新潟県中越地震は、川口町を震源地とする地震で、マグニチュード6.8の本震と、マグニチュード6クラスの度重なる余震により、中越地区各地に多大な被害をもたらしました。
その傾向をまとめると、
○10月23日夕方5時56分に本震による突き上げ
○2回目以降の度重なる余震による横揺れ
による影響が全ての構造物に被害をもたらしています。
1.突き上げ
中越地区のあちこちで、突き上げの影響が出ています。
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川口町
・大根が地面からスポンと抜けた。
・墓石が5m以上飛んだ。
・岩が山を越えて飛んできた。
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長岡の山沿い
・寺の御本尊が飛んできた。
・マンホールが上がっている。
山古志村
・作業場で「立って」作業していたら、地震の次の瞬間、気絶して寝ていた。あわてて外にあった車で逃げようとしたが、タイヤがパンクしていて、歩いていこうとしたら、前方の道路が谷底に落ちていた。
突き上げの瞬間の状態で、どれだけのショックがあったかを物語っています。
2.造山運動
震源地の川口町を境に、北側(小千谷市側)は地盤が上がり、南側(堀ノ内町側)は地盤が下がっていることが、国土地理院の観測により判明しました。
日本の本土を形成している太平洋側のプレートが日本海プレートの下に潜り込み、長岡の東山を形成している山古志、川口町北部が乗りあがって、山を形成していく構造となっています。
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長岡市宮本町、小千谷市、三島郡与板町に木喰三十三観音が祭られていますが、その由来は、この一帯が200年~300年周期で地震があり、そのたびに山ができたり、谷ができたりし、その被害で多数の死者が出たために建立されたとのことです。
東山一帯は、海の生物の化石が採取されることから、昔は海だったことがわかっています。
その海が、周期的に地震が繰り返され、地盤がせり上がり、300m級の山になるまで何十万年もかかったことになります。
3.雪国の伝統構法
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十日町の河岸段丘の形成も地震による隆起によるもので、中越、魚沼地区に頻繁に地震が繰り返されていたようです。
そのため、この地域につくられる住宅は、雪と地震に強い構造であることが要求され、伝統技術の中にそのノウハウが埋め込まれてきました。
雪国のせいがい造りは、小屋組みが複雑で、梁とそれに直交する中引がからみあうようなつくりになっています。
そのような、小屋組みには雪国の根曲がり材が最適でした。
また、通し柱を多用し、差鴨居(さしがもい)で中間をしっかり固定されることで、突き上げによるショックに耐える構造となっています。
差鴨居は重量のある材料で、小屋組みは比較的細くて軽い丸太を何本もからめる構造で、重心が建物の下側にくるようなっています。
重心が下にあると、横揺れに対してバランスのよい構造となります。
今回の地震でも、1回目の突き上げ、2回目以降の横揺れに対して、伝統構法で建てられた家は十分耐えていました。
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