逗子にあるキリスト教会の逗子第一バプテスト教会です。

牧師のつれづれ日記、地域情報、教会の様子を紹介します。

あなたのその力をもって行くがよい

2021-05-04 10:32:55 | 説教要旨
2021年5月2日 主日礼拝宣教
 「あなたのその力をもって行くがよい」  士師記6章11-18節
 今日の聖書個所に出てくる士師ギデオンは味方の兵士三百人で、敵であるミディアン人を打ち破った話で有名である。この士師というのは本来「裁く」という意味を持っているので、裁く人であったと考えられる。しかし、イスラエルの歴史において、士師はカナン占領からユダヤ王国設立までの期間、神によって起こされ、イスラエル人たちを敵の圧迫から解放する軍事的、政治的指導者を指す。士師記には12人の名が挙げられている。その中の一人が今日の聖書箇所に出てくるギデオンである。
 当時、ミディアン人はイナゴの大群のように来襲しては、作物を略奪していった。人々は毎年のように襲ってくるミディアン人を避けては山の洞穴に逃げる生活が続き、難渋の日を過ごしていた。ギデオンはこの窮状を救うため神の召しを受ける。しかし、彼は神に不信の念をあらわにし、神はわれわれを救うはずではないのか、なぜ毎年のように苦しまなければならないのか、とまるでヨブ記に出てくるヨブのように苦衷を訴える(6:13)。しかし、そのギデオンに向かって、神は、「あなたのその力をもって行くがよい」と言われるのだ。神はギデオンに特別な力を与えようとは言われない。今現在のありのままの力で十分に太刀打ちできる、なにしろ「わたしがあなたを遣わすのではないか」(14節)と言われるのだ。私たちは大事をなさねばならない時、特別な力や才能がなければならないと思いがちだ。しかし、思いもよらない大仕事もありのままの力を神は用いてくださることをギデオンの物語は教えている。神がその大仕事に私たちを遣わしてくださるのだ。
 確かに福音宣教の働きは大仕事だ。私たちはこの世に在る者であり、肉に在って歩いている者だ。そして置かれている現実は非常に厳しいものがある。それを無視したり、忘れたりしてはならないだろう。現実とはきちんと向き合わなければならないと思う。しかしまた同時に、主が共におられることも忘れてはならないだろう。一言をもって天地を創造された神が共におられることを無視すべきではない。信仰とは自分の現実にとどまらず、神が共におられる現実に生きることでもある。信仰とは、どこまでも神が共におられる現実に固く立って生きることである。
 主は私たちをこの世の厳しい現実の中に遣わされる。小さな群れである私たちの教会は、逗子・葉山を中心にした近隣の救霊のために遣わされ、この逗子の地に立てられている。しかし、主はただ「お前たちは行ってこい」と言って、自分は天にいて腕組みして見ている御方ではない。「私があなたと共にいるから」(16節)と言われるのである。主自ら働かれるのだ。そうでなければどうして「ミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる」だろうか。主が自ら働かれるのだ。
 主が共におられるから、主が自ら働かれるから、私たちに「あなたのその力をもって行くがよい」と言われるのだ。だから、私たちはただ主が共にいてくださるという現実に生き抜くことが大事。主に信頼し、主に従って、これからも逗子第一バプテスト教会の歩みを雄々しく力強く歩んでいこう。