今日は、工場のお隣さんに頼まれていた、切り倒した木を搬出する作業を行いました。
春先に頼まれていたのが、刻みや建て方の終了を待って、こんな時期になってしまったのは申し訳ない。
でも、丸太は乾いたかも・・少しは・・
地元の木をなるべく使いたい。
それがどんな木でも。
この木は、住宅の脇に立っていて、何十年も風や雪から守ってきた木です。
あまり高くなってしまったのと、葉が落ちて雨樋をつまらせるという理由で、何本か切り倒してしまいました。
「持っていってくれ」
とのことで、根曲がりや細い丸太を見ると、普通の材木屋さんは、「処分費」を請求するところです。下手をすると見向きもしないでしょう。
もったいない。
それでも、30年~40年の杉の木です。
私と同い年か、それ以上。
木を切るということは、命を絶つということ・・
無念の思いを残したくない。
とりあえず、使えそうな木は全て引っ張り出しました。
丁度、トラックに積荷を載せていたので、重しをかけて、引くことができます。
でも、なかなか思うとおりに動いてくれないのは、自然相手ではよくあること・・
森林組合もこうやって木を出しているのかと思うと、手間がかかるものだと実感しました。間伐だと、周りの木を傷めることが出来ません。
周りの農道を移動しながら、何本か出したところで、ぬかるみにはまり、何とか自力で脱出。
これ以上は無理だと判断して、作業を終わりました。
農道脇に、すぐ積み込めるように積んでおいたので、次回、材木屋さんに行くときに持っていって挽いてもらう予定です。
作業が終わり、お客さんと話し込んでいましたが、
昔は、このあたりも、モモンガが飛んだり、神社のほうでは、フクロウが鳴いていたそうです。
のどかな、田園の風景を思い起こします。
杉を切った後に、竹が出始め、直ぐに伸びてしまう。
地下茎によって、竹は繁殖していきますが、筍も今年は沢山とっても、まだ出てくる。
昔のように、ハサギにして、稲を干す作業でもあれば、利用できるのでしょうが、機械が発達した今の時代は無用の長物となってしまっています。
昔は、杉の木に竹を横に渡して、そこに稲を束ねて引っ掛けて干していたのです。
晴れた日に、干して、雨が降りそうになると急いで小屋にしまい込む・・・
それだけ手間をかけて米を作っていたのです。
切り倒した木の端材も、ある程度の長さのものは冬囲い用に・・
残りは、細かく切って山積みにし、シートをかけて、「ニオ」といっていたそうです。(雪の場合は「雪ニオ」と呼んだ)
冬に、取り出して、薪にしていました。今となっては、風呂や釜戸が無いので、利用することも無くなり、ただ燃やすだけ。
たまに、山菜や餅を煮るための釜戸を用いるくらいです。それでも、長時間火を使うときは薪のほうが良いそうです。
山古志の人たちは、震災の最中、ガスも電気も無い中で、最後の手段として釜戸でご飯を炊いたそうです。
いざとなったら、昔の知恵が活きてくる。
ガソリンも、ガスも電気も値段が上がる中、最後の手段の薪導入の日は来るのでしょうか?そのほうが環境に良いのでしょうが・・
そんな話をして過ごすと、時間がゆっくりと流れる気がします。
木を眺めながら、作業をしていると、山の木を使う伝統構法を継承させなければならないという使命を感じます。
三島の山の森林を見るたびに、そう思っている。
この広大な山の木を使わなければならない。
伝統構法の継続は来年が山場を向かえそうです。
日本古来から引き継がれてきた山の木を有効に組み合わせる技を、絶やすわけにはいかない。
これからが正念場。
地震以降、正念場続きだな~。
だから、死ねないのよ。
山の木の話へ・・