3ヶ月前になるが8月13日に行われた小牧市躰道優勝大会に招かれ、
前日の12日には帰省ラッシュも緩和され、新幹線発着のホームも
思ったより乗客も多くない、のんびり名古屋に行けた。
大会では少年少女の選手が多く参加、昨年の倍とのこと
主催した名古屋の山本清隆ハ段範士は、教師時代の教え子の家を
一軒一軒訪問し子供達を募ったとのこと、
退職後にもかかわらず精力的な活動には頭が下がる。
会場では山本範士の師匠でもあり名古屋市で躰道の媒体拡充の
任に当たった藤丸先生と数年ぶりの再会。
躰道に脱皮する時代の前夜、55年前、藤丸君とは玄制流本部道場で
寝泊まりし、飯炊きし苦楽を共にしながら
道場生の指導に当った本部道場最後の指導者になった。
本部道場閉鎖後は近くの神社の境内に道場生を集め
2年間ほど2人で指導にあたった。
その間、他流の空手技に対応し、回し蹴りの逆技旋状蹴り、
半月当て、交足、点足などの運足、自由な技の発想ができ、
躰技の基なった技も多い。
道場生達には弟子として継続して来る者も多く、
躰道に変っても違和感なくついて来てくれた。
藤丸師範の弟子や孫弟子達には二松学舎大学や現在活躍中の
東京大学躰道部を創設する会員も現れて来た。
東大に躰道部が出来たことは最高師範祝嶺先生も
お喜びのことと想う。
考案した運足を加えることで玄制流での攻防は其の目的を果たせ、
他流の空手との戦いでも優位に立つことが出来た。
藤丸君とは玄制流時代より60年来の競争相手でもあり、
術技や弟子集めにいい意味でしのぎを削った仲。
彼が居なければ躰道と言う言葉が生まれていたか如何が
疑問でもある、別名称に変わっていたかもしれない。
何故なら、玄制流は1対1の相手より四方の相手を
想定しての技が多い。
手技足技に加え運足や体技で躱さなければならないため、
正中線に加え体軸(中心軸)で躱す実戦的稽古を始めた。
最高師範祝嶺先生から頂いた1枚の表彰状
突然、これから玄制流を「躰道」として遣ると
最高師範祝嶺先生から言われ、
体が躰に変わり面食らった想い出がある。
当然、躰道で募っても見向きもされない、
躰道草創期には玄制流を抜き空手武道協会として
会員を募集することになった。
しかし、躰道に変へ3次元の動きを目指す、
旋運変捻転の躰技と言えども一技一技は
速さと力技の無理な直線技にすぎず。
50年が経とうと言うのに未だ玄制流時代の点と線の
直線的攻防から抜け切れていないのが現状です。
☆ 出来れば平面の動きを自在に操れる運足と
表裏の足の運びを駆使しノルアドナリンやストレスを
ドーパミンやセロトニン脳内環境を整え、
無理無駄のない3次元の動きにしたいと思います。