北陸探訪 -5- 北前船の里Ⅱ
この土日(令和5年7月15~16日)に北陸へ取材に行ってきたので,数回にわたって報告します。
5回目は北前船の里の2回目です。
北前船(きたまえぶね)は江戸時代から明治時代にかけて、大阪から下関を経て北海道に至る「西廻り」航路に従事した日本海側に船籍を持つ海運船のことをいいます。ただの運送業ではなく、自分で売り買いする、今で言う商社であることは、昨日紹介しました。
今回は、加賀・橋立の北前船の里資料館です。
場所を確認しましょう。
加賀市役所を,真北に進んだあたりにあります。東に行くと片山津温泉があります。
拡大してみましょう。
赤い屋根の家が多く見られます。
資料館です。
藩政期から明治中期頃まで瀬戸内、日本海、北海道を舞台に活躍した「北前船」に関するさまざまな資料を展示公開しています。
資料館は明治9(1876)年、橋立の北前船主、酒谷長兵衛により建てられた建物です。
資料館HPです。
https://www.city.kaga.ishikawa.jp/section/kitamae/
館内展示の様子です。
どれくらい儲かったの?
掲示されていました。
船一艘で、1億円の利益です。
幸貴丸の場合、下りで60両、上りが2180両、諸費用が200両。
一応の試算として江戸幕末期における1両の価値を現代でも比較し易いそば代金と比べると、1両は18~22万円程度となります。
2000両の20万倍は、40000万円、4億円です。
船乗りの給与は
なるほど!
船頭なら、年収1千万円。
狙いますよね。引用します。
下級武士の給料は年収80万円と米
江戸時代の武士は給料をもらっていましたが、武士のランクによってもらえる給料は異なりました。武士全体の平均年収は税金を引かれ約500万円(50両)といわれています。
一方、下級武士は米を自分たちで食べる分だけを確保し、残りを現金に換えて生活していました。米を現金化した後の年収をみると約80万円(8両)といわれています。
年収約80万円とすると月収約6万6000円となり、今よりもお金がかからない時代であったとはいえ、下級武士の生活は庶民の生活と同様に貧しい暮らしだったのでしょう。
船頭で1千万円、下級武士の年収は80万円。
どう思いますか?
周辺です。
周辺の船主集落です。
https://www.tabimati.net/spot/detail_261.html
見ごたえ十分です。
とにかくお金持ち!
動画です。
【4K】北前船の船主邸宅が残る:石川・加賀「橋立地区」| nippon.com
日本遺産「北前船」のまち小樽 小樽の倉庫と北前船主
荷物を運ぶだけじゃない! 海の商社・北前船
冊子を買いました。
船の価格も載っています。
だいたい千両です。
5千万円ほどでしょうか?
北陸探訪 -1- 剱神社
北陸探訪 -2- 丸岡城
北陸探訪 -3- 吉崎御坊
北陸探訪 -4- 北前船の里Ⅰ
北陸探訪 -5- 北前船の里Ⅱ
北陸探訪 -6- 永平寺Ⅰ
北陸探訪 -7- 永平寺Ⅱ
北陸探訪 -8- 一乗谷朝倉氏遺跡Ⅰ
北陸探訪 -9- 一乗谷朝倉氏遺跡Ⅱ
北陸探訪 -10- 一乗谷朝倉氏遺跡博物館
北陸探訪 -11- 越前大野城Ⅰ
北陸探訪 -最終回- 越前大野城Ⅱ
このブログでの他のシリーズは・・・
ベトナム・ホーチミン みてある記 -1- タイ・バンコク 見てある記-1- シェムリアップみてある記 -1- 香港に来ています 台湾レポート-1- 平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾- 職場旅行(1) 京都ぶらり-1- なごや探索 出雲 函館 京都散策 さわやか中欧 見てある記 -1- 美濃 見てある記 -1- 東京散策 みちのく三陸海岸 見てある記-1- 滋賀探訪 新城FWに参加しました-1- 碧南FWへ行ってきました -1- 安城へ行ってきました1 -本證寺- 「勝鬘寺と大久保氏ゆかりの上和田城址」(岡崎市)-1- 北陸探訪 -1- 剱神社 近江FW 長久手FWへ行ってきました -1- 遠州FW -1- 小牧FW -1- 末森城周辺FW-1- 「宮宿」-1- 大野城・大草城-1- 「鳴海宿」-1- 富士周辺五名城と諏訪の旅-1- 犬山城周辺 -1- 近江FWⅡ 安祥城周辺-1- 「有松宿」-1- 堀川七橋めぐり-1- 松平郷周辺FW -1- 桑名城 -1- 「池鯉鮒宿」-1- 名古屋城-1- 「岡崎宿」-1- 東美濃FW -1- 刈谷、小牧羽柴軍陣跡 -1-、近江FWⅢ-1-、三河山中城-1-、小口城周辺史跡-1-、安芸の秋-1-、美濃路・清州宿-1- 中村公園-1- 美濃路・稲葉宿-1-
「社楽の会」HP:中国ODAみてある記 韓国研修・その2 ブリスベン