今日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
・ 惑星X。物体X。容疑者X。Xがつくと無性に正体を知りたくなるが、「文庫X」には意表をつかれた。書名や著者、内容を伏せて売られた1冊の文庫本のことだ
▼4カ月もの間、秘密とされた本の正体は、清水潔さんの「殺人犯はそこにいる 隠蔽(いんぺい)された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(新潮文庫)。読んで感銘を受けた盛岡市のさわや書店員長江貴士(ながえたかし)さん(33)がノンフィクション嫌いにも読んでもらう方策を考えた
▼客をためらわせるのはテーマの重さと本の厚さ。手書きの推薦文で本を覆ってみた。「怯(ひる)む気持ちは分かります(略)でも僕はこの本をあなたに読んで欲しい。文責:長江(文庫担当)」。月に数冊の売れ行きが、秋には月1713冊に。共鳴した全国650以上の書店が同じ本をXの装いで並べてくれた
▼筆者も買ったが、行き先を知らされぬミステリー列車風の興味だけではない。書店員さんがこれほど言葉を尽くして薦めるならという期待もあった。匿名のとげとげしい評がネットを飛び交う昨今、実名の飾らぬ推薦文はひときわ新鮮に響く
▼近年、書店に吹く北風はますます冷たい。「でも業界の未来を心配しても仕方ない」と長江さん。「僕は現場の人間。仕事はよい本を見つけること、それを売ること。ジタバタやれる限りジタバタしてみたい」
▼意外なことに文庫Yとか新書Xといった続編は念頭にないそうだ。「あくまでこの渾身(こんしん)の1冊に即した企画です」。柳の下のドジョウを追わぬ姿勢が潔い。
毎日新聞
・ 作家の池波正太郎(いけなみしょうたろう)は東京・銀座のデパートで見知らぬ老紳士に話しかけられた。「仁三郎(にさぶろう)は突然、死んでしまいましたな。さびしくなりました」。仁三郎とは池波が当時、雑誌で連載中だった時代小説「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」に登場する密偵のことである。読者にこよなく愛された
▲老紳士はその死を惜しんだのだ。帽子を取って作家に会釈し、立ち去ったという。池波はエッセーで「激しく作家冥利(みょうり)を覚えた」と書き、こう続ける。「ペンで作り上げた人間が、ほんとうに生命をもってしまうとしか、思われないときがある」
▲そんな小説まで書ける日が来るのだろうか。今年、コンピューターの人工知能(AI)が何かと注目された。芸術分野にも挑戦し続けている。将棋や囲碁で人間を打ち負かしたように、人間の生み出すものをいつか超えるかもしれない
▲17世紀オランダの画家、レンブラントの「新作」をインターネットで見た。AIが画風を学習し、特徴を分析して描いた。素人には「光と影の魔術師」の手によるものと映る。だが、ふと思う。AIは何かに心を動かされ、創造することがあるのだろうか
▲池波は小説も芝居の脚本も構成を考えた上で書くことはなかったといわれる。どんな結末になるか、自分でも分からない。「ばかばかしいと思われようが、作者の私自身、書いている人物が勝手に動き出すときの苦痛は、だれにいってもわかってもらえまい」
▲創造の喜びと、それに伴う苦痛あってこその名作ではないか。テレビの時代劇「鬼平犯科帳」が今月、28年の歴史に幕を閉じた。鬼平はこれからも生身の人間として心の中に生き続ける。
日本経済新聞
・ 多楽(たらく)島――と聞いても、ピンとくる人はほとんどいないだろう。北海道の納沙布岬から45キロ。歯舞群島のいちばん北にある小島である。面積12平方キロ弱というから、東京都千代田区くらいの広さだ。戦前はここに1500人近くが暮らし、コンブ漁などに携わっていた。
▼北方四島のなかで、人口密度が最も高かったこの島には小学校もあった。子どもたちがたくさんいた。家族の平凡な幸せがあった。「そこに突然やってきたソ連兵に、住民は追い出されました。土足で上がり込まれ、銃を突きつけられた。忘れることのない体験です」。いま根室市に住む河田弘登志さんは82歳の元島民だ。
▼やがて内地にたどり着いたが住める家とてなく、風蓮(ふうれん)湖のほとりの番屋や知人宅の馬小屋を転々とした。雪の吹き込む部屋で身を寄せ合って生きる日々だった。四島からの引き揚げ者の多くが同じような境涯に置かれたという。河田さんは領土返還運動に携わって半世紀。そういう歴史を風化させまいと訴えを重ねてきた。
▼今週はいよいよ、ロシアのプーチン大統領が日本を訪れて安倍首相との会談に臨む。過去に何度も期待をかけ、そのたび裏切られてきた人々に希望の灯はともるだろうか。高齢の元島民らは祈るような気持ちで交渉を見守っている。河田さんのふるさと多楽島は、じつは根室市の一部だ。なのに、行かれぬ土地なのである。
産経新聞
・ ミッキーマウスは一生をかけて、ミニーマウスに誠実な愛を寄せている。正確に言えば、そのような設定らしい。この恋愛観は1人の妻と添い遂げた作者、ウォルト・ディズニーの境涯を投影したものといわれる。
▼「私はリリアン・B・ディズニーと結婚していて…2人の子供だけがいると言明する」。1966年に世を去る前、遺言書に書いている(『セレブの遺言書』PHP研究所)。人間くささがあっていい。一から十まで財産分与を事務的に並べられても塩気しかない。
▼誰を大切にし、その人に何を残すか。遺言書とは親しい人々に宛てた最後の手紙でもある。1月5日が「遺言の日」として日本記念日協会に登録された。新年早々に心をさざ波立たせるテーマだが、親族一同が集うお正月が残りの人生を問い直す機会になればいい。
▼4度結婚した歌手のフランク・シナトラは、財産分与に神経質なほど細かい条件をつけた。それでなくても家族の形が複雑な当節である。相続は「争族」と名を変え、法廷での骨肉の争いを伝える記事も増えた。遺言書が予防線になるなら作るに越したことはない。
▼日本財団が40歳以上の人に行った調査によると約55%が還暦までに、約9割が70歳までに遺言書を作成するという。〈一年の計に遺言(いごん)も入れる歳〉國米純忠。今年1月の産経俳壇に見つけた句である。無事の年越しを幸いと、遺言書を書き換える方もおられようか。
▼サスペンス映画の巨匠ヒチコックは、1963年に署名した遺言書を亡くなる80年までの17年間に、6度も書き換えている。人の心のひだを映像化してお金に換えた人である。脚本同様に、一生を締めくくるストーリーは細部まで手を抜けなかったのだろう。性格がにじんでいる。
中日新聞
・<笹(ささ)や笹笹 笹や笹 笹はいらぬか 煤竹(すすだけ)を>。江戸の昔でいえば、師走十三日の煤払いの日も近い。端唄の「笹や節」。二上(にあ)がりの三味線の音がわびしい。うたわれているのは雪の夜、煤払いに用いる笹竹を売り歩いている赤穂義士、大高源吾(おおたかげんご)である。歌舞伎「松浦の太鼓」でもおなじみだろう
▼両国橋の上。源吾は俳句の師だった俳諧師の宝井其角(たからいきかく)とばったりと出会う。其角は身をやつした源吾の変わりように<年の瀬や水の流れと人の身は>と発句する。源吾も句で応える。<明日待たるるその宝船>。「明日」とは無論、吉良邸討ち入りの日。それをほのめかす句だが、其角はその決意に気づかぬまま別れる
▼いい場面だが、後の創作と聞く。一年の汚れを落とす煤払いと主君の無念を晴らす敵討ちが結び付いての発想だろうか
▼十三日の煤払いは今では後にずれ、どこの家も大掃除といえば年末ぎりぎりか。あまり急いで大掃除をしたところで、すぐにまた汚れる
▼この稼業でいえば、洗い落としたくなる一年のほこりとは、気の重くなる事件や出来事かもしれぬ。本社内で十大ニュースの選出が進んでいるが、今年も熊本地震や相模原市の障害者施設での大量殺傷事件など胸が塞(ふさ)がる数々の出来事が起きた。リストをながめため息が出る
▼せめてこれから年越しまでは何もなきよう。そう願い、「笹や節」を口に乗せる。
※ それぞれ味があります。
できれば署名記事にしてほしいのですが・・・・。
どこかの社が始めてくれないかな・・・。
朝日新聞
・ 惑星X。物体X。容疑者X。Xがつくと無性に正体を知りたくなるが、「文庫X」には意表をつかれた。書名や著者、内容を伏せて売られた1冊の文庫本のことだ
▼4カ月もの間、秘密とされた本の正体は、清水潔さんの「殺人犯はそこにいる 隠蔽(いんぺい)された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(新潮文庫)。読んで感銘を受けた盛岡市のさわや書店員長江貴士(ながえたかし)さん(33)がノンフィクション嫌いにも読んでもらう方策を考えた
▼客をためらわせるのはテーマの重さと本の厚さ。手書きの推薦文で本を覆ってみた。「怯(ひる)む気持ちは分かります(略)でも僕はこの本をあなたに読んで欲しい。文責:長江(文庫担当)」。月に数冊の売れ行きが、秋には月1713冊に。共鳴した全国650以上の書店が同じ本をXの装いで並べてくれた
▼筆者も買ったが、行き先を知らされぬミステリー列車風の興味だけではない。書店員さんがこれほど言葉を尽くして薦めるならという期待もあった。匿名のとげとげしい評がネットを飛び交う昨今、実名の飾らぬ推薦文はひときわ新鮮に響く
▼近年、書店に吹く北風はますます冷たい。「でも業界の未来を心配しても仕方ない」と長江さん。「僕は現場の人間。仕事はよい本を見つけること、それを売ること。ジタバタやれる限りジタバタしてみたい」
▼意外なことに文庫Yとか新書Xといった続編は念頭にないそうだ。「あくまでこの渾身(こんしん)の1冊に即した企画です」。柳の下のドジョウを追わぬ姿勢が潔い。
毎日新聞
・ 作家の池波正太郎(いけなみしょうたろう)は東京・銀座のデパートで見知らぬ老紳士に話しかけられた。「仁三郎(にさぶろう)は突然、死んでしまいましたな。さびしくなりました」。仁三郎とは池波が当時、雑誌で連載中だった時代小説「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」に登場する密偵のことである。読者にこよなく愛された
▲老紳士はその死を惜しんだのだ。帽子を取って作家に会釈し、立ち去ったという。池波はエッセーで「激しく作家冥利(みょうり)を覚えた」と書き、こう続ける。「ペンで作り上げた人間が、ほんとうに生命をもってしまうとしか、思われないときがある」
▲そんな小説まで書ける日が来るのだろうか。今年、コンピューターの人工知能(AI)が何かと注目された。芸術分野にも挑戦し続けている。将棋や囲碁で人間を打ち負かしたように、人間の生み出すものをいつか超えるかもしれない
▲17世紀オランダの画家、レンブラントの「新作」をインターネットで見た。AIが画風を学習し、特徴を分析して描いた。素人には「光と影の魔術師」の手によるものと映る。だが、ふと思う。AIは何かに心を動かされ、創造することがあるのだろうか
▲池波は小説も芝居の脚本も構成を考えた上で書くことはなかったといわれる。どんな結末になるか、自分でも分からない。「ばかばかしいと思われようが、作者の私自身、書いている人物が勝手に動き出すときの苦痛は、だれにいってもわかってもらえまい」
▲創造の喜びと、それに伴う苦痛あってこその名作ではないか。テレビの時代劇「鬼平犯科帳」が今月、28年の歴史に幕を閉じた。鬼平はこれからも生身の人間として心の中に生き続ける。
日本経済新聞
・ 多楽(たらく)島――と聞いても、ピンとくる人はほとんどいないだろう。北海道の納沙布岬から45キロ。歯舞群島のいちばん北にある小島である。面積12平方キロ弱というから、東京都千代田区くらいの広さだ。戦前はここに1500人近くが暮らし、コンブ漁などに携わっていた。
▼北方四島のなかで、人口密度が最も高かったこの島には小学校もあった。子どもたちがたくさんいた。家族の平凡な幸せがあった。「そこに突然やってきたソ連兵に、住民は追い出されました。土足で上がり込まれ、銃を突きつけられた。忘れることのない体験です」。いま根室市に住む河田弘登志さんは82歳の元島民だ。
▼やがて内地にたどり着いたが住める家とてなく、風蓮(ふうれん)湖のほとりの番屋や知人宅の馬小屋を転々とした。雪の吹き込む部屋で身を寄せ合って生きる日々だった。四島からの引き揚げ者の多くが同じような境涯に置かれたという。河田さんは領土返還運動に携わって半世紀。そういう歴史を風化させまいと訴えを重ねてきた。
▼今週はいよいよ、ロシアのプーチン大統領が日本を訪れて安倍首相との会談に臨む。過去に何度も期待をかけ、そのたび裏切られてきた人々に希望の灯はともるだろうか。高齢の元島民らは祈るような気持ちで交渉を見守っている。河田さんのふるさと多楽島は、じつは根室市の一部だ。なのに、行かれぬ土地なのである。
産経新聞
・ ミッキーマウスは一生をかけて、ミニーマウスに誠実な愛を寄せている。正確に言えば、そのような設定らしい。この恋愛観は1人の妻と添い遂げた作者、ウォルト・ディズニーの境涯を投影したものといわれる。
▼「私はリリアン・B・ディズニーと結婚していて…2人の子供だけがいると言明する」。1966年に世を去る前、遺言書に書いている(『セレブの遺言書』PHP研究所)。人間くささがあっていい。一から十まで財産分与を事務的に並べられても塩気しかない。
▼誰を大切にし、その人に何を残すか。遺言書とは親しい人々に宛てた最後の手紙でもある。1月5日が「遺言の日」として日本記念日協会に登録された。新年早々に心をさざ波立たせるテーマだが、親族一同が集うお正月が残りの人生を問い直す機会になればいい。
▼4度結婚した歌手のフランク・シナトラは、財産分与に神経質なほど細かい条件をつけた。それでなくても家族の形が複雑な当節である。相続は「争族」と名を変え、法廷での骨肉の争いを伝える記事も増えた。遺言書が予防線になるなら作るに越したことはない。
▼日本財団が40歳以上の人に行った調査によると約55%が還暦までに、約9割が70歳までに遺言書を作成するという。〈一年の計に遺言(いごん)も入れる歳〉國米純忠。今年1月の産経俳壇に見つけた句である。無事の年越しを幸いと、遺言書を書き換える方もおられようか。
▼サスペンス映画の巨匠ヒチコックは、1963年に署名した遺言書を亡くなる80年までの17年間に、6度も書き換えている。人の心のひだを映像化してお金に換えた人である。脚本同様に、一生を締めくくるストーリーは細部まで手を抜けなかったのだろう。性格がにじんでいる。
中日新聞
・<笹(ささ)や笹笹 笹や笹 笹はいらぬか 煤竹(すすだけ)を>。江戸の昔でいえば、師走十三日の煤払いの日も近い。端唄の「笹や節」。二上(にあ)がりの三味線の音がわびしい。うたわれているのは雪の夜、煤払いに用いる笹竹を売り歩いている赤穂義士、大高源吾(おおたかげんご)である。歌舞伎「松浦の太鼓」でもおなじみだろう
▼両国橋の上。源吾は俳句の師だった俳諧師の宝井其角(たからいきかく)とばったりと出会う。其角は身をやつした源吾の変わりように<年の瀬や水の流れと人の身は>と発句する。源吾も句で応える。<明日待たるるその宝船>。「明日」とは無論、吉良邸討ち入りの日。それをほのめかす句だが、其角はその決意に気づかぬまま別れる
▼いい場面だが、後の創作と聞く。一年の汚れを落とす煤払いと主君の無念を晴らす敵討ちが結び付いての発想だろうか
▼十三日の煤払いは今では後にずれ、どこの家も大掃除といえば年末ぎりぎりか。あまり急いで大掃除をしたところで、すぐにまた汚れる
▼この稼業でいえば、洗い落としたくなる一年のほこりとは、気の重くなる事件や出来事かもしれぬ。本社内で十大ニュースの選出が進んでいるが、今年も熊本地震や相模原市の障害者施設での大量殺傷事件など胸が塞(ふさ)がる数々の出来事が起きた。リストをながめため息が出る
▼せめてこれから年越しまでは何もなきよう。そう願い、「笹や節」を口に乗せる。
※ それぞれ味があります。
できれば署名記事にしてほしいのですが・・・・。
どこかの社が始めてくれないかな・・・。