歳の瀬の風物になっている浅草の羽子板市へ行ってきました。
浅草雷門から仲見世を通り今年は商店街の飾り(羽子板・駒・年賀など)ないのがちょつと寂しい感じでした。
仲見世商店街 外国から人ばかりでした。
羽子板市はもともと「歳の市」と呼ばれ、正月用品や縁起物を売っていた。次第に縁起物の「羽子板」を扱う店が増え、今では「羽子板市」として定着し東京を代表する冬の風物詩になっている。
羽子板市の起源は、古くは「邪気を跳ね返す板」として女の子の成長からを願う風習からきています。現在のような浅草の羽子板位置は明治中期、毎年歳末に行われる浅草寺「歳の市」の主要商品として販売されていたのが始めといわれ、戦後の昭和25年頃には「羽子板市」の名で呼ばれ、歳末の風物詩として定着した。
羽子板市で売られている押絵羽子板の起源は、文化・文政年間(1804~1829)頃からといわれ、江戸末期には歌舞伎の役者絵が画題となり江戸中心に現在に続いています。
羽子板の製作はかっては下谷周辺の下町に多くありましたが、関東大震災や戦災の影響でその多くが埼玉近郊に移転している。
今年は変わり羽子板が少なくなっていました。
また、出店がだんだん少なくなり寂しい感じです。
羽子板には、主に「木目込み羽子板(」と「押絵羽子板」の2種類があります。羽子板は、制作工程(技術)の違いにより、2種類に大別されます。押絵羽子板は、職人の技術によって、布で厚紙と綿を包んだパーツを組み合わせて、立体感のある絵を表現することができる技法です。
東京芸術大学デザイン科と羽子板職人のコラボレーション展
毎年12月17日~18日まで羽子板市は開催されています。
浅草寺本殿へ
人が多かったですね。
今年は外国人ばかりでした・・・いつもは日本の年配者が撮影にきているのですが少なかったです。
北陸 今年は雪が大変多いそうですね。体調を気をつけて下さいね。