長野県松本市には、現存天守閣を有する「松本城(まつもとじょう)」が、日本アルプスの山々を背景に、戦国時代特有の黒色を基調としたコントラストが映えて、見事な景観を披露している。五重六階建造の連結複合式天守閣としては、日本最古の安土桃山時代末期~江戸時代初期の建造と見られている。
建造当時から永年にわたり「深志城(ふかしじょう)」と呼ばれていた松本城は、国内現存天守閣12城の中でも、姫路城・犬山城・彦根城・松江城などと共に、国宝五城に指定されている。感無量な心境で「連結複合式天守閣」を眺めれば、大天守に寄り添う乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の総合的な雄姿は、実にアンバランスだ。
お城の象徴である天守閣は連結複合式で、敵を迎え撃つ実践的な「櫓」や「各種狭間」や「石落とし」など、戦国時代の騒乱の渦中を守り抜く工夫が施されているにも拘わらず、一切の防御に不向きで窓などが開放的な風流な遊興じみた部分での工夫がある「月見櫓」が両立されている。従って乱世から泰平の世の中へ移り変わる中で、時代の流れに応じて活躍したお城だと推測できる。
松本城の歴史は、信濃の守護だった小笠原氏によって深志城が築城され、武田家馬場氏、織田家木曾氏、上杉景勝氏、徳川家小笠原氏にいったん戻るも、松本城と名を改めてからは、豊臣家石川氏、初代の小笠原氏、徳川家松平氏・水野氏らが、転々と城主を入れ代わり立ち代わりで担ったとある。
▲天守閣最上階より見た「東側」
▲天守閣最上階より見た「南側」
▲天守閣最上階より見た「西側」
▲天守閣最上階より見た「北側」 ▼天守閣最上階の屋根裏
明治30年頃に、天守閣が大きく傾いて「松本城」最大の危機を迎えたが、地元保存会の尽力で明治と昭和の大修理を経て、堂々とした天守閣を今に残す歴史がある。
建造当時から永年にわたり「深志城(ふかしじょう)」と呼ばれていた松本城は、国内現存天守閣12城の中でも、姫路城・犬山城・彦根城・松江城などと共に、国宝五城に指定されている。感無量な心境で「連結複合式天守閣」を眺めれば、大天守に寄り添う乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の総合的な雄姿は、実にアンバランスだ。
お城の象徴である天守閣は連結複合式で、敵を迎え撃つ実践的な「櫓」や「各種狭間」や「石落とし」など、戦国時代の騒乱の渦中を守り抜く工夫が施されているにも拘わらず、一切の防御に不向きで窓などが開放的な風流な遊興じみた部分での工夫がある「月見櫓」が両立されている。従って乱世から泰平の世の中へ移り変わる中で、時代の流れに応じて活躍したお城だと推測できる。
松本城の歴史は、信濃の守護だった小笠原氏によって深志城が築城され、武田家馬場氏、織田家木曾氏、上杉景勝氏、徳川家小笠原氏にいったん戻るも、松本城と名を改めてからは、豊臣家石川氏、初代の小笠原氏、徳川家松平氏・水野氏らが、転々と城主を入れ代わり立ち代わりで担ったとある。
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▲天守閣最上階より見た「西側」
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明治30年頃に、天守閣が大きく傾いて「松本城」最大の危機を迎えたが、地元保存会の尽力で明治と昭和の大修理を経て、堂々とした天守閣を今に残す歴史がある。
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「CANON 一眼レフ」と「CANON Power Shot G7XⅡ」と「iPhone」での撮影です。
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いいお天気に恵まれてよかっただすね
松本城の写真もいっぱい撮っただすね
お城のどっしり感が素敵だす
外観もいいだすが、内部、石垣も
ぐっとくるだす 写真ありがとうだす
ぷっちんだす
近々行く予定の松本城です。
綺麗なお城ですね。
埋橋とお城のコントラストが妙に記憶に残る写真です。
またバックの青空がいいわ。。。
長野には松本城をはじめ、行きたいお城がたくさんあります。
松代城、上田城、小諸城、高遠城
きっとクリエイターさんはすでに行かれた場所だとはおもいます。
松本城。。早く行ってみたいです。
炎クリさん♪
昨日の上高地の爽快な景色も
そしてこの松本城の光り輝く中にも落ち着き払った勇姿も
ほんとここ何日間かの豪雨に打ち破られた日本列島なのかな~て、思ってしまうくらい。
とても綺麗で炎クリさんのシャッター音に微笑むかのように。。全身でポーズとってくれてますね(笑
青い空に、遠くには残雪の山々、四季を通して景観との調和も見事でしょう!!
大切に信州の人人の象徴として、愛され守られてきたんでしょうね!!
素晴らしいです。ほんとに。
炎クリさんの真剣にお写真を撮ってらっしゃるお姿。ご苦労を察して、来訪を待ってたかのようでしたね!!お天気に恵まれた2日間で良かったです。
今朝もありがとうございます。瀬田川の水位も。。大丈夫でしょうか?どうぞお気をつけになって下さい。
雨の影響は出ていませんか?
こちらは水曜日からずっと☂
夜の激しい雨の音で寝不足です。
大きな被害が出ないことを願うばかりです。
松本城をこんなにきれいな写真におさめていただき信州人として松本城ってこんなに素敵だったんだと改めて思いました。
松本城は小学生の社会科見学で訪れただけでそれっきりです
いつでも行けるからと思っていると結局行かないんですよね
炎クリさんご夫婦に習ってわが家も主人と松本城へ出かけてみようかな
竹流しの竹筒ですが孫達の玩具になるかなと思っているようです
赤霧島は飲んだことがありません。今飲んでいるのは白霧島ですが福岡のネット友達のご主人が赤霧島も美味しいと聞いていたので白霧島が終わったら飲んでみようと思っていたので大変うれしかったですありがとうございました。
松本城は行ったこともありませんし、見た記憶も・・・
実際には映像・写真で見たことはあったと思いますが、特に印象には。
正直な印象は、何故か不恰好なお城だなあと。
初めからこの形だったとは思うんですが、途中で無理やり建て増した見たいな・・・
非常に不穏当な発言でした。
国宝に対して失礼な言い方をしてしまいました。
私の町のお城と違い平城ですし、きっと鉄砲が利用されだした以後のお城なんでしょうね。
平穏な時代だからこそ、その姿をお残しているんでしょうね。
いつもコメントありがとうです。
しじみちゃん
連結複合式天守閣のお城は、日本に数多くあるんですが、江戸時代からの実物が残っているのは、意外と「松本城」だけなんですよ。裾の景観がドッシリと見せるんでしょうね。石垣は結構な「崩れるんじゃないの?」の危うさでしたよ。
Brosaさん
奇遇ですねぇ~松本城、良い感じでした。良くも悪しくも江戸時代から残っている、現存天守閣ですから歴史的な一面からしても、感慨深いものがあります。お天気的には、一日ズレただけで大変なことになっていました。戦国と言えば「真田」となるわけで、この次は「上田城」へ向かいました。高遠城(兜山城)も魅力一杯ですけどね。
くにちゃん
この松本城を訪れた日は、カンカン日照りで無茶苦茶暑かったですよ。クーラーボックスにギッシリ詰めてもらった氷も、追加の運命を辿りまして、これが帰りの高速道路、車の中で眠気覚ましの強ぉ~~い味方になったんですよ。一眼レフのシャッターは、人それぞれ切るタイミングってのがありまして、ワシは簡単にカシャカシャやらない昔気質の撮り方なんで時間がね。(笑) 瀬田川の氾濫は、まずないでしょうけど、我が家は大丈ですよ。
Keronpaさん
お天気ね、晴れ男の遊ぶ場面には「雨」は似合わないので、あの日程がベストでしたね‥‥‥とは言っても1箇月以上も前から決まってましたけどね。(笑) 地元の史跡って、案外足を運ばないみたいな、ワシもそんな感じですよ。こう見えても、奈良の大仏さまを見にっ行ったのは、幼稚園の遠足と約10年前の計2回ですよ。(笑) 霧島や三岳は、ワシもファンでして、霧島には「赤」と「茜」があって迷ったんですけどね。こちらこそ感謝です。
まさむらさん
まさむらさんが何と言っても、現存天守閣の、しかも国宝ともなれば‥‥普通に雄大で奇麗なんですよ。城跡にまやかしの模擬天守閣を現在の工法で建てられているのは、全部が全部単独の天守閣ですからね? 連結複合式天守閣が実際の戦国時代の形だと言えるんですが、アンバランスなのは、月見のための遊興な櫓が増築されているってのがね。しかし、それも歴史の一環で時代背景が面白くなんですか?(笑)
皆さんの応援に感謝します。
いつも(^_-)-☆ありがとうです!