安倍元首相の銃撃事件の犯人の証言から、旧統一教会(世界平和統一家庭連合 )の実態がいろいろと暴かれる事になっている。連日のようにTVの情報番組などでも取り上げられていて、元協会員や元協会員の家族や、さらには大学の原理研などでもこの教会の勧誘なども現在も行われている状態であること。
元信者の現在も大学の教授などの話もある。
この銃撃事件の犯人(山上徹也容疑者 )の母親も協会員で信者であったし、今でも信者である。 献金額は1億円を超えているとの事。 もうこうなると、完全にこの教会がお金目当ての団体としか言いようが無いだろう。
さらには数億、数十億円もの寄付をした信者もいるらしく、そもそも、なぜこれほどのお金を献金する程にマインドコントロールが行われているのか? この創始者は元北朝鮮から韓国に来た人間で、当初からお金を集めて、おそらくは北朝鮮への資金提供が本当の目的だろうと想像できる。
この犯人の母親は「1998年頃に入信し、2002年頃に経済的に破綻したという。09年頃から17年頃までは同連合の行事に参加していなかったが、2、3年前から再び接点を持ち、2か月前にも行事に参加していた。」
経済破綻するまで献金をある意味では強要するような協会、団体、宗教と言う傘を被った大掛かりな詐欺集団である。
そもそも、こんな、北朝鮮から韓国へ渡ってきた文鮮明によって1954年に韓国で創設された宗教右翼団体である 。
こうした宗教はカルト宗教とみなされている(欧米などでは闇の宗教だ)。
マインドコントロールや霊感商法などを駆使して、協会員を集めて、膨大な資金を集める。 特にオウム真理教なども同じ手法のマインドコントロールなどを駆使して、高学歴の人間を教団に入信させて、殺人すら正当化するような心理を植え付ける事に成功もしている。
人間はこうした心理操作には意外と弱く、自分を確立していない若い人などは特にコントロールされやすいのだろう。
さらには、これまで自分の事をあまり考えていない女性や、世間をあまり知らない真面目な人の方がコントロールされるのである。
逆にある程度の年齢になり、世間の表や裏を知っているような人からすると、こうした怪しい宗教などには興味もないし、信じるほどの心を奪われることはないだろう。
こうした教会などに入信するタイプの人はほとんどは真面目で誠実な人柄が多くいる。 少なくとも、何か別の目的がある人は、逆に言えば、この教会などから自分の得になるような事を考える人なら、間違いなく、コントロールされることもないだろう。
全く理解できないのは、合同結婚式なる制度。 始め逢ったばかりの人とその場で結婚を決めるなんて・・・??? あり得ないでしょ!!
それを当たり前に考える事自体がすでに完全にコントロールされている状態だろう。 歌手の桜田純子もこの合同結婚式で全く面識がない一般人との結婚をした1人で、TVなどでも大きく報道された。
他にも芸能人や著名人なども信者であることを知られている人も多々いて、こうした有名人を宣伝効果に用いて、一般人を呼び込むような手法も悪質であると言える。
これまでもいろんな問題や裁判もあったにも関わらず、こうしたオカルト教団(これは反社会的な集団である)に入信してしまうのか? 知らずにセミナーに誘われて、そこでコントロールされる事になるのであるだろう。
これは単なる知識の問題だし、そもそも、何を本当に信じるのかだろう。
何か本当に自分が自分であることが出来るのか? 生きる事が何なのか? 人生とは何なのか? こうした事を真剣に考える事を避けて来た人は、誰かの意見や思考、考え方を受け入れてしまうのだろう。
そもそも、私が何度も言っているのだけど、自分を自分で確立出来ていない人は将来の目的や希望や、そもそも何のために生きているのかも認知していない。 なので、自分以外の考え方に影響されるし、すがり着きたいと願うのである。 どんな事もどんな物も、どんな世界も自分自身の心の世界であり、他の誰であろうと自分の人生を変える事は出来ないし、作る事も出来ない。
それはどんな宗教も同様だし、どんな著名な人の経験や思考も出来ないのである。 人間は学習する事でいろんなな物事の真理や真実を知ることになるだろうが、最後は自分の意思が全てだ。
自分が進む道や未来を創る力は自分以外には無い。 この世には神もないし、何か魔法のような力すらないのである。
人間は単なる生物である。 地球に生存する全ての生物と同様の存在である。
他には何もない。 霊長類などと言う言い方は私はあり得ない。
人間だけではなく、犬や猫や牛やヤギやウサギやライオンやイルカ・・・・・。 植物でも同様だし、人間が作った建設物や作物も同様である。 同じ地球上の存在と言うだけの物だ。 自分を何か特別な存在として認識するのは間違いで、人間が特別な存在もないし、そもそも、神様などと言う物はあり得ないのである。
ただ、人間は何かそうした儀式的な物が好きだし、死んだ後の話も好きだし、そういう信仰によって安堵感を求める心も理解できる。
しかし、どれほどの宗教心でも死の時の痛みや苦しみ(事故や病気など)を無くせる物ではない。これは生物である以上は、必ず感じるだろうし、病気になれば痛みもあるし、熱も出るし、適切な治療を受けないと死に至る事も確かな事である。 神様にお願いしても死を避けることは出来ないし、人間には寿命がある(どんな物でも寿命があるので、何時かは朽ち果てるのである)。
数億円の献金で何か救われると言う考え方自体がすでに間違っている考え方であることは明らかで、そもそもなぜお金でそうした物が買えるのだろうか?なぜお金で苦悩が消えるだろうか? どれほどの苦悩も悩みも時間の経過とともに解決する事だし、人間の営みはそもそもそうした信仰では成り立たない。
現実にどのように生きるのか? 現実に何か必要で、どのような思考が必要で、どのようなアプローチが必要なのか?
さて、いろいろ書いたけど、言いたいことはただ一つである。
自分を信じ、自分を作るのも自分だし、常に自分を肯定する心が平和を生み出す力である。 自己否定の心からはどれほど頑張っても幸せは生まれない。
どんな状況でも自分を信じることである。 他の誰でもなく、誰も自分を作る事も出来ない。 なぜなら、自分は唯一無二であるので、どんな優れた考え方も当てはまらない。