お世話になっているお客様グループをお連れしてスリランカにいってきた。
今から23年前、僕が生まれて初めて訪れた異国がこのデカン高原下にあるスイカの種のような島、スリランカなのであった。
あれから数回訪れてはいるものの、ここ10数年は間が空いており、コロンボの街の記憶もボンヤリしている状況での再訪となった。
今回はコロンボより古都キャンディ、そしてヌワラエリアを巡る旅であった。
更にはヌワラエリアから象の孤児院も廻ってきた。
今回の旅は往復路にてシンガポールでトランジットがあった。
素晴らしい景色、スリランカの美食、普段日本にいては出来ない貴重な経験、撮った写真を元にココに書き留めておこうと思う。
シンガポールではトランジットが7時間というコネクションの悪さ故に、現地在住の旧友KATOに頼み、シンガポールでの旅程を作ってもらいそれに沿って動いた。
先ずはチキンライスを食べにタクシーで「文東記」という有名なレストランへ。
実のところ、初めてこのチキンライスを食べたのだが、これが脂っこくなくいけるのだ!
店は大繁盛のようであった。
腹を膨らました後、フラトンベイホテルの屋上にあるBARへ出向いた。
向かいにはサンズが見える。
素晴らしい眺望である。
陽が暮れてくるとより幻想的な雰囲気になってきた。
やがて光のアトラクションが始まった。
しかしシンガポールという国はその発展凄まじく、そしてその成長は詳細に至るまで賢人により密に計算し尽くされながら真っ直ぐに進んでいるようだ。
この無機質な街では乾いた風しか吹いておらず、時に湿った人の温かみの深さを感じる事が難しいような気もしたが、もちろんトランジット程度の滞在で何がわかるはずでもない… のだが多分、僕の肌で感じるそれは間違っていないであろうと思うわけで…
コロンボ空港に到着すると、ZAMGEMSのファイランが我々を出迎えてくれた。彼は驚く程日本語が堪能であった。
どうにかこうにかスリランカに辿り着いた。
やはり暑い!33Cである。
翌朝、窓を開けるとゴールフェイスの海岸線がボンヤリと霞がかっている。懐かしい街並みである。
朝食から勿論、カリーを食す。美味。
午前中、仕事を粉した後、クルマでキャンディへ向かう。
途中でパイナップルを売る屋台に停まる。一個50円ほどと激安である。
甘い。ほんのり酸っぱい。美味い。
キャンディに夕刻到着。ホテルの入口ではキャンディアンダンスを披露していた。
http://youtu.be/rtg4c7-8Zhs
古くから伝わる民族衣装での舞踏である。
満月のこの夜、人々はアルコールを口にする事が禁じられており、レストランは元より、お店でも買う事が出来ない。
僕はムスリムでアルコールを飲まないファイランに頼んで、仏教徒である運転手にローカルビールを隠し持ってきてもらっていた。
それは「POWER」というアルコール度数が8.8%のビールなのであった。
せっかく頂いており申し訳ないのだが、ヌルいそのビールは全然ダメダメであった。
翌朝起きると、部屋の裏がすぐマハウェリ河だということに気づく。
雄大な流れここにあり~
午前中、仏様の歯が置かれている仏歯寺を参る。
とても広いお寺を裸足で歩き回った。
キャンディにある市場には様々な果物が売られていた。
そこでドリアンを食べてみた。
ムハッて感じ…
キャンディを観光した我々はそこから南下し、高度2000mにある紅茶の街、ヌワラエリアへ向かうのだが、途中のレストランでランチを頂いた。
スリランカに来てから毎食カリー三昧なのであった。
久しぶりに訪れたスリランカで食べるホッパーはずっと昔、親父に美味いから食べてみろと勧められた小麦粉を薄くボウル状に焼いた物に目玉焼を落とした料理で懐かしく美味い。
パサパサの粉のような辛いカリーをのせて食すのだ。
確かあれはゴールフェイスホテルの近くにあるホテルレヌーカの地下のレストランであった。
キャンディを出たクルマはどんどんと山岳地帯を登って行き、2時間ほどすると標高2000mのヌワラエリアという紅茶の村に辿り着いた。
その紅茶の村はとても涼しく、途中より辺りは熱帯樹林から針葉樹林に驚く程はっきりと変わった。
そしてその辺りより、茶畑が辺り一面に広がるようになった。
圧巻である。
古くインドから移り住んだタミール人女性らが、茶畑の新芽を摘んでいた。彼女ら一人一人に課されたノルマは1日18kgとの事である。
途中にあった紅茶の工場でどのように紅茶が精製されるのかを教えてもらった。
ヌワラエリアで宿泊したグランドホテルは古き良き歴史を残す良いホテルであった。
朝5時、コーランの音が流れ始めてそれで目が覚める。
暫く続くコーランが終わると小鳥たちの囀りが始まる。
カーテンを開けると朝陽が空を薄紫に染めているのだ。
ヌワラエリアはいい村である。
翌朝はまた茶畑を抜けながらクルマを走らせる。
途中、ファイランが金色のココナツを売る屋台を見つけ、それを割って中の水を飲む。
キングココナツだ!
よく知る普通のココナツより甘く美味い。
レッドバナナもとても甘く美味い。
キャンディ近郊に戻りムレスナのお店で紅茶を買う。
普通の紅茶はいつも輸入しているので、1番高級なシルバーチップを求めた。シルバーチップとは新芽の中の更に新芽であり、葉が銀色をしているのでそういう名が付いているのだ。
帰って飲むのが楽しみである。
キャンディからコロンボへの途中、少し寄り道をした場所に「象の孤児院」がある。
そこでは親と死に別れた子象が100匹以上、スリランカ人の手により育てられているのである。
ここにいる象はかなり人に慣れており、象の群れと観光客の境には何の仕切りもないのだ。
賢い象に餌を与えたり、赤ちゃん象にミルクを与えたりしている。
そして近くに流れる川に象を連れて行き沐浴させるのであった。
http://youtu.be/rab71wHzSGA
コロンボに宿泊する最後の夜、僕はお客様との夕食後、1人カジノへ出掛けた。
かつて、今から十数年前、コロンボのカジノでボロ勝ちした事があるのだ。
今回訪れたカジノは広く、僕がやりたいと思っていたルーレットのテーブルも7.8台はあったと思う。
その中から最も人が多く賭け金が流れているテーブルに陣取り、サーブしてもらえるビールを飲みながら出目を考えた。
ルーレットには必ず仕組みがあるのだ…。
結論から云うと、この夜も僕は勝った。
これで以前よりどこからそのお金を捻出しようかと考えていた釣りジギング用のリール・オシアジガーの費用をそこで作ることが出来た。
ルーレットには必ず仕組みがあるのだ…。
宿泊しているヒルトンのBARで重めの赤ワインを2杯飲んで気持ち良く寝ることが出来た。
コロンボゴールフェイスの夕陽がとても美しかった。
そしていささか睡眠不足であったが、帰路もシンガポールにて街に繰り出した。
マーライオンとラッフルズホテルに挨拶をして、オーチャード通りにある中華料理屋で最高の昼食を愉しんだ。
久しぶりのスリランカとシンガポールであった。
今から40年近く前、スリランカから紅茶も宝石を輸入するところより始まった弊社、そして我が親父が会社設立の為の資金を稼ぐ礎となったのがこの地シンガポールである。
つまり弊社の全ての根源がこのふたつの国にあるといっても過言ではなく、それをよくよく噛み締めながらの旅であった。
流れゆく時代の中、このオリジンを忘れることなく前へ進んで行きたいと思えたとても意義のある旅であった。
スリランカ万歳!
今から23年前、僕が生まれて初めて訪れた異国がこのデカン高原下にあるスイカの種のような島、スリランカなのであった。
あれから数回訪れてはいるものの、ここ10数年は間が空いており、コロンボの街の記憶もボンヤリしている状況での再訪となった。
今回はコロンボより古都キャンディ、そしてヌワラエリアを巡る旅であった。
更にはヌワラエリアから象の孤児院も廻ってきた。
今回の旅は往復路にてシンガポールでトランジットがあった。
素晴らしい景色、スリランカの美食、普段日本にいては出来ない貴重な経験、撮った写真を元にココに書き留めておこうと思う。
シンガポールではトランジットが7時間というコネクションの悪さ故に、現地在住の旧友KATOに頼み、シンガポールでの旅程を作ってもらいそれに沿って動いた。
先ずはチキンライスを食べにタクシーで「文東記」という有名なレストランへ。
実のところ、初めてこのチキンライスを食べたのだが、これが脂っこくなくいけるのだ!
店は大繁盛のようであった。
腹を膨らました後、フラトンベイホテルの屋上にあるBARへ出向いた。
向かいにはサンズが見える。
素晴らしい眺望である。
陽が暮れてくるとより幻想的な雰囲気になってきた。
やがて光のアトラクションが始まった。
しかしシンガポールという国はその発展凄まじく、そしてその成長は詳細に至るまで賢人により密に計算し尽くされながら真っ直ぐに進んでいるようだ。
この無機質な街では乾いた風しか吹いておらず、時に湿った人の温かみの深さを感じる事が難しいような気もしたが、もちろんトランジット程度の滞在で何がわかるはずでもない… のだが多分、僕の肌で感じるそれは間違っていないであろうと思うわけで…
コロンボ空港に到着すると、ZAMGEMSのファイランが我々を出迎えてくれた。彼は驚く程日本語が堪能であった。
どうにかこうにかスリランカに辿り着いた。
やはり暑い!33Cである。
翌朝、窓を開けるとゴールフェイスの海岸線がボンヤリと霞がかっている。懐かしい街並みである。
朝食から勿論、カリーを食す。美味。
午前中、仕事を粉した後、クルマでキャンディへ向かう。
途中でパイナップルを売る屋台に停まる。一個50円ほどと激安である。
甘い。ほんのり酸っぱい。美味い。
キャンディに夕刻到着。ホテルの入口ではキャンディアンダンスを披露していた。
http://youtu.be/rtg4c7-8Zhs
古くから伝わる民族衣装での舞踏である。
満月のこの夜、人々はアルコールを口にする事が禁じられており、レストランは元より、お店でも買う事が出来ない。
僕はムスリムでアルコールを飲まないファイランに頼んで、仏教徒である運転手にローカルビールを隠し持ってきてもらっていた。
それは「POWER」というアルコール度数が8.8%のビールなのであった。
せっかく頂いており申し訳ないのだが、ヌルいそのビールは全然ダメダメであった。
翌朝起きると、部屋の裏がすぐマハウェリ河だということに気づく。
雄大な流れここにあり~
午前中、仏様の歯が置かれている仏歯寺を参る。
とても広いお寺を裸足で歩き回った。
キャンディにある市場には様々な果物が売られていた。
そこでドリアンを食べてみた。
ムハッて感じ…
キャンディを観光した我々はそこから南下し、高度2000mにある紅茶の街、ヌワラエリアへ向かうのだが、途中のレストランでランチを頂いた。
スリランカに来てから毎食カリー三昧なのであった。
久しぶりに訪れたスリランカで食べるホッパーはずっと昔、親父に美味いから食べてみろと勧められた小麦粉を薄くボウル状に焼いた物に目玉焼を落とした料理で懐かしく美味い。
パサパサの粉のような辛いカリーをのせて食すのだ。
確かあれはゴールフェイスホテルの近くにあるホテルレヌーカの地下のレストランであった。
キャンディを出たクルマはどんどんと山岳地帯を登って行き、2時間ほどすると標高2000mのヌワラエリアという紅茶の村に辿り着いた。
その紅茶の村はとても涼しく、途中より辺りは熱帯樹林から針葉樹林に驚く程はっきりと変わった。
そしてその辺りより、茶畑が辺り一面に広がるようになった。
圧巻である。
古くインドから移り住んだタミール人女性らが、茶畑の新芽を摘んでいた。彼女ら一人一人に課されたノルマは1日18kgとの事である。
途中にあった紅茶の工場でどのように紅茶が精製されるのかを教えてもらった。
ヌワラエリアで宿泊したグランドホテルは古き良き歴史を残す良いホテルであった。
朝5時、コーランの音が流れ始めてそれで目が覚める。
暫く続くコーランが終わると小鳥たちの囀りが始まる。
カーテンを開けると朝陽が空を薄紫に染めているのだ。
ヌワラエリアはいい村である。
翌朝はまた茶畑を抜けながらクルマを走らせる。
途中、ファイランが金色のココナツを売る屋台を見つけ、それを割って中の水を飲む。
キングココナツだ!
よく知る普通のココナツより甘く美味い。
レッドバナナもとても甘く美味い。
キャンディ近郊に戻りムレスナのお店で紅茶を買う。
普通の紅茶はいつも輸入しているので、1番高級なシルバーチップを求めた。シルバーチップとは新芽の中の更に新芽であり、葉が銀色をしているのでそういう名が付いているのだ。
帰って飲むのが楽しみである。
キャンディからコロンボへの途中、少し寄り道をした場所に「象の孤児院」がある。
そこでは親と死に別れた子象が100匹以上、スリランカ人の手により育てられているのである。
ここにいる象はかなり人に慣れており、象の群れと観光客の境には何の仕切りもないのだ。
賢い象に餌を与えたり、赤ちゃん象にミルクを与えたりしている。
そして近くに流れる川に象を連れて行き沐浴させるのであった。
http://youtu.be/rab71wHzSGA
コロンボに宿泊する最後の夜、僕はお客様との夕食後、1人カジノへ出掛けた。
かつて、今から十数年前、コロンボのカジノでボロ勝ちした事があるのだ。
今回訪れたカジノは広く、僕がやりたいと思っていたルーレットのテーブルも7.8台はあったと思う。
その中から最も人が多く賭け金が流れているテーブルに陣取り、サーブしてもらえるビールを飲みながら出目を考えた。
ルーレットには必ず仕組みがあるのだ…。
結論から云うと、この夜も僕は勝った。
これで以前よりどこからそのお金を捻出しようかと考えていた釣りジギング用のリール・オシアジガーの費用をそこで作ることが出来た。
ルーレットには必ず仕組みがあるのだ…。
宿泊しているヒルトンのBARで重めの赤ワインを2杯飲んで気持ち良く寝ることが出来た。
コロンボゴールフェイスの夕陽がとても美しかった。
そしていささか睡眠不足であったが、帰路もシンガポールにて街に繰り出した。
マーライオンとラッフルズホテルに挨拶をして、オーチャード通りにある中華料理屋で最高の昼食を愉しんだ。
久しぶりのスリランカとシンガポールであった。
今から40年近く前、スリランカから紅茶も宝石を輸入するところより始まった弊社、そして我が親父が会社設立の為の資金を稼ぐ礎となったのがこの地シンガポールである。
つまり弊社の全ての根源がこのふたつの国にあるといっても過言ではなく、それをよくよく噛み締めながらの旅であった。
流れゆく時代の中、このオリジンを忘れることなく前へ進んで行きたいと思えたとても意義のある旅であった。
スリランカ万歳!
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