碓氷めがね橋と紅葉・・・写真は2018年11月3日撮影
11月3日 休日お出かけフリー切符(2670-)+横川駅(電車代不足分 760-)+トロッコ列車(片道900-)で
峠の湯で降りてからアプトの道を歩いて ・・・約 2,1Kで、5号隧道を抜けて「碓氷めがね橋」に到着しました。
めがね橋 上に・・・
めがね橋 上から橋桁を
めがね橋の上からの紅葉 ちょうど紅葉が見頃です。
向こう側の橋は中山道?
山の紅葉はモミジがないので・・・こんなものです。
めがね橋上らから・・熊ノ平方向を
6号隧道入口・・・軽井沢方向 今回はここまで
前回の写真 6号隧道は546mで、アプトの道で一番長いトンネルです。
トンネルの側壁に大きな穴がいくつも・・・天井にも小さな穴があります。
6号隧道の横坑は工期短縮の為、途中からもトンネル~この穴はトンネル出入口以外からも入れるように造られ、掘削時に発生した湧き水や土などをここから外に出したり、トンネル内に空気を送り込んでいたようです。天井の穴は排煙用の穴です。
めがね橋の矢印
アプトの道とは、明治26年の開通から昭和38年の新線開業まで、70年間使われた信越本線の、貴重な鉄道の歴史や数々の思い出を残して、鉄道ファン、沢山の人々に惜しまれながら廃止された・横川~軽井沢間(碓氷線)の一部で、JR横川駅からめがね橋まで(現在は 1,2K 伸び 熊の平)を遊歩道として整備した道です。めがね橋から5号隧道・・・3号隧道を出て・・・
旧国道18号へ
国指定重要文化財碓氷峠鉄道施設
碓氷第三橋梁(めがね橋) 平成5年8月17日 指定
高崎~横川間は明治18年(1885)10月、軽井沢~直江津間は、21年にそれぞれ開業しましたが、唯氷線と呼はれた横川~軽井沢間は、碓水峠が急勾配のため、路線決定に紆余曲祈し.明冶26年(1893) 四月開業となり、高崎~直江津間の全線開業しました。横川~軽井沢間の11,2 キロメートル1000分の66.7という急勾配のため、ドイツの山岳鉄道で実用化されていた、アプト式が採用され、昭和38年まで走り続けましたこの碓氷線には、当時の土木技術の粋を集めて、26のトンネルと18の橋梁が造られましたが、なかでもこの碓氷第三橋梁は二百万個以上のレンガを使用した、国内でも最大のレンガ造アーチ橋です。
文化庁 安中市教育委員会
めがね橋の下から
旧信越本線の碓氷第三アーチ
1、建設 明治25年12月竣工
2、設計者 イギリス人 パゥネル技師 日本人、古川晴一技師
3、構造 煉瓦造アーチ橋(径間収数 4、長さ87,7 メートル)
4、建設してからのあゆみ
碓氷の峻険をこえるため、「ドイツ」の「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。その、こう配は1000分の66.7という国鉄最急こう配です。これを昭和38年9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。このアーチ橋は廃止となった構造物の中では最大のものです。すぐれた技術と芸術的な美しさは今、なおその威容を残しております。ここに往時を偲ぶ記念物として、その業績を長くたたえたいものです。」
昭和45年1月1日 高崎鉄道管理局 松井田町教育委員会
めがね橋
めがね橋(碓氷)
第一橋合(横川方)は地盤が固く簡単な基礎で済みましたが、第二橋台(軽井沢方)は地盤が軟らかかった為、下からトンネルを樵り、固い地盤を見つけ、その上に楕円状のレンガの基礎を造り横倉にしたと言われています。第三橋脚(軽井沢方)も同じように地中深く橋脚が埋められています。橋脚には細長い石が横に入っており(強度を高める為、現在の鉄筋の代わり)橋梁の上部は軽量化の為(水抜き穴の上部。現在でもその機能を十分に果たしている)レンガ屑や石炭ガラで埋められているといわれています。・・・説明書より
紅葉も見頃で良かったです。
めがね橋から再度 アプトの道を歩いて碓井湖~峠の湯~旧丸山変電所(国重要文化財)~鉄道文化むら~横川駅と
アプト式とは、「ラックホイール」と呼ばれる歯車型の車輪と「ラックレール」というこれまた歯車型のレールを噛み合わせることで1歩ずつ坂を登っていく仕組みです。急勾配の線路を登る際に滑り落ちない様に、スイスのカール・ローマン・アプト氏によって開発されたシステムです。通常の2本のレールに加え真ん中にラックレールが敷いてあります。碓氷峠「横川〜軽井沢」間という短い距離を80分かかっていたそうです。