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普通の生活の中での、思いついたこと、考えたこと。何かを表現したい、書いておきたいと思った時に、ココで発散しています。

鈴木先生の思い出

2013-01-23 15:44:41 | テキスト出版への道☆
原稿☆ 短答問題を100コ 作ります 今日中にやるわ!
漠然と100コと思っているより、それでもできるけれど、「可視化」が大切(#^.^#)
付箋に「10」「20」と書いて、パソコンの前に貼っておくの。それで、10コできるごとに、はずしていく。
    
こうすると、目に見えて減っていくし、わかりやすくていい。
仕事の楽しみは、いかに工夫するか、にかかっていると思う。毎日のルーティンワークであっても、そこに工夫をちょっとしてみると☆楽しさが生まれます。何をするにも、楽しくなくちゃね!
何事も、楽しくなければ続かない。人と人との付き合いも、基本は「一緒にいて楽しいかどうか。」
楽しいことって、疲れない。疲れを忘れてしまう、というか疲れを感じないんですね。
勉強もスポーツも、要はソコだと思う♪

いかに楽しめるか。いやだイヤダと思っていると、能率もあがらない、集中できない、覚えられない。だらだらと時間だけ過ぎていく。もっといけないのは、そこに「恐怖心」が加わること。叱られるからやる、怒られるからやる、
どなられるから、叩かれるから その場は何とかなっても、先に行って伸びる?恐怖心は一生忘れない。
本当にかわいそうな事件だった、体罰の問題。

体罰に関係した、私が中学の時の話をします。

理科の「鈴木先生」という方がいらっしゃった。
私が3年生の時、理科の時間にクラスの男子数人が何かやらかした、それで鈴木先生は怒りました。
実験道具を使った悪ふざけか何かだったと思う、他の子達も、その男子たちを笑って見ていたり、何人かあとから加わったりしたので、クラス全体が叱られた。
先生は男子数名を叱ったあと、「クラスの連帯責任」だとおっしゃった。
そして、クラスのはじから一人ずつ、座っている生徒の頭の上にしっかりと自分の左手を載せて、
その上を自分の右手で「ばしっ!」と叩いていった。
みんな、「いってぇ~~!」と言っていた…順番が回ってくる。女子も男子も関係なし。次は、私の番だ…
こわくて、どきどきしました。そして、先生の大きな手が頭の上をしっかり押さえて、そのあとに、ビーン!という衝撃が走りました。音だけは「ばしっ」という大きな音ですが、さほど痛くなかった。
というより、響いた感じで、痛くはなかったのです。

そして、全員の席を回ったあとで、教卓に戻った先生は、「いいか!○○で××で!」と、お説教を始めたのですが
その内容は忘れてしまいました。…みんな神妙な顔をして、黙って聞いていたのは確かです。

でも、私には見えた。一番前の席に座っていたので、先生の手が見えました。

鈴木先生の左手、みんなの頭の上に乗せて、30数名分、「ばしっ」とご自分の右手で叩いていたその左手は
真っ赤になっていました。

その、赤くなっていた先生の左手は今でも思い出せる。まだ若い、男の先生でした。

私達は、1回ずつだったけれど、先生は30数回自分で自分を叩かれたのです。生徒を叩くなら、自分もその痛みを知らなければならない、との思いからだったのでしょうか。

先生から受けた「体罰」といえるのはそれ1回だけです。なぜだか忘れられない。何より、嫌な気持ちは残っていない。

昨年、30年ぶりに中学の同窓会がありました。学年全員と先生方が集まり、地元のホテルを会場にして和やかな再会を果たしましたが、
鈴木先生はもうすっかり白髪になり、ロマンスグレーのおじさまでした。
歓談の時に、先生にこの話をしてみたところ、「そうか~そうか~そんなことしたか~そりゃあ、悪かったな~」と、にこにこしてうなずいてくれたのですが、
ふと、真顔になって、「お前、あれだろう、ひまわりの肥料まちがえただろう、あれでか?」ちがいます^_^;
「いえ、クラスの男子が何かやったんです」「ああ、あのクラスは悪ガキばっかりだったからな~はははは!」
…先生は、このことを全く覚えていらっしゃいませんでした(^^ゞ 

でもいいんです♪ 私の中の小さな思い出、です。鈴木先生の赤くなっていた左手は、ずっと忘れません。


「師弟愛」って、信頼の上になりたつものだと思う、でもそこに相手を傷つけるだけの暴力はいらない。


今週の土曜日は就活講座がひとつ入っています。体罰とは無縁だけど、人は「言葉」で傷つくこともあるので、
しっかりと言葉を選んで講義をしたいと思っています。


(^^)/~~~
コメント
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