【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

あの頃のこと~ (中高クラブ活動)

2012年04月24日 | 徒然日記
昨夜、今治からしまなみ海道を抜けながら、一昨日、お客様と話題になった高校時代のクラブの事を思い出していた。

この写真は、当時の高校で1番カメラセンスがあった親友KOSEが撮ってくれた唯一残るクラブ活動での写真である。

当時は、撮ってくれていた事など正直全く知らずに、35歳になった頃に初めて見せてもらい、頼んで分けて貰ったものである。

高校入学当時、人気だった男子テニス部は、新入部員を減らす目的で、先輩より500mあるグランドを毎日40週だの、スクワット900回だのさせられて、ふるいにかけられたのであった。

そしてオレを含む残った部員のほとんど全員が、腱鞘炎にて病院送りとなった。

今考えれば無茶苦茶な話である。

しかしまあ良い事もあり、部員全員、マラソンが恐ろしく速くなり、1500m走なんかはみんな5分ちょいくらいで走れるようになったのであった。

これは逆算すると100mが20秒、50mが10秒のペースで1500m走れたという事になる。

今の体力では到底考えられないことである。

中学時代は水泳部だった。バタフライがメイン種目で、大阪の扇町プールで泳いだ記憶がある。あのプールは、当時、恐ろしく大きくて、所謂競技場としての観客席があった。プールは驚くほど深かった。

今はきっと25mくらいしかバタフライを泳ぐ事はできないであろう…。

高校2年の頃、自由形の25メートルタイム測定というのが体育の授業であり、オレは13秒6というタイムであった。潜水でどれだけいけるかという測定もあった。確か50メートルの手前、45メートルくらいは潜れた記憶がある。

当時ちょうど同じクラスに水泳部の自由形のエースがおり、その友人がたまたま出席番号がオレの次ということで、並んで泳ぐ事になり密かに発奮したのであった。そのエースは13秒3であった。まぁエースとこの差だったらまんざらでもないと思った記憶が強く残っている。

いづれにせよ、高校時代は体育の成績はいつも5か4と悪くはなかったが、クラブ活動では人より秀でた結果を残す事でなかった。

今のオレの椎間板ヘルニアからくる腰痛は、間違いなくあの頃のバタフライの練習のしすぎが原因だと思っている。

しかし軽く泳ぐのであれば水泳はヘルニアには効果的ということなので、またボチボチと時間を作り泳ぎに行こうかと目論んでいる最近なのであった。