Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

日蓮正宗の極説。私のいじめ体験記、どう乗り越えたか。私の復讐劇への烽火(のろし)が上がり、今、正にその時、始まった。

2022年11月06日 11時59分18秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
 私は、小学校四年の、クラス編成、我々四年生になってから、皆がクラス替えになった。
 それまで仲が良かったお友達ともお別れ、寂しかった。
 でも、クラス替えでも、何人かは、同じクラスだった。
 そこで、私はこじんまりと、佇むように、身を小さくして、過ごしていた。
 そこに、Iという、太って、背も私より遥かに高い男の子が、私をイジメだした。

 主に言葉の方だったが、これがバカバカしくて笑えるのだ。
 「おい、お前、生意気そうな奴だな!今日の昼、十二時過ぎ、給食が終わったら、体育館の裏側の、焼却炉の方に来い、判ったな。」
 というので、私もバカだから、その昼の、十二時過ぎに、給食が終わってから、一応、体育館裏手の、焼却炉の所に、大体、次の授業が始まるギリギリまで居るのだが、一向に、相手、そのIが来る(来た)試しがないのだ。

 そのIは、事あるごとに、今度は校庭のどこどこのとか!、桜の木が植わってる所に来い!と言うのに、私は根が正直だから、ひょいひょいと行ってみても、誰も、猫一匹さえもそこにはいないのだ。

 私は、こいつは、稀代の噓つきだ、と判断・判明したので、その後、そいつの言う事は、二度と信用はしなかった。
 そいつは、私の何がうらやましいのか、事あるごとに、私を罵倒し、私をうらやみ恨み、恨み言を私の前で、私に対して、何がら年じゅう、言っていた。 私は、呆れながらも、文句も言わず(言えずに)付き合わされた。

 それが、その小4の春から夏、秋にかけてで、季節は正に、冬に向かっていた。

 私は、ある事で、今思い出しても、何とも思い出せない(私は記憶力だけが取り柄の人間だとは、思っているんだが)話なんだが、ある事で、そのIと学校で又もや、対立した。

 私は、今度は、この時こそは、復讐の念に燃えて(この時位である、私が復讐心を覚えて、この後の人生に於いても、その恨みつらみをきっちりはっきりとその相手にもしっかりと、自身の納得のゆくまでに果たす術、詰まりは仕返し行を覚えたのは!)私は暴挙に出た。暴力暴行を、この時この男に対して、人生に於いて初めて、振るった。(今では「時効」だと思い、書いているが、読者の皆さんは、参考にはしないで頂きたい。)。

 私一人では不安だったので、もう一人、私の舎弟というか、弟分の様な、男子で、私と背格好が一緒位の男子も連れて行った。
 そして学校の帰り道。私とその舎弟は、いつもの帰り道とは真逆の、そのIの帰り道と同じ道を、Iと一緒に、最初は、仲が良さそうに振舞い、そのIとも打ち解けてはいた。

 しかし、最初から悪意を持った私は、段々と私の啖呵がエキサイトしてゆき、相手Iの言葉尻を捉えては、許せねえ、この野郎と、段々と、私の言葉は、汚い言葉、相手を見下し、罵倒、罵詈雑言の類となって、発されてゆく。

 そして、しまいには、暴力、である。当時、雪が、大雪が積り、郡山市内は、雪が積もっていた。

 そこで、その雪を、そのI目掛けて、これでもか、これでもか、と、顔中、体中にぶっつけ、仕舞には鉄拳制裁である。そいつの頭から体から尻足ほか、ありとあらゆる所を蹴り上げたり、腕や拳でぶん殴ったり、髪を掴んだり、そいつを倒して、尚も、私の怒りは全くと言っていい程、収まらなかった。

 そいつは、カバンのランドセルの脇には、何故か一杯、神社だか何かの、お守り札が沢山、吊り下げられ、守られている積りでいた。それは、きっと、その親だかじいちゃんばあちゃんが、そいつを大事に思い、それら、そんなに沢山の守り札など、要らない筈なのに、十個以上、情けなくも、こいつはぶら下げていた。

 自身、それを、これは、出雲大社に行った時の御守り、これは伊勢神宮、これは明治神宮、などと、狂ったものの如くに喚いて、しかし、大事にしていたのだけは私も学校で聞いて判っていた。

 これを、何の臆面、てらいも無く、私は全て、引きちぎり、それらをランドセルから引っ張り、切り裂き、地面に落とし、「何だ、こんなもん」と神への怖れなど微塵も感じずに、踏みつけにしていた。当時から、私には、そんな、創価学会だか、日蓮正宗だかの、狂気じみた?!邪教など恐れもしない、勇敢な?!、謗法払いの面も多々、あったのである。

 この時のIの恐れ入った顔ったらなかった。「それだけは、それだけは、勘弁して、お願い!」

 私「うるせえ。お前は、こんなものを拝んでるから、ろくな事を、俺などの、人様にはろくに口もきけずに、結果も残せねえでいるんだよ、判ってんのかこのタコが!まだぶっとばさっちいいんのか、えっ!」
 と言うと、相手ももう、殴られたり蹴られたり、ぶっとばさっち、守り札までも引きちぎられて、成す術も全く無かった。

 私とその舎弟とは、この後の、こいつ、Iの、親への告げ口、親に言いつけるのを最大限怖れた為、こう口封じをした。
 「今度、又、お前がこんなことやったり、親に告げ口した日には、お前の命はぜってえ、ねえからな、判ってんだろなあ、このタコ野郎が、判ったな、絶対に、お前の親には言うなよ、判ったな!」
 I「はい、分かりました。だから、もう、僕をいじめないで!」

 と言って、当初の、学年始まった四月には、私がこいつにどやされていじめられていた立場だったのが、この冬になり、完全に立場が真逆、逆転し、私が優位に、偉い立場で立ち回れるようになった。

 この後、幾つも、私自身、汚ねえ手を使った相手からの、それは、会社企業等の不当な圧迫面接等々をも含めた、いじめに遭うが、不思議にも、その、そいつらが自然と、むしろ不自然にしろ、現在の様子状態を伺うと、ハッキリ言って、○んでいたり、一家離散していたり、会社自体が存在せずにつぶれて居たり、している事の方が多い。
 そのそいつらの本当にその後の人生が、私自身が神か何かに成り代わってそうなってやっていると言う自覚は全くないのだが、この、日蓮正宗の信心をし出してからは特に、そういった、私をイジメ抜いた奴らの後の人生が、後半生が、本当に、悲惨極まりない、非業の死を遂げていたり、大難が起こり過ぎて自滅したりしているのには、そいつらに同情する程、ばかりだ。

 やはり、この世には、確かな、本当の御教えと言うものが存在し、それに反した者は、仏罰法罰神罰業罰天罰冥罰というものがシッカリと存し、てき面にそれに当たる、罰が当たる人も出て来るんだろうな。
 これは、実は日蓮正宗信徒自身にも言え、正宗信徒だからって、罰に当たらない訳では無い。これら、交通法規で言えば、赤信号に従わなければ、交通事故を起こすが如くの、誰でも仏法の、仏の法に反し、従わなければ、それなりの結果、因果応報、因縁果報の、全ての仏様の教えに従う必要性がここにこそあると、私達日蓮正宗の僧俗、信徒、法華講の者共は、断ずる次第であります。

 以上。よしなに。wainai.


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