「21世紀への武道」躰道草創期より活躍された両氏のご冥福を祈ります。貼り付けの写真は、昭和36年、県立伊東高校体育館建設チヤリティー演武大会後の記念撮影。
前列右の稽古着姿は、10月半ばに亡くなった、故中島章晧範士前日躰協会長、右上三列目、少々太めの藤丸世界躰道連盟会長、右隣りは今月27日に亡くなった、故谷口興一前日本躰道本院最高会議議長、謹んでお悔やみ申し上げます。
玄制流空手道から「21世紀への武道」躰道へと貢献して下さった先輩の方々、人の生死は、如何んともし難く残念でなりません、ご冥福を祈るばかりです。合掌
東京医科歯科大学空手部、伊東道場会員と関係者の皆さんです。医科歯科大の自現攻防(今の展開競技の元祖)、順位不動だが、中でも戸叫さんの型の華麗さには、感嘆した思いが今でも、私の心に殘っています。
この演武大会は、伊東道場故山田晴康先生が主催し、右前列3人目は、最高師範、隣りは山田晴康先生、剛柔流荒川師範、浄円寺の石黒先輩、二列目、中央の黒の稽古着姿は私です。
最高師範の演武は、バク宙を入れた四十ハ手の型、山田先生は櫂棒、荒川師範はサイ術の演武、初めて覚える感動だった。
この時より公相君大の型の演武は、55年間の現在に至るまで、数えて百数十回を越える演武を行なうことになり、私なりに、この型の通称になった人物像まで、描ける様になって来たことは確かです。
今から6年前、奇しくも祝嶺先生の兄弟子であった、85歳の老師、比嘉清徳先生(沖縄古武道協会会長)に会うことに恵まれ、岸本祖考先師と公相君の話しを聞く事ができたことは、私の武道人生のなかで貴重なものになった。一年後にお亡くなりになったことを人伝に聞きました。