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アリストテレスの目的因【正義と善#8】

2021-10-16 06:10:45 | 哲学の窓

 哲学チャンネルより アリストテレスの目的因【正義と善#8】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=Z6s0OVS9WEI

動画の書き起こし版です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こんにちは。哲学チャンネルです。 ロールズは正義を平等な世界に求めました。 一方でアリストテレスは正義を平等なものだとは考えません。 正しさを定義するためには、問題となる社会的営みの【目的因(本質)】を知らなければならない。 また、正義は名誉にかかわるものなので、ある営みの目的因について考えることは 少なくとも部分的にはその営みが賞賛し報いを与える美徳とは何かを考えることであるとしました。 例えば、笛を分配する際のことを考えてみましょう。 良い笛があったとして、その笛は誰の手に渡るべきでしょうか? ここで重要になるのが笛の目的因です。 笛はなんのために存在するのか? 仮に笛の本質を『優れた音を奏でること』だとしましょう。 すると笛を分配すべきは『笛を吹くのが上手い人』であると言えそうです。 このようにある営みがその目的因に沿った使われ方をする状態を アリストテレスは正義であると考えます。 彼はこのようにも述べました。 「もしかしたら、富や階級や美しさの方が大きな善かもしれない。 全体的に見ればそうした善を持つ人が、それらの資質について『笛が上手い人』に勝る度合いは 『笛が上手い人』が演奏で彼らに勝る度合いよりも大きいかもしれない。 だがそれでも、『笛が上手い人』が彼らより良い笛を手にすべきという事実は変わらない」 前回の動画でアファーマティブ・アクションについて触れました。 大学入試においての逆差別。 つまり、マイノリティの合格点を引き上げ、非マイノリティの合格点を引き下げる行為は果たして正義なのでしょうか? ロールズ的な格差原理によると、この行為は是とされます。 自身が少数派か多数派かは偶然の産物でしかなく、 その偶然によるアドバンテージは公共の財産だから分配されるべきです。 一方でアリストテレスは、その議論をするためには まず大学の目的因を調べなければならないと考えます。 仮に大学の本質が『教育と研究を通じて社会の共通善に貢献すること』であれば それに背いた規則は正義とは呼べないことになります。 コミュニタリアンの立場であるサンデルも この考え方に賛同します。 大学の使命は大学が勝手に決めて良いものではなく、 大学の善(本質)を考察することによって決定されるべきである。 つまり、いくら平等に配慮した中立的な法律を作ろうとしても 『善き生』の本質を追究しない限りは、何が正義かを決めるのは 不可能なのではないかと主張しているわけですね。 ちなみに、アリストテレスは政治の目的を『善の追求』であるとしました。 政治が為すべきことは、善き市民を育成して、善き人格を養成すること。 仮にその目的因を見誤るとどうなるかということまで言及しています。 「(目的を見誤ると)政治的共同体は単なる同盟に堕してしまう。 また、法は単なる契約となってしまう。 『一人ひとりの権利が他人に侵害されないように保証するもの』となってしまう。 本来であれば都市国家の市民を善良で公正なものとするための生活の掟であるべきなのに」 時代が違いますから、国家に対する認識も違ったとはいえ 彼のこの主張には現代への強烈な警告を感じざるをえません。 このように、アリストテレスは政治の目的を善良な市民の育成とした上で 法の第一の目的を『習慣づけ』だと仮定しました。 道徳的な意味での美徳は、習慣の結果としてしか生まれないという前提から その習慣を法律によって強制すべきだと考えたのです。 実行(習慣)が先にあって、その後に善良な精神が身につくという考え方は 非常に荀子的だと言えます。 仁と礼において、まずは礼を重視しているということですね。 さらに彼は人間の目的を政治参加に求めます。 人間は政治的共同体を作る生き物であり、 その傾向は他の動物よりも大きいとし 孤立した人間、すなわち政治的共同体の恩恵を共有できないもの またはすでに自足しているので共有の必要がないものを 都市国家の成員ではなく、獣か神のどちらかだと表現しました。 これまでの動画で触れた思想を振り返ります。 社会全体の幸福の総量を向上させることを正義とする功利主義。 個人の自由を何よりも重視し、法や政府の介入を極力拒否するリバタリアニズム。 人類共通の道徳はあるとし、その道徳を自律的に実行することを求めるカントの道徳論。 仮想上の契約を想定し、格差原理のもとで弱者救済を試みるロールズ的リベラリズム。 そして、社会的営みの目的に着目し、その目的にかなう行為を正義とするアリストテレス的政治論。 それぞれの立場にそれぞれのロジックがあり 長所もあれば短所もあります。 当然のことですがこれらの議論に答えは出ていません。 答えのないこれらの問題を仮の決定によって運営していくことが政治であり その政治的問題が現在でも解決していないことを見ても、それは明らかでしょう。 サンデルは、このような議論を踏まえて自身の思想を提示します。 それは【コミュニタリアニズム】と呼ばれ、 一つの政治的潮流になりました。 次回はサンデルのコミュニタリアニズムについて紹介します。

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