タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

駅伝大会の思い出

2021-01-03 12:25:19 | 日々雑感
昨日も今日も箱根駅伝をTV観戦しています。

昨日は思わぬ大学がトップを取ったり、本命校が苦戦したり、勝負事はやってみないと分からないですね。

今日はアンカー区間まで創価大学がリードしています。このままゴールするのでしょうか?

成績が良くても悪くても、個々の選手には一生の思い出になる大会であることだけは間違いありません。

子どものころのタカ長は「体育系」ではなくて、どちらかと言えば「病弱系そんなのあるのかなぁ?でした。だから体育に関してはクラス代表になった程度です。

        

中学校1年生のときです。
タカ長はクラス対抗駅伝大会で2区を走ることになりました。1区には3年生と互角に走れる選手がいました。

2区は八幡川の川岸を走ります。1区の選手の到着を待つあいだにアップしようとしたら、、、、

先生チームの選手が、、、、「ジタバタするなやぁ、、、、」と言うようなことを言われ、アップもしないまま1区の選手を待つことになりました。

いま考えたらゾッとするようなことですが、これは本当の話です。

    

予想通り1区の選手は3年生2名と先頭集団でやって来ました。想定通りの受け渡しです。

当たり前のことでしょうが、タカ長には3年生に伍して走れる走力がないことは分かっていました。しかし、3年生において行かれるのは嫌だったので必死に食らいつきました。

    

半分くらい走ったころから空に星みたいなものがチラチラするようになりました。意識も朦朧として来たようです。

それでも食らいついて走りました。

何とか食らいついたまま3区の選手にタスキを渡し、そこで倒れてしまいました。

    

その中継地点は家から近かったため母も見に来ていました。

しかし、後に知ったことですが、母は息子がトップグループで来るとは思ってもいませんでした。
そのためタカ長の必死の走りを見ていませんでした。

  
すべての選手が通過しても息子が来ないので心配してまわりを見たらタカ長は路傍に倒れるように座っていました。

自宅に連れて帰られ、休憩して、体力を回復してから学校に帰ったとき駅伝大会は終わっていました。そのためタカ長が必死で渡したタスキが何番目にゴールしたのか、その瞬間を見ていません。

田舎の小さな中学校のクラス対抗駅伝大会。

その大会で2区を任され、3年生と伍して走り、前に出ることも出来なかったけどトップグループだけは死守した、タカ長には貴重な思い出です。

コメント
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