気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

昭和35年赤穂高校甲子園初出場を振り返る

2024-07-17 22:23:03 | 昭和レトロ
赤穂高校(駒ヶ根市)の甲子園初出場時のネタです。
私の身内や、親戚縁者に赤穂出身者っていないのです。
なので、昭和42年刊行の「長野県高等学校野球大会史」を参考に書かせて貰います。
この年の県大会主会場(準々決勝から)は、なんと伊那市営球場でした。
(現在の市営球場は、スタンド無しの簡易球場と化しております)
しかし、ベスト8に残った上伊那勢は赤穂のみ。
なんとか、地元伊那での大会なので、決勝戦まで残ってくれ~!
と郡内の人たちは祈っておりました。
なんと、願いは通じ決勝戦は、赤穂VS長野。
この決勝戦、伊那市営球場始まって以来の大観衆を集めたみたいです。
画像を見ると、本当に立錐の余地もありませんね。
3万人くらい入ったのでしょうか?
いや、この観衆が外野スタンドまで埋まっていたら5万人規模かも。
赤穂・竹村投手が投球の度に、球場外に停めていたクルマがクラクションを鳴らして、試合を盛り上げた?ようです。
(伊那のオヤジらしいですね---)
また、市営球場隣(今の伊那スタジアムの場所)にあった伊那東中学校は、生徒たちが授業中落ち着かずに、午後休校にしたそうです。
そんな、大フィーバーの中、赤穂は3―1で優勝いたしました。



甲子園では、1回戦は不戦1勝。
2回戦は、なんと早稲田実業とですよ。
もう、王貞治選手などは卒業していませんでしたが、全国優勝経験のある強豪校です。
この早実相手に、1―2。
しかも、先取点は赤穂で、惜しくも1点差の逆転負けなのです。
強豪校相手に凄いですね~。
ちなみに、30年・31年・36年は伊那北が3回甲子園に出場しています。
とにかく、昭和30年代は、上伊那勢が強かったのであります。

※2016年7月16日ブログのリメイク版です。


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