って国家を挙げて弔うべき人だったかというと...

答えはです。

彼を支持する人や敬愛する人がたくさんいたのは知っています。在任中に経済の活性化に尽力したとか、気さくな人柄だったとかもききました。それに憎むべき暴力事件の犠牲者ですものね、たしかにいたましいことでしたし動揺する人も多かったですから。...だからと言ってどさくさまぎれに、首相をやったことがあるけど(けっこう長かったから影響力はたしかにある)現在はふつうの人を国葬にする決定、しますか!?

彼の突然の死を悼む人たちは、自分なりのやり方で心から追悼の意を表明すればよろしい、自民党にとって重要な人だったらしいので「党葬」とやらをやってもよかったね...という話ではありませんか。

 

さて、私の夫は私の日本滞在中、ヒマなものですから英国にいて英語で読める日本のオンラインニュースをあさりまくっていました。そして毎日知り得た知識をビデオチャットで私に披露するのをとても楽しみにしていました。

夫にとってアべ国葬はかなり「オイシい」トピックだったようです。もちろん国葬に値するかどうか検証するのがおいしさのポイントです。(以下、カタカナ表記は敬称と肩書略)

夫は、銃撃事件後に調べてみるまで私もよく知らなかった家計学園や桜を見る会の件、ユニフィケーション・チャーチ(統一教会)とのつながりなども英文情報を読んで熟知していました。

うちの夫のようにヒマでこだわりのある人じゃなくても、調べれば海外でも簡単にわかることです。

...「自分が信じてもいない(しかも反社会性の高い)宗教の集まりに顔を売ってまでしてお金をもらうなんて、政治家としての良心はあるのか」って、ふつう思いますよねぇ..? 私は思いました。

日本では、統一教会のアコギな献金要求や信者の家庭崩壊などが明るみになるまで問題視されなかったようですね。たとえアコギじゃなかったとしても、高い地位にある政治家がそんな浅ましいお金集めをするのか?って不思議に思うのが国際社会の常識なのですが...するんですね、日本では。(安倍元総理だけではなく、他の自民党の議員も!)

 

好ましくないことをしたのが国民に知られちゃっているのが海外でもバレちゃってる人の葬儀を国がとりおこなって、各国の元首級の人も招待しちゃうって招待された側は「?」だと思うのですが。

エリザベスII世の国葬に比べると出席者の顔ぶれがかなり寂しかった(失礼)のが「?」の答だと言っていいでしょう。単に海外の国葬出席どころじゃなかった事情の国も多かったでしょうが。

安倍元総理の国葬が海外ではどう見られているのか、気になった日本人はおおいでしょう。

大きな話題にはならなかったかもしれませんが、自国の元首級の人が招待された先進国の国葬ですから、どの国でも報道されたはずです。

そしてやはり、多くの国での報道の焦点は(たぶん)「日本国民の国葬に対する考え」だったはずです。

海外でこの件に興味をもつ人は「日本人にとって本当に国葬でいいのか?」といぶかっていたはずです。

当日の朝、NHKニュースで、国葬反対デモに参加する人々を取材するBBC(英国国営放送)と韓国の放送局の特派員へのインタビューを見ました。2人とも「我が国の視聴者は日本国民の反応に一番興味をもっています」という旨、答えていました。

夫がワクワクして見たというニュースはBBCではなく、民放ニュース局のスカイSky だったそうです。葬儀のようす(全員マスク着用で着席する参列者とアベの巨大な遺影)が3秒ぐらい映って、国葬反対デモ隊の言い分と、交通規制による大混乱ぶりがそれぞれ5分ぐらい見られた...ということでした。

「結局、何だったのアベの国葬って?!」というのが夫の感想でした。

 

日本人は「サッカーの国際試合で相手チームの応援席のゴミ拾いまでした日本人応援団を世界が絶賛」というような情報が好きですよね。

(自分が出したゴミを持ち帰るのは当然のエチケットとしても、相手チームの応援席まで出張っていってゴミ拾いをするのは、私はやりすぎだと断言します)

この国葬のような出来事が国際社会で国外の人たちにどう映るかももっと気にするべきだと思うのです。

私の祖国、日本にとって唯一の救いは、各国報道陣が国葬反対に声を上げる、自分の意見を持つ日本人の姿をしっかりと報道してくれたことです。

私は日本国民ですが、「国葬はよくない!」とテレビの前でひとりごとをいうか周りの人と愚痴るだけで何も行動を起こしていません。日本に住んでいるわけでも税金を払っているわけでもないし、かなり他人事です。

それでも外国の報道陣に国葬反対の意見を言える私と同じ日本人がいたことをうれしく思います。

サッカー試合のゴミ拾いを誇りに思って、国葬は疑問だけどもう決まったことなんだからほっとこう...と思う人ばかりの国だと他国の人に思われたくありません。

中国の「反体制デモ」はやりすぎの「ゼロ・コロナ政策」の撤廃がおもな要求で「民主化」を求める運動とは根本的に違ったようですね。

それでも、言論の自由のない中国ではっきりと意思表示をする若い人たちはじゅうぶん勇敢です!

国民の7割以上が国葬に反対していたと報道された日本の街頭インタビューで、国葬についての意見を聞かれた日本人が誰一人として「国葬をするべきではない」と明言しなかったのが寂しいですね。(カメラの前で言いにくい気持ちは充分わかるのですが...!)

今回の中国のプロテストのニュースと同時に、BBCのニュース番組で2019年(天安門事件30周年)に撮ったと思われる短いビデオ映像を見ました。

天安門広場の民主化要求デモ活動を鎮圧するために出動した人民解放軍の戦車の前に立ちはだかる若い男性の映像をBBCの特派員がラップトップで、多くの2019年の北京市民に見せている映像です。

すべての人が「知らない」「見たことがない」「中国の戦車じゃないだろう」というようなことを言っていましたが、もちろんあの天安門事件を知らない50歳以上の北京市民がいるわけがありません。「知っている」などと答えたら怖ろしいことになりそうなのが目に見えているからこその反応です。

言論弾圧の怖さを見せつけられたビデオ映像でした。

日本はとりあえず言論の自由は保障されているはず...とここ数日、テレビで中国のニュースを見るたびに思ってしまいます。

 

 

 

 

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日本で体験したコロナ対策とそれにまつわる日本人の私がよそ者の目で見た細かい疑問...

2022年11月29日 07時00分00秒 | 日本

「日本とコロナ」、続きです。写真は日本の情景いろいろです。

(8月半ば過ぎから3カ月足らず、日本に滞在して3週間ほど前に帰国しました)

春ごろからパンデミックは世界中で「終わって」いたにもかかわらず、出会ったすべての人々がマスクをしていた日本の光景は別世界(パラレル・ワールド)のできごとのようでした。

感染状況が最悪だった2020年から21年頃、欧米各国で採用された法的な「公共の場所(屋内)でのマスク着用義務」もないのに!しかも、すごーく暑かったのに…!屋外でも!誰もいない場所でも!子供たちも!ジョギング中の人たちも!とにかくすべての人があらゆる場所でマスクをしていました。

もちろんパンデミックは終わっても感染は止まっていないのですから、予防策を各自がとるのは理にかなっていますし、風邪やインフルエンザの予防に、花粉症対策に、調理や配膳をする人たち(給食当番の小学生も)が日常マスクをする「衛生文化」が古くからあった日本では、特別なことではないのでしょう。

以上のことを考慮しても、世界がすっかりやめている(意味がないと判断した)マスク習慣をなぜ日本人のほぼ全員が続けるのか、解せません。

日本(と中国)以外の国では、マスクに感染症の拡大防止効果はもともと、あまり期待されていません。

2020年に中国での最初の感染拡大が世界的なニュースになりつつある時、たびたびテレビで映し出された武漢の市民は全員マスクを着用していました。それにもかかわらず、ものすごい勢いで増え続ける感染者の数...!「マスクの効果は気休め程度?」と思ったマスクをする習慣のない欧米人は少なくなかったはずです。

欧米で感染状況がひどいことになってきた時、「とにかくできることは何でもやろう。人が集まる場所ではマスクもしないよりはした方が絶対によい」と、藁にもすがるような気持ちで採択した「マスク着用の義務化」でした。

そしてワクチン効果とウィルスの弱毒化で重症化する人が減り、マスクの義務化が撤廃されたらいっせいに着用をやめました。

そもそも、欧米人にはマスクを着用する習慣がなかっただけではなく、口元を隠して他人と接することに後ろめたさを感じるメンタリティーがあるようですから。

そんなメンタリティーがないどころか、顔半分を覆い隠すことによって、自分をさらけ出さなくてもよいという安心感が得られる人もいるらしい(顔パンツ効果)日本人にとって、マスクとは感染拡大防止手段だけではありませんよね? 

日本以外のほとんどの国では不要だと認識されている習慣なのにかたくなに着用をやめない日本人にとってのマスクとは...?

共通の敵(=コロナ)と闘う連帯感とか、まわりと同じ行動をとることによる秩序とかの象徴だったりするのでしょうか。

「同調圧力」...?耳慣れないこの言葉を、最近日本のインターネットメディアでよく目にします。

「みんながしているから、マスクをやめられないんだな」と漠然と感じたことをわかりやすく説明する納得できるコンセプトです。

でも、「同調圧力」で簡単に説明されていいことなのでしょうか。

「やっぱり感染したくない。人にもうつしたくない」とすすんでマスクをしている人を何人も個人的に知っています。その気持ちはわかろます。

「ワクチンを打てば重症化はしないんだから いっそのことかかっちゃって抗体を作っておくのも悪くない。絶対的な効果はないマスクの常用はやめてもよい」と、パラレルワールドから飛行機に乗ってやってきた私は個人的に考えていますが、もちろん日本に住む人たちに自分の価値観を押し付けるつもりはありません。

ここ英国でも、医療機関での職員のマスク着用は必須ですし、来訪者にも使い捨てマスクが手渡され、着用が望まれています。

マスクはむしろ医療機関では「規律」や「緊張感」の象徴なのではないかと私は思います。

実際、医療の仕事をしている人たちも職場を離れたプライベートの場ではマスクを着用していないのですから、感染拡大防止の効果をはっきりと期待してのことではないでしょう。

 

さて、日本での話です。

日本ではどこかに到着すると必ず顔の汗を拭いていた(そしてその後、数秒のあいだマスクなしで冷房の冷気を顔に浴びて涼んでいた)暑がりの私は、市民図書館と私営の文化施設でスタッフに礼儀正しく、「マスク着用にご協力をお願いいたします」という旨の注意を受けました。

もちろん謝ってすぐにマスクをつけました。

日本で2年前に跋扈したという「マスク警察」なる余計なお世話の輩とは違い、マスク着用を入館条件に規定している場所で働くスタッフです。声掛けは当然の職務なのですが、「人から離れた場所で汗を拭いている人に注意しなきゃいけないのかなぁ...」と思ってしまったよそ者の私です。もちろん、きちんと仕事をしている立派な日本の職員の仕事ぶりに苦情を言うつもりは全くありません。日本だなぁと感じ入ったひと時です。

入った飲食店のほとんどすべてに、となりや向かいに座る人同士を隔てる透明なビニールやアクリル板の「ついたて」がありました。同席する連れの人たちを飲食中だけ引き離す意味がありますか。〔ありません〕

感染者といっしょに行動していれば、どうせ着席するまでに(たとえマスクをしていたとしても)どうせ感染しちゃってる可能性は大ありです。

ええ、まあワクチン接種が完了していれば感染させる可能性は3分の1以下、相手も完了していればさらに可能性が下がるはずですけどね。どっちにしても「ついたて」はまず不要です。

すべての公共トイレのハンドドライヤーが感染拡大防止のため、使用禁止になっていました。温風で手指に付着したウィルスが吹き散るのをふせぐため、ですって、ご冗談?!

ゴミ箱を使用禁止にしているトイレも多数ありました。清掃スタッフを感染からまもるために....。ウィルスの付いたゴミを処理して感染するぐらいなら他のことでとっくに感染しちゃってるはずでしょう。

30年以上前、日本には紙タオルやハンドドライヤーを設置した公共トイレはほとんどなく、ハンカチで手を拭いたものでした。衛生観念の高いはずの日本でなんだかばばっちいなぁといつも思っていました。

ここ十数年来、ほとんどの公共トイレが欧米のように紙タオルやハンドドライヤーを設置するようになったのは喜ばしいことです。それなのにこの度の「ハンドドライヤー使用中止」には呆れました!臨時の代わりの紙タオルもみかけませんでしたし。

電気料金と人件費の節約がねらいでは?

やはり、顔の汗を拭いたり マスクを外しての飲食中に口を抑えたり 咳やくしゃみをする時に飛沫を受け止めたりするハンカチで手を拭くことになるのですが、それって、感染拡大防止上ひじょうにマズくありませんか?その手でいろいろな場所をさわっちゃうでしょう?

...パンデミック初期の「感染者がウィルスのついた手で触れた箇所に触れただけで感染する可能性あり」という公式の認識のため、世界中で手やドアノブや手すりなどの消毒が推奨されましたね。あれは2020年末頃には、「感染経路になる可能性は極端に低い」とWHOによって撤回されたはずなのです。(まあ、だから飛沫の付いたハンカチで手を拭いてもかまわないということにもなりますが)

日本では、パンデミック初期の情報にまだオロオロ従っているということでしょうか!?

それ以後も消毒液を常備するなど清潔を心がける習慣がつづくのは、いいことですよね。私も賛成です。

しかし..日本には使ったボールペンは「使用済みのペン立て」に戻して消毒されるまで使わないようにする措置をまだ本気で実施している...病院...までありました(正気か?!)。

ボールペンにたどり着くまでに申請用紙やら受付台やら、たくさんのモノにもうさわりまくった後ですのに。

もう「対策バッチリ」というアッピールのため、効果のあるなしなどは本当にどうでもいいパフォーマンスのための措置としか思えません。

全く意味不明の「感染防止対策のため、飲食時間の制限にご協力ください。30分以内を目安にお声がけをさせていただくことがございます」という札を掲げたドーナツ店もありました。回転率をよくしたいだけ...ですよね?

入院患者や入居者の面会を禁止する病院や介護施設などの、「患者や入居者に絶対に感染者を出してはいけない」という崇高な使命感も十分納得できるのですが、もう少し融通の利く対処法はないのでしょうか。訪問者から隔絶される入院患者や高齢者の情緒面のダメージをもっと重要視するべきではないでしょうか。

とにかく「疑問を持たずに決められたようにやる」のが、日本では物事を秩序だって進めるために必要だということをあらためて理解しました。

これらの措置が感染拡大防止に役に立つと、みんな本当に信じているのかなぁ、使用済みのペン立てやハンドドライヤーの使用禁止までうけいれてしまうぐらいなんだから、それよりはたしかに効果があるはずのマスク着用も、もしかしたら「疑問を持たずに」の一環で続いている習慣なのかもしれない...と思ってしまいました。

それにしても、あらゆる場所でのマスク着用の徹底そのほか、日本独自の納得しかねる防止対策をいっぱいやっている日本で、経済活動促進のための外食や旅行の推進、「インバウンドの積極的な誘致」をはじめちゃうって、日本政府は本気でしょうか。

ワールドカップの応援の時はマスクを外すのなら、国内ではずしてもいいんじゃないかって思わないのでしょうか。

むしろ、国内でマスクを外せない人たちにとって、感染防止対策を全くしていない国々から来た人たちでいっぱいの国際試合の会場は日本国内よりよっぽど危険ではありませんかっ?!

全員マスクをしていても、日本での感染者数は増え続けていますよね。

 

 

 

 

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日本ではまだまだ大変だったコロナ対策と、これ意味あるの?疑問を誰も口にしない日本人の、秩序を重んじる道徳観と勤労意識の高さ!!

2022年11月27日 07時00分00秒 | 日本

自他ともに認識する、世界一清潔で安全な国、日本から帰国してもう3週間です。

(写真は、ほとんど実家付近と最寄り駅界隈以外外出する機会のなかった滞在中に、数回出かけた東京を含む日本の風景です。場所の詳細は一番下に)

軽い「カルチャーショック」のような状態がまだ続いています。

勤勉で礼儀正しく、秩序を好む国際規範の模範になるような国民性も自他ともに知られる日本人の特性です。

実家の事情で滞在した3カ月近く、あらためて上記のすべてが実感できました!

 

 

入国は、コロナ感染拡大防止の「水際対策」なるものの規制が大幅に緩められた8月の半ばでした。

空港ホテルに滞在する検疫隔離と空港でのPCR検査は廃止になり、出国前24時間以内に検査した「陰性証明」の提示が入国の際、求められました。

マンチェスターで有料の検査を受けてきて、即日届いた結果はめでたく陰性!と言っても...検査センターでは陰性だったのはたしかでしょうが、その後、誰一人マスクをしていないラッシュアワーのバスに1時間近くも乗って、ストックポートの自宅まで帰りました。

もちろん、渡航日当日も大勢の乗客であふれかえる空港(マンチェスターと中継地のチューリッヒの二か所)や、世界各国から乗り合わせた乗客といっしょに密閉状態だった十数時間のフライトで感染した可能性は大ありだったはずです。

到着した成田空港でのコロナ検査は一切なしで、うんざりするような長い長~い検疫審査(おもに書類のやり取りと順番待ち)を経て入国できちゃいました。

日本の「水際対策」、まったく意味がありません。

たしかにチューリッヒからの日本行きのジャンボジェット機には「24時間以内の陰性証明」を持った乗客のみが機内でのマスク着用必須で乗り込んでいたのですが...

それでもヨーロッパ各地で観光やら用事を済ませてきた日本入国者は私と同じで、(陰性だった)検査後の20数時間、感染者との密な接触の可能性を経て誰~もマスクをしていないチューリッヒまでのヨーロッパ内航路を搭乗してきた人たちなのですよ。

(繰り返しますが)検査後に感染しちゃった可能性も大ありな人たちばかりなはずなのです!

...まあ、いいか...?日本はとにかく「やってる、がんばってる」という形を世界に示したかっただけなのでしょうから。

 

狭いスペースに大勢詰め込まれて自分の審査の順番を待っている間に「今まで陰性をたもてていたとしても、ここで感染しちゃうことだってじゅうぶんあり得るようなこみ方だな」と思っていたのは決して私だけではなかったはずなのです、私の周りでそのことを口にする人は皆無でした。

「水際対策」の一環として外国人の入国には「短期滞在ビザ」が必要だったためでしょうか、私と一緒にチューリッヒからのジャンボ機を下りた乗客は8割ほどが日本国民のようでした。

文句も言わずに係員の指示に従って粛々と長い審査をやり過ごす辛抱強い入国者、また何時間も親切に同じ説明や指示を繰り返し、入国者を決してぞんざいに扱ったりしないプロ意識の高い係員...日本に帰ってきたことを強く強く実感しました。

決まりを守り人と同じ行動をとることによって得られる秩序や効率について各人が自覚を持った入国者や、自分の仕事に誇りをもって一生懸命ていねいにやり遂げようとする係員...すべて私の同胞です。

長く日本を離れていると、自分が日本人じゃないみたいに感じることがたびたびあります。

もともと日本に住んでいた頃から、形骸状の習慣や形式を重んじて、とりあえずみんながやっているからやっておこうと、無意味なことに疑問を持たない人々の行動にはいつも抵抗感がありました。

日本人じゃないようにふるまってもよかった英国での30数年間を経て経験したこの「入国検疫審査」の間、3回ぐらいは「キレてやろうか」とたしかに思える瞬間がありました。

しかし、行動規範の立派な同胞の中にあって、1人で「キレる」ほど品性が低くない私はニコニコと品のよい言葉づかいで係員の質問に丁寧に答え、必要な書類も提示して無事入国審査を終えることができました。

近頃、日本では特に私ぐらいの年代のオバサンや高齢男性など、公共の場で「キレる」人が多いそうですね。店員に土下座させたり「責任者を呼べ」とつまらないことで喚き散らしたりする(たぶん私より品性の低い)人たちが。あまりにも両極端なのが何とも不穏です。

実際に滞在中に「キレたり」しなかったのはもちろん、「キレた」人もみかけませんでしたが、ははぁ, 人はこういうことで「キレる」んだな...と「キレる」心理をあっさりと理解した私です。

 

「圧」って言うんですよね。3カ月の滞在中にコービットがらみの行動規制でたしかに感じましたよ。

「キレる」人たちって、社会の鼻つまみ者なはずですが、案外何もかも吹っ切れちゃったお気楽者でもあるのかも、とふと感じました。

「なぜこんなことしなきゃいけないの!?いや、みんながちゃんとやっていることだから、私もやらなくてはいけないんだ」と自分を納得させるように努めました。日本にいる間は日本人らしく立派なふるまいをしようとも心がけました。

短期間の滞在ではなく、一生日本に住み続ける人の中にはそれを「生きづらい」と表現する人もいるそうですね。自分の性格や行動規範が、秩序を求める日本社会の中に適合しないと考える人がいる、ということでしょうか。

 

コービッド(新型コロナ・ウィルスによる感染症)によるパンデミックはすっかり終わったことになっていた英国から日本にわたり、不可解な「感染拡大防止策」を体験して、コービッドによるパンデミックはやっぱりすっかり終わっている英国に戻ってきました。

不可解な「感染拡大防止策」とは;酷暑のさなかの自主的なマスク着用や「黙食」、飲食店のテーブルの同席者との間の仕切り!、入院患者や高齢者ホームの入居者への完全な面会禁止、公衆便所のハンドドライヤー使用禁止、そのわりには旅行や外食推進や外貨稼ぎに外国人を呼び込もうキャンペーンの大展開や、安倍元首相のドヒンシュク国葬の際の国際社会を鑑みてのマスク一時撤廃案 ‥などなど...です。

 

とにかく帰国後の先週、後れをとった4回目のワクチン接種を受けてきました。

予約なしで名前と生年月日を受付で言えば、過去のデータと照会して国中どこででも接種を受けられるNHS(国家保健サービス)のワクチン接種ネットワークの無料サービスです。

ついでに、50歳以上は無料で受けられるインフルエンザの予防注射も反対側の腕に打ってもらいました。

平日の教会を使った接種会場はガラガラで、なぜか男性ばかりの職員が、ヒマそうにマスクを外してくつろいでいました。接種者の私が入って来たら慌てて箱に入った使い捨てマスクをつけて対応してくれました。

私の受付を担当したインド・パキスタン系の私服の若い男性ナースは日本が大好きだそうで、最近見た私の知らない日本のアニメの名前を列挙してくれました。

日本に行ってアニメの舞台をめぐるのが夢だそうでした。

 

快適な日本での生活に感じる人は感じるらしい「生きづらさ」について以下、次号。

写真は上から;

千葉県船橋市の駅前商店街の不二家のペコちゃん、初秋の船橋市三番瀬海浜公園(富士山を望む風の強い日没後)、紅葉の季節には早すぎた新宿御苑、 皇居外堀(JR 飯田橋駅から)、夏の潮干狩りシーズンの三番瀬海浜公園、船橋駅周辺の裏通り

 

 

 

 

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久しぶりに見ると懐かしい!日本ならではの光景 その2

2020年03月09日 09時00分00秒 | 日本
そう言えば、あった!日本ならではの...
続きです。

私の知らないうちにものすごいブームになっていたらしい、千葉県船橋市の非公式ゆるキャラ、ふなっしー。


日本独自の地方マーケティング現象、日本中の市町村の町おこしキャラクターゆるキャラ
ゆるキャラと地域の活性化の話題はイギリスのテレビでも取り上げられたことがありますし、マーケティングなどを専門にしている人たちには海外でも研究対象だったらしいのです。

そのわりには、日本国外でもマネをして成功した、という話を聞いたことがないように思います。
やはり、私が見たテレビ番組でも「異文化」として取り上げられていました。

すっかり死に絶えたと思っていたふなっしーが、駅ビルのピーナッツ(千葉県の特産品)専門店の入り口で客引きをしていました。
いえ、別に客引きをしていたわけでもなく、飾りとして外のソファーに置かれていただけです。
売り物のピーナツ製品との関連性もなさそうです。

役所指定のゆるキャラは今は人気が廃れて(かつてほどは)機能していないということですが企業のマスコットは健在です。

りそな銀行のマスコットらしい、りそにゃ。


頭でっかちで大きな目の市町村のゆるキャラと違い、デザインとしてあか抜けている大人っぽくシンプルでクールな表現、気に入ったので写真を撮りました。
ただ、命名には感心しません。
りそなだからりそにゃという安易さよりも私は個人的にネコが「うれしいにゃー」、イヌが「楽しいワン」などと言っているコピーをセンスないなぁと思っています。
...でもたぶん、日本では非常に親しまれている言い回しなのでしょうね。

日本にいる間にさまざまなところで見かけた企業マスコットですが、私は特に産地認定、野菜のゆるキャラに興味を持ちました。





多くは野菜に顔を書いて手脚をはやしただけのシンプルな表現なのですが...

ナスの帽子をかぶった少年ニンジャ、博多なす忍。


柿もエリンギも細くて長いナスもイギリスでは見かけないものですから、調理師をしている息子に見せるために写真を撮りました。

企業や特産品に注目を集めるためのかわいいキャラクターの創作は日本独自の発想なはずです。
少なくとも、ここまで広く普及している国は他にないのでは、と思います。


たぶん、ゆるキャラ以後の傾向だと思うのですが、どうなのでしょうか。
ゆるキャラが、(たとえ一時でも)観光地や特産品の知名度や、「ご当地」の好感度を上げるのに一役買ったと世界的にも注目される現象だったのですから、その後企業や特産品のプロモーションに引き継がれるのは当然でしょう。

でも、ゆるキャラはどうしてすたれたのでしょうか?

今年、神戸の三宮の繁華街で見かけた、焼き肉屋の前で客引きをする、神戸ウシのマスコット!!


かに道楽のグネグネ脚の動く電動看板!


去年帰国した時見かけた、秋葉原の焼き肉レストランの、かわいい~ブタの昭和の薫り高いほのぼのイラスト!



これも絶対に日本独自の....と決めつけてはいけませんね。少なくともイギリスでは絶対に考えられない食肉レストランのマスコットや客引き看板にその肉を提供する動物が五体満足な姿でかわいく/ユーモラスに登場する猟奇性

万カツサンドの看板の写真を撮っていると、同行の友達がいぶかりました。
どこが珍しいのか、何かマズいことがあるのかと聞かれました。

服を着たかわいいブタたちがニコニコしながらトンカツの話をしていていいわけがありません!
右側のお母さんブタなんて子ブタを前にフライパンでトンカツを調理しているではありませんか!!

(ニコニコ笑うウシのトレードマークも問題です)

ゆるキャラ以前から存在する日本の肉料理屋の擬人化された動物キャラクターは日本に住んでいたころから疑問視していました。
新宿にあったトンカツ屋さんの看板にフライパンを持ったブタのコックさんがいましたっけ...悲しいです!

牛肉やブタ肉製品のラベルなどにウシやブタのイメージを使うことは極力避けているような動物愛護国として知られるイギリスです。
ベジタリアンも非常に多く、子供たちにソーセージやフライドチキンがブタやニワトリの肉でできていることをある程度の年齢になるまで隠している親もたくさんいるらしいのです。

消費者の反応を敏感に察知して、まれにウシやブタのウェルフェアに心をくばって昔ながらの製法で作られた肉製品にはわざと昔のラベルなどからとった古いブタやウシのイラストが使われていることがあります。

例外的に生きた姿を表現しても消費者の反感を買わないのは、魚のイメージです。
サーディンの絵が描かれたサーディンの缶詰が売られています。

魚が尾かしら付きで食卓に上がることなどめったにないはずのイギリスなのに、不思議です。
看板に魚のイラストを使うフィッシュ&チップスが多いように思います。

ネコやクマや梨の妖精のキャラクターは確実に日本の市町村や企業のイメージアップに貢献しているらしいのですが、ブタの一家のイラストは焼き肉屋の売り上げにどれだけの影響力があるのか?







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久しぶりに見ると懐かしい!日本ならではの光景 その1 

2020年03月08日 09時00分00秒 | 日本
そう言えば、日本には...
立体の駐輪場があったのでした!




駅まで自転車に乗っていく人が実に多いですね。
イギリスでは車の排気ガスを減らすため、自治体や環境保護グループが熱心に自転車での通勤通学を推奨しているのですが、なかなか日本のようにはいきません。
原則として歩道上の走行は禁止ですし交通渋滞するラッシュアワーに車道を自転車で走るのはけっこう怖そうです。

でもしかし、イギリスでこれだけ(最寄り駅までの)自転車通勤通学が普及したら自転車をとめる設備をどうするか、考えはあるのでしょうか?

日本の、「合法的に」大量の自転車をとめさせる取り組みはスゴイです!
通行のジャマになるし、高級目デパートとショッピング・モールが入ったこぎれいな駅ビルなのですが、油をさされた金属、夏には匂うゴムタイヤが目の高さにずらっと...
...決して美的な光景ではないのですが、機能性には脱帽です!

どこの町にも公共の場の彫塑、彫刻、立体アートも数多くあったのでした。

古典的な裸婦のブロンズ像が多いようです。




☝「注文の多い噴水公園」正面の裸婦像の写真をもう一度。

立体駐輪施設のそばの、これは「交通安全の像」だそうです。


石工職人が制作したような作風が「アート」にしては異質だし、なぜここに? とかなり以前から疑問に思っていた作品です。
もしかしてもしかしたら、このすぐそばで小学生が2人、車にはねられて亡くなったその慰霊像...とか?
そうだとしたら、「道を横断するときは手をあげて」と道行くよい子たちに訴えかけているポーズがいたましいです。

由来をご存知の方、教えてください。F市...、ああ、もういい。千葉県船橋市の船橋駅です。

船橋市には、船橋港(東京湾)に流れ込む海老川沿いの橋巡り遊歩道があります。


川にかかる橋すべてに設置されたブロンズ像を見てまわるなかなか楽しい散歩コースです。


日本に住んでいた時の私は私は、公共の場所のアート設置は欧米諸国のマネだと思っていました。
イギリスに住んでいる今、それはどうやら違うということが分かったのですが疑問は残ります。
公共の場所の立体作品が日本にこんなに多いのはなぜなのか。


それも、ほとんどが現代、古典を問わずフォーマルな(お金のかかっていそうな)形態の永久設置アート。
イギリスやヨーロッパには町ゆかりの偉人の銅像のほか、町を活気づける、プロの作家が制作した落書き風の「ストリート・アート」が多く目につきます。
日本の「本格アート連投」は日本独自の現象だと思います。

ヨーロッパには、美術館の敷地や、美術館のあるエリアの広場などに限って気鋭の立体アートが設置されていることが多いのです。

この謎の球体のように...。


上野公園内の東京都美術館の屋外永久展示です。
自分の姿を写し込んでセルフィーを撮る人がいっぱい、愛される現代アートです。

日本の市町村の文化的アプローチ、いいと思います!!
(でも税金が使われているんですよね...)

2枚の写真は「現代の日本らしい風景が見たい」という友達に見せるために撮りました。




いずれも船橋駅のそばです。

このごちゃごちゃ看板のそれぞれの自己主張、規格の全く違う小さな建物がちまちまとコンパクトにかたまる日本人の生活臭を感じる通り、はイギリス人には強烈な旅情を感じさせるはずです。

日本の風景として海外で知られるイメージは大きく三分しています。
白砂の参道の向こうの赤い大鳥居、サクラと富士山のような「伝統」グループと、イギリスでは不人気の打ちっぱなし建築など無機質でクールなイメージ、渋谷駅前のスクランブル交差点で4方向から一斉に横断する人の群れといった「現代」グループ。
アニメやゆるキャラなどのファンキーでキッチュなイメージも若い人達のあこがれらしいのです。

「強烈な色彩のごちゃごちゃグラフィック」を第4のグループとして加えてもいいように思います。
繁華街の雑居ビルの飲食店や風俗店の看板やネオンサインなどがこのグループに加えられます。

次回に続きます。
毎日投稿を心がけます。
コロナウィルスへの対応なども前回更新した時から変化があるのをお伝えします。




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電車内での通話が他人にとって迷惑な日本ではあまり必要とも思えない車内アナウンスがひっきりなしに流れている印象...他

2020年03月06日 09時00分00秒 | 日本
日本で見かけた、「あまりかまわないでほしい!」と思わせる件、前回の続きです。



駅のプラットフォームでの立ち位置、階段の上がり降り、通行する右左を指し示すやじるしの洪水とともに....
日本では電車内のアナウンスの多さにまず圧倒されます。

他のお客様のご迷惑になりますので携帯電話はマナーモードにしてお使いください通話はご遠慮ください優先席の近くでは電源をお切りください/お体のご不自由なお客様お年を召したお客様のために座席をお譲りください/本日雨のため傘などのお忘れ物が多くなっております.../この先揺れますので手すりつり革などにおつかまりください/車内込み合ってまいりました1人でも多くのお客様が座席にお座りになれるよう..../ 扉付近でたちどまることなく.../お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけいたしますただいま特急電車待ち合わせのため.../お出口は左側です左側開きまーす

駅のホームで電車を待っている時も...

1番線総武線快速上り列車が到着いたします。黄色い線の内側まで下がってお待ちください/降りる方がすんでからご乗車ください/扉が閉まります次の電車をご利用ください/扉閉まりまーす発車いたします

のアナウンスがひっきりなしに聞こえてきます。



15年前初めて日本に来た夫が「車掌が乗客に放送で言うようなことか?」と本気でいぶかっていました。
現在、首都圏の私たちがよく利用する路線では英語、中国語、韓国語で録音された同じ内容のアナウンスも流れるので、車内ではひっきりなしに放送を聞かされている印象です。

慣れてしまえば、普通です。
私もイギリスに住み始める前には普通だと思っていましたし。

だけど、久しぶりに帰国して聞かされる内容は「親や先生に言われるのならともかく...」な公共道徳(譲りあい、思いやり)や秩序を守る呼びかけだったり、たった3分程度の信号待ち停車の説明だったり、忘れ物、閉まるドア、揺れに注意、など子供を思う親心のような内容だったり....。

イギリスでは基本的にホームでは到着した電車の行き先も行ってもらえませんし、いつの間にか扉が閉まり静かに出発するのが普通です。
車内ではつぎの停車駅の名前すら言わないのが長い間普通でした。
最近は次に停まる駅名をアナウンスしてくれることが増えたように思います。
10年ぐらい前に登場した、各車両の両端の電光掲示に次の停車駅の名前が右から左へ流れ続ける「ハイテク車両」ではやはり停車駅のアナウンスはありません。

「お出口は右側です」とも言ってくれません。
電車が止まると乗客が下りる側の扉のボタンを押して開けることになっているので、短い停車時間中に降りられるかどうか(特に利用者の少ない駅など)不安です。

だけど、これすら慣れてしまえば普通なのです。

突発的な揺れに備えてつり革や手すりにつかまるのは立っている人にとって当たり前なのでわざわざ注意してもらうまでのこともないと思われています。

ところで、日本で携帯電話の車内通話がどこでも禁止されているのは、「うるさい(他人に迷惑だ)」からですよね。
最近の携帯電話は感度が良いので大きな声を張り上げなくても普通の話し声で通話の相手に通じるのに、そして電車内にいる人と会話しても問題はないようなのに「車内通話は周りに迷惑」という理由で禁止されているのが不思議です。

もちろん日本のほとんどの乗客が「他人が車内で通話しているのは耳障りだから自分もやらない」と納得しているので必要な決まりなのでしょう。

車内アナウンスが(しかも自分たち日本人にとって不要な英語、中国語、韓国語まで自動的に繰り返される)ひっきりなしに流れるのは「うるさい」とは思わず聞き過ごせるのに他人の通話は「うるさい」、「迷惑」だと思うらしい日本人の感覚には疑問が残ります。

イギリスでは車内の放送がほとんどなく、乗客の車内通話は許されています。
家族に帰宅予想時間や夕食の段取り、駅まで迎えに来てもらえるかどうか、など文字チャットでも済む内容の用件を親し気に手短に通話しているのがよく聞こえてきます。

そう言えば、スマートフォンが普及する以前、10年ほど前には通話時間ごとに料金がかかる契約が主流だったので、現在と違って無料の「テキスト(電話回線の文字チャット)」で静かに連絡を取り合うことが多かったように思います。

利用者の安全確保と他人の迷惑になる行為の根絶そして秩序の維持!
が日本の社会の目標だといって良いのでしょうか。




その目標のためにはうるさかったり、余計なお世話だったり、見苦しかったり...日本国内に住んでいて見慣れている人達以外には奇異に映ることが疑問も持たれずに目の前で進行しているのが日本、だという印象です。


駅や電車の中だけではありません。
エスカレーターにも...


安全のための親切な注意が、図案で、文字で、そしてあたたかい女性の肉声を録音したアナウンスで繰り返し通達されます。







イギリスでは片側のみに極端に単純化した禁止マークのスティッカーがはられていることが多いようです。
注意事項は世界共通のようですが、文字で書かれているのを見たことがありません。(探せばあるのかもしれませんが)

エスカレーターに一度でも乗ったことがある人ならわかっているような注意アナウンスは、流しません。

よく利用するストックポートのスーパーのエスカレーターでは女性の声を模した無機質な合成音声で終着点に近づいていることを告げる、盲人を対象にしたアナウンスがありますが。


イギリスでは注意や警告、呼びかけは利用者の自己責任、公共心にゆだねるために必要最小限度におさえているようです。
その最小限度の通達は当然、より重きを置いてとられるはずなのです。

日本では書いたもの、放送したものが目や耳にとまることが注意や自覚を促す効果を生むと期待しているようなのです。
あるいは利用者を信頼していない?

日本の行政や関係機関がそれらのマジメな通達に多用する子供や擬人化された動物のマンガっぽいイラストは「四角四面のお役所仕事」、ガミガミ説教する「上から目線」と受けとられないよう、あるいはとんがった空気を和らげる工夫(のつもり)の表現だと思うのですが違うでしょうか。

日本では受け入れられているようですが、イギリス人にはふまじめにうつるかもしれません。
私はなんかちょっとバカにされている気になります。
イギリスで注意書きや警告に使われる図像はあくまで記号化された無機質な表現を目指しているように思えます。

その方が個人の感情(好み)がさしはさまれる余地を許さず単刀直入に必要なことを訴えられるから...だと思います。

以前に、近所の渓谷の遊歩道の途中にある自然観測池について書いた記事をのせました。
その池には囲いがないことのみならず、雨のあと地面がぬかるんで沼沢地化して とても危険なのにもかかわらず、危険を知らせる立て札や、立ち入り禁止札などが一切ないことに驚いた、というコメントをいくつかいただきました。

その時、日本とイギリス両国の行政や管理機関の、市民やサービス利用者への対応の大きな違いに気がつきました。
イギリスの行政は、多くの人を楽しませる美観を損ねてまで少数の「不心得者」や「自己責任への自覚が足りない人」に訴えかける警告や注意書きを立てるには及ばないと判断しているようなのです。
イギリスの市民は「子供扱い」されることを好みませんし。

日本の行政は「何かあった時のため」警告はしておいた、という既成事実を作っておきたがっているように思います。
スタッフやまわりの人が注意すると「逆切れ」されることもあるといいますし、書いておいておけばトラブルも回避できるということかもしれません。

話がそれますが、疑問なのが「歩きスマホ」です。


「歩きスマホ」を戒める絵入りのポスターや看板を駅に限らずたくさんの場所で目にしたにもかかわらず、スマートフォンを見ながら歩いている人が日本にはとても多いのです。

イギリスにももちろん同じくらいたくさんいますよ、「歩きスマホ」!
イギリスではその場で「気をつけろ!」と注意されてすぐ止める人をたびたび目にしていますが、書かれているのを見たことはありません。

電車内での通話をしない日本人が「歩きスマホ」をやめないのは他の人もやっているから、他の人に迷惑だという自覚がないから...だと思うのですが。
標語やポスターが役に立っていない、という好例ではないでしょうか。

日本には注意する人がいるのでしょうか。

それと、酔っ払い!


スーツを着たホワイトカラーの会社員がプラットフォームを千鳥足で歩いていたり公園のベンチで酔っぱらって寝そべっていたりなんて、イギリスでは想像もできません!

まさかの欧米人向け英訳マナーポスター!!


「nice♡」、「 good!」って...
いくらかわいい東武鉄道の女性職員キャラクターに「〇」をもらったって、思いやりや他者への心遣いを持つように鉄道会社に言われて「余計なお世話!」と思わない欧米人はたぶんあまりいない...と思います。















 
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日本で見かけた文字の羅列、フトドキ行為、許すまじ!景観を犠牲にする意義と効果はいかほど?

2020年03月04日 09時00分00秒 | 日本
先週まで日本に帰国していた時のことを書きます。(前回の続きです)

梅がきれいに咲いていました。


2週間ちょっと滞在した東京近郊の都市、F市の主要駅のすぐそばにある、公園です。
(ああぁ、F市だなんて昭和の終わりごろのミステリー小説のようですね...地名を出したくないのです)

真ん中に浅い池がありボコボコと噴水があがる、市民の憩いの場、きれいな公園です。


夕陽が美しい夕方に、駅から帰宅途上に写真を撮りました。


昼間に撮った入り口付近の写真です。


日本の公園ではおなじみの立て看板の林立...。
手前右には駐車場の利用時間と、公園利用者以外はとめないでほしい旨書かれている「お知らせ/お願い」。
奥には放置自転車に関する「警告」と、男の子が水の中に入っているイラストに「お願い 水の中には入らないでください!この水は飲めません」と書かれた「お願い」看板。

その右側には...


ハトにエサをやっている女の子のイラストと「フン害で迷惑しています。ハトにエサ与えないでください」の「お願い」看板、自転車に乗っている男の子が小さい子供にぶつかったところのイラストと「危険」の文字、「公園内で自転車などの走行はしないで!」と書かれた「呼びかけ」、
その後ろに斜めに映っているのには「他の人の迷惑となる様な行為はやめましょう」の「呼びかけ」看板が立っています。

噴水池の向こうのよく手入れされた花壇が並ぶエリアにも...


他の人の迷惑となる様な行為はやめましょう」が再び登場。ほか、「園内の禁煙にご協力ください」、ゴミ箱には家庭内のゴミは捨てないでください。」そしてゴミ捨てに関する罰則。

日本の公共の場所は利用者の公共心に訴える(懇願する、呼びかける、脅す)あるいは指導しようと躍起になっている文字列の洪水なのです。
この公園に限らず、私が訪れた多くの場所に共通して言えることです。

あの、見苦しくないですか。

日本にずっと住んでいる人にはこれが普通に映るのでしょうか。
美しく整備された公園の美観を損ねていないでしょうか。
言葉の選び方、や絵のヘタさ、(意味もなく)強調したい語を赤で書く子供っぽい前近代的なセンス、「...様な事や行為」って何ですか? 等々はこのさい追及しないことにしても 市民の憩いの場の公園で 市の公園緑地課が市民にガミガミ言う利点は(あるとすれば)何なのか教えてもらいたいです。

マンガっぽいイラストの多用はガミガミ言っている感じを和らげているつもりなのでしょうが、バカにされている気がします。
(え、しない?)

ああ、もちろん他の人の迷惑となる様な事や行為をする人が後を絶たないのですよね。
立て看板でけん制しておけばそういうことはなくなるでしょうし....いや、そんなことあるわけないですってば!!
第一、書くことによって(=してはいけないということを知らなかった人に教えてあげることによって)迷惑行為がなくなるのを期待するならば何が迷惑行為であるのかすべて書き出さなければいけないはずです。
ゴミを捨てるとか、たき火をするとか、花壇の花を抜くとか。大音量で音楽をかけるとか。
...じゃあ、記述がないから池に石を投げてもいいのか?というへ理屈を言う人がでてきたら...?「いい」というしかありません。

景観上問題あり、という以前に市民や公園利用者のモラルの低さ、公共心のなさを大声で触れ回っているような光景です。
市の公園課が利用者を子供扱いしているように見えるのも問題だと思うのですが。
(え、見えない?)

ちなみに、ベンチに座っている上の写真の男性は「園内の禁煙にご協力ください」立て看板の前で缶ビールを飲みながらタバコを吸っていました。

ついでですが、この公園の奥の時計塔のとても目立つスローガン...


「スポーツと平和を愛する、まちづくり」ははたして公園にとって必要でしょうか。

駅のロータリーに続く広い通りからよく見えます。
通りを行き来する住民に目標に対する自覚を促し、他市の市民に F 市の志の高さをアピールする役割を果たしているか、といえば全然そんなことはないと思います。
となりの市には「交通事故ゼロ都市宣言」と書かれたこれより大きな時計塔があります。

宣言したり、目標を掲げて文字にして公表することによってどのくらいの効用があるのでしょうか。
せめて市民の意識の高揚ぐらいは期待したいのですが...私だったら受験生が自分の部屋に「必勝・合格」などと書くようなことを公共の場所に税金を使って書くことが恥ずかしいようにおもうのですが、やっぱり、意味があることなのでしょうか?

電車で通った都内のある駅ビルの壁には「スポーツと人が熱いまち」と書かれていました。
目標や宣言ではなく、事実なのですよね、私が住人だったら恥ずかしいような...
(え、恥ずかしくない? 私が考えすぎでしょうか)

F 駅周辺のそのほかの看板。

一回言えばわかる。


大事な注意書きらしいのですがすさまじい退色ぶり。ポイ捨てされたタバコやゴミよりみっともない。


ああああぁ、F市だなんて固有名詞がまるわかりですね。(もういいか)


駅前にもあった、どう見てもイラストがよぶんなフトドキな女の子のハトのエサやり禁止看板。


公園の「フン害で迷惑しています。」の部分が抜けています。


通勤通学時間にはにぎわう川沿いの遊歩道。


自転車と歩行者の接触事故があったようです。
自転車での走行を禁止する旨通達する立て看板があった方がいいのはもちろんなのですが...





自転車での走行を禁止する旨、赤黒文字で大書されたこの黄色い立て看板は3メートルほどおきに設置されてました。
「自転車走行断じて許すまじ」の気迫がひしひしと伝わってきます。
私と夫が歩いている時に、これだけしつこく禁止立て札が出ているにもかかわらず、年配の奥様風の人が自転車で通り抜けていきました。
その人は、ただ単にうっかり心ここにあらず、といったかんじで降りるのを忘れたように見えたのですがうちの夫は「あの年齢層の日本人女性がここまで堂々と公共の規則違反をしている場面を初めて見た!」と感慨深げでした。

実家の近所です。




蛍光イエローの幟(のぼり)には「オレオレ詐欺に注意」と書かれています。
大風でまくれあがってずっとこの状態のままでした。


この地域にはオレオレ詐欺に引っかかった人が特別多いのでしょうか。
地域の高齢者は「だいじょうぶ、気をつけますからあの目立つ幟は下ろしてください」と申し立てるべきだと思います。

どうやら痴漢が多いらしいことは事実のようなのです。


日本の公共標語/看板ではすっかりおなじみの「文字の色変え」テクニックのため赤字で書かれて退色した「ちかんに注意」という字がうっすら輪郭だけ残っています。



以前は地元中学校のPTAによるおどろおどろしい、少女の前に立ちふさがる黒メガネでマスクをかけた怪しい男のイラスト入りたて看板がこの場所に20年以上設置されていました。
ぼろっちくなったので、何年か前に取り換えられたようです。

イギリスの住民は特にちかんのような風紀犯罪の警告看板を自分たちが住んでいる地域にたてることを絶対許さないはずです。
ちかんが多発するような問題のある地域であるという風評が確実に不動産の価値を引き下げるからです。

「不寛容な地主」も地域にとってマイナスイメージであるはずです。


以上、話が少しそれましたが、利用者の安全を守るため、他の利用者に迷惑となる行為を徹底的に排除するための日本の「ガミガミキャンペーン」についてとてもたくさん書くことがあります。
以下、次回に...。

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コロナウィルスの蔓延が不安な日本に一時帰国して帰ってきました...日本のマスクと感染予防、他

2020年03月02日 09時00分00秒 | 日本
2月の初めから先週まで、夫と二人で日本に帰国していました。


上野公園内で、外国人観光客を喜ばせていた桜の木です。
早咲きの種類でしょうね。暖冬とは関係なさそうです。

帰国前に2週間分のストックポート日報の記事を予約投稿していきました。
先週までの2週間分の記事がちょっぴり「時事性」にかけていたのはそのためなのです。

パーソナル・コンピュータを持参しないと記事の投稿が難しいのです。(スマートフォンで投稿すると規格が変わってしまうので避けています)
イギリスの自宅に落ち着いた今、日本での体験/感想を、撮った写真とともにつづります。

今回は、話題のコロナウィルス coronaviras ....
と、マスク


2月の最初の週に東京駅、新幹線ホームの一連のベンチに座る人たちすべてがマスクをしている光景が珍しかったので遠くから写真を撮りました。

滞在中、日本の2月にしては異例の気温の高さにびっくりしました。
普通2月の寒さは日本のほうがイギリスより厳しいため、暑がりの私も暖かい衣類を持参して準備周到で帰国したのですが、拍子抜けの暖冬、そのせいでしょうか、その週は新型ウィルスの襲撃に備えるためマスクを着用する人が意外に少なかったのです。
(暖かい時に自分の息の熱がこもるマスクをつけて出歩くのはけっこう煩わしいですよね)



実家近くで見かけた、これも早咲きのサクラのようです。どぎついピンクのこの種類はイギリスでもよく見かけます。☝

流感予防、花粉症対策のため、日本では冬から春先にかけてどこに行っても見かけるマスクですが、イギリスでは全く見かけません。
ほかのヨーロッパ諸国やアメリカでもマスクをする人はいないようです。

西洋人にとって、マスクといえば外科医が手術をする時につけるもの、一般人がしているのは不気味に映るようなのです。

私がイギリスに来る前、30年以上前の日本人向けの海外での「エチケットガイド本」には、「日本人のマスク着用者は欧米人には伝染病者各離病棟からの脱出者のような印象を与えるので要注意」とたしかに書かれていたのですが、現在は決してそんなとられ方はしません。
顔の下半分を隠すのはドロボウか暗殺者(ニンジャに例えればかっこいいのですが)、まっとうにお天道様の下を歩けない類の人たちの象徴に見えるようです。
あるいはただ単にヘンに見えるだけ。

(日本人女性がよくやる)口を覆って話をされるのも嫌がる西洋人が多いのです。

...10年ほど前の冬に帰国した時、日本人の私にも長ーいこと見ていなかった日本人の集団マスク姿が物珍しくうつりました。
初めて見たうちの夫ははっきりと怖がりました。

中国武漢でのコロナウィルスの大発生のニュースは、私たちが日本に行く前からイギリスのメディアを賑わしていました。
全員がマスクを着用していた中国の人々のニュース映像を見てマスクの必要性について問い合わせるイギリス人もかなりいたようです。

BBCニュースでは専門家がきっぱりと「マスクを着用することによって感染を防ぐ効果はほとんど期待できない(菌のついた手で口や鼻を触ることによる感染を防ぐ効果はあるだろうけど)」と言っていました。

実際、すべての人々がマスクをしているらしい中国でも感染はひろがる一方、(少なくとも私と夫にとって)マスクの効果に説得力はまるでありません。

私たちは日本でマスクなしを通しました。

私たちが到着した次の週には屋形船の新年会で集団感染、などなどの感染者情報が次々にニュースになり...

すべての人がマスク着用の電車にも乗り合わせました。


私たちの滞在中に感染の恐怖が「対岸の火事」ではなくなり、(気候は異常に暖かいにもかかわらず)感染予防のためマスク着用が大勢になったようです。



私たちには(あまり)説得力のないマスク着用の感染防止効果ですが、効果を期待するための正しい着用の仕方が公表された頃には私も「効果が少ないのにナンセンス!」とは思えなくなってきました。
「正しく着用さえすればある程度の効果はあるのかもしれない。そうでなければ天下のNHKが着用法について講釈するわけがないし、理知的な日本人ほとんどすべてが着用するわけがないではないか...?」と思い始めたのです。

でも、NHKが言っていた正しい着用法を徹底する人が何人いるのかが疑問です。
マスクが品薄で、「一度はずしたら捨てて新しいものと取り換える」を実践していた人は私の見る限り周りにはいませんでした。
ゴム紐以外マスクにさわらない、鼻の横にすき間がないように着用...もかなりハードルが高いように見えました。

メガネが曇るためか鼻を出している人も多く見かけました。

お母さんのマスクを引っ張っている赤ちゃんもいました。...お母さんの鼻や口がむき出しになることより、他人のマスクにさわるのは危険なのじゃなかったかしら、と心配に...

マスクの着用にある程度の効果があるらしいのは(しぶしぶですが)認めます。
ただ、効果を期待して着用するのなら、専門家が勧める通りにきちっと着用すればいいのに、でなかったらやっぱり意味ない、と思えてしまうのです。

中国の多くの都市では外出禁止令が出たということですが、日本では連休の一日、たくさんの人が込み合った電車に乗って外出していました。


☝これも上野公園です。
不忍の池のほとりでもサクラが咲いていました。


日本には今でも紙タオルやドライヤーが備え付けられていない公衆トイレも多く、日本人が愛用するハンカチの出番なのですが、咳やくしゃみをする時など鼻や口を抑えるのに使ったハンカチできれいに洗った手を拭いてもいいのでしょうか。
実際、ほとんどの人がマスクを外していたカフェやレストランでマスクがわりか、食べながらハンカチで口を覆う奥ゆかしい女性をけっこう見かけました。

私に言わせれば、みんながマスクを外して飲食やおしゃべりをする日本の狭いカフェやレストランのほうが皆が口を閉ざしている電車内より感染の危険が高いように思われます。

街にゴミ箱が少ない、あるいはまったくない地域もある日本ですが、鼻をかんだり、口元を拭いたりしたチリ紙などが捨てられず、バッグやポケットに入れて長く持ち歩くことになるのも気になりました。

...いえ、私自身はそれほど神経質ではなかったのですが、菌がついているかもしれないチリ紙をバッグの中に外出中ずっと入れていることを、どこに行くにもマスクを外さない潔癖な人たちはどう思っているのかと気になったのです。


焼き立てパンをトレーにのせてとってまわる日本特有のベーカリーではおいしそうなパンが覆いもなく飛沫を浴び放題です。

日本のセルフサービスのカフェやファーストフードレストランではトレーにのせたまま食べるためでしょうか、店の人がテーブルをいちいち拭くこともないようなのです。
(イギリスでは運ぶのに使ったトレーからテーブルにうつして食べる人が多いためか、片付けてテーブルを拭く仕事を専門にする人がけっこうたくさんいます。
多くは知的障害者のその人たちに片付けてもらうのは社会的にも意義のあることなのです)





ベーカリーで売られていたパンダあんぱんと、ブタの蒸しパンです☝


感染源だとされるエスカレーターの手すりに手を触れないようにしている人も多かったのですが、デパートでは「手すりにおつかまりになり...」と安全な利用を呼びかけるアナウンスが繰り返されていました。

「人と腕の長さ以上の距離をとる」のも感染防止に効果があるとNHKが言っていました。
がしかし、あの通勤ラッシュでどうやってその距離を取れというのか...?
日本ではいっせい実現が難しそうだった時差出勤がこれを機に根付くといいですね。

イギリスでは「効果が期待できない」と言われているマスクをいっせいに(しかも、専門家が勧める方法を徹底的に実行するのは難しい、マスクの供給が追い付かない、にもかかわらず)着用するよりも、もっと日本で感染防止に役立つことが実行できそうに思えました。


中国の隣国で、感染者が多い(イギリスに帰った時点で、クルーズ船の乗客をのぞいて240人ほどだったと思います)日本滞在者がほかの国への入国を阻止されることを心配していたのですが、検査もなく無事、ストックポートの自宅に帰宅できました。

中国人の入国者がいなかったせいか、入国審査の列の進みはいつもよりずっと早かったのです。

乗り継ぎ地のデュッセルドルフ(ドイツ)に到着以来、マスクをした人を一切見ていません。


☝イギリスでもとても人気のあるドイツの焼き菓子、ストゥルーデル(筒状のアップルパイ)を本場ドイツの空港で食べました。
3時間以上も乗り継ぎ時間があったのです。


デュッセルドルフ空港の乗り継ぎ中継所の身体検査をする男女の係官だけは道路工事現場などで作業をする人たちが着用する防塵用のマスクをしていました。

帰宅した日のニュースによれば、イギリスの感染者は14人、翌朝19人になり、そのうち1人(クルーズ船での感染者)がなくなったらしいのですがまだまだ影響が少ないイギリスです。

勤め先の老人ホームのマネージャーが今週は家で待機するよう連絡してきました。
日本に限らず、イギリス国外から2週間以内に入国した人はホームに入れない方針なのだそうです。
まさかの感染者が高齢の入居者に接触することをおそれる予防手段でしょうが、納得です。

私も(感染していたとしたら)まわりに拡散するのだけは避けるつもりでいます。
冷蔵庫内が空っぽなのでスーパーマーケットで買い物はしましたが、しばらくは不要不急の外出や家族に高齢者や子供のいる人と会うのも控えた方がいいかもしれませんね。

全日空のジャンボ機では、マスクをしたたくさんの日本人ツアー客と乗り合わせました。
日本から帰国するらしい大勢のヨーロッパ人もあわせると200人ぐらいはいたでしょうか。

成田空港からは数分おきに出発便が国外に向けて離陸していました。
私と同じ日にとてもたくさんの人が日本国内から海外に渡航したはずです。



海外旅行ツアーの人たちはまさか自主隔離なんてするはずがないし日本人のツアー客は短期間に多くのヨーロッパの都市を回るはずですね。
感染の可能性のある人たちがまさかのヨーロッパにコロナ菌拡散...なんてことにならなければいいのですが。

昨日のイギリスのスカイニュースチャンネルでは、「中国のように大量感染者が発生した場合、イギリスがどこまで対応できるのか」を解説していました。

解説者は「中国のように6日で専門の病院を建てるのは無理。中国のように外出禁止を罰則を伴う法令化するのも無理。なぜならイギリスは民主国家だから。」と言っていました。

日本のように各人が自己流の努力をするよりも中国のように全員がマスクを正しく装着したり、外出禁止や町の閉鎖を法令化するなど国家の圧力のもとに徹底的にちゃんとやった方がいいに決まっているのです。
...がいかんせん、日本もイギリスも民主国家なのです!
中国式は無理ですよ。(中国ではあれだけやってもまだ感染者が増えていますね)

さて、感染レベルが日本並みになったとすれば、イギリスはどの程度の対策がとれるのか.?


東京駅の新幹線ホームで見つけた広告看板、気に入りました。☟





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