明日は日蓮正宗過去帳によると、総本山第十七世日精上人の御命日だ。天和三年十一月五日にお亡くなりになった。
日精上人と言えば、私は生まれて初めて日蓮正宗総本山富士大石寺に上った日を思い出す。
何という坊に留まったのかは忘れてしまったが、そこで朝、六時ころ朝の勤行唱題を皆で執り行った。
勤行終了後、そこの坊の御住職様が、この中で初めて総本山に来られた方はいませんか、と集まった全員に言った。
私はおもむろに手を挙げ、大勢の中で、思えばその場で初めてお山に来たのは私一人であった。
坊の御住職様は、そこに鎮座まします立派な黒地に金色の文字の板御本尊について静かに語った。
そこの御本尊が日精上人猊下の御筆による御本尊である事が、信心し始めの私にも懇々と伝わって来た。
実はその場にいたうちの無量山寿海寺のK前副講頭さんからその後で聞いたのは、Kさんが前の日にも一泊していたが、同じ質問を御住職様は為さったが、誰も手を挙げず、御住職様から御本尊の話は無かった。今朝、○○さん(私)が手を挙げたのかい?と改めて私に聞いて来て、日精上人の話を暫くしたのを思い出す。
思えば、創価学会が、日精上人を誹謗し始めたのがいつだったかも思い出したくもないが、今まで一緒に持ち上げて語られ、尊敬されていた代々の御法主上人猊下様方が、いつの間にか創価側で勝手に不敬にも選別され、取捨選択され、選り分けられてしまった。それが悔しい。
その板御本尊は、それはそれは素晴らしい筆致であり、創価の言うような、日精上人が釈迦像造立を認めた、という、嘘八百、事実無根の、日蓮正宗でもとっくの昔に破折し創価を非難批判し尽くした事実を、創価は今も教学(狂学)で教え、押し付け続けている。
情けない限りである。創価は、過去の自身が築いた栄光栄華を自ら捨て去ってしまっている。自分の持ち味を自分で殺す。
ここにも創価学会の怖ろしい頭破作七分が如実に垣間見られるのである。
お母様も脱会に導けるといいんですが。
池田大作は私もトラウマのように感じます。