「声仏事を為す」(新編御書一〇八頁)という御文が日蓮大聖人の御書にある。これの極めて似た体験が私はある。
以前、勤めていた会社で、その日は雨に降られてしまい、全身がびしょ濡れのまま社内に入った。そこで見かねた男性上司が私のそばへ寄り、持っていたタオルで私を拭いてくれた。
そこで私は「いや、結構ですよ、自分で拭きますから」と言うと、その上司はうっとりした表情で、「いやあ、凄い耳障りのいい声だね、もっと言って」と言ってねだった。その頃私が創価学会で、お経を五座まで唱えている事を知ってか知らずか(そこでは私の宗教信仰は公開していた)つい出た言葉だった。
創価、と言っても、その頃は日蓮正宗のお経本を思い出したように時々交互に使っていたので、日蓮正宗色に染まった勤行だったかもしれないが。
創価にも「魔の通力」と言って、不思議な功徳まがいの運の良さのようなものに遭遇する事がある。私は魔を演じたのか、日蓮正宗のお経が効いたのか。
声によって仏事を為し、病気や一切の悩み、諸問題も治せるのかも知れない。
今となっては判然としないが、「声仏事を為す」の御金言を見るとその事をふと思い出す。