タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

分からないなぁ

2024-09-09 09:03:30 | 日々雑感

    

 

昨日のわが裏山です。空の雲には秋らしい雰囲気が見えるような?????????

 

でも、天気予報を見るかぎり、一日の最高気温が30℃くらいになる日はありません。まだまだ、残暑がつづくようです。(泣)

 

    

 

昨日紹介したこの本のことです。

 

串田孫一は1962年5月15日、雨の中を北海道に向けて出発しています。気まま旅ですが、山にも登ることを想定してピッケルなどの登山用品も持参しています。

 

列車旅、そして青函連絡船を利用して函館に着きます。函館から洞爺湖に行き有珠岳に登った後、苫小牧、支笏湖、様似、襟裳岬、広尾町、富良野へと旅を続けます。

 

しかし、この間に登った山はナシ。富良野に着いてから十勝岳に向かい、ここで初めての登山らしい登山をしています。そして、、、、、

 

下山したら、今度は海が見たくなったと言って、十勝岳から下りた次の日に旭川から稚内に直行、ノシャップ岬に行っています。

 

   

 

今ここまで読み進めているのですが、要するに登山のことも想定しながら北海道に行って、樽前山、恵庭岳、アポイ岳のすぐそばまで行っていながら、これらの山には登っていないのです。

 

分からないことの一つがそのことです。いい山が3座あるのですから、その中の1座くらいは登っても良かろうに、と思ってしまうのです。

 

そしてもう一つ、北海道のど真ん中の山に登ったら海が見たくなったと言って、次の日に稚内まで直行するなんて、、、、、、、、。

 

旭岳などもう1座くらい登っても良いのに、、、、、、、、。

 

    

 

山口燿久の本には八ヶ岳のふもとの高原を散歩したことが多く書かれていますが、ここでは小屋でのんびりしていたら出発が10時になったとか、、、、、、、、

 

ある日の散歩では長時間の散歩になることが分かっていて、その上、その日のうちに東京に帰らないといけない人と同道するのに、「出発が昼過ぎになった」と書かれています。その時は最後に運よくつかまえたトラックの運転手さんにお願いして、東京に帰る人を中央線の駅まで送ってもらい、安心した自分たちはまたぶらぶら散歩して小屋に帰ったのは夜の9時。

 

山ではないと言ってもそこは野辺山高原、町中の散歩ではありません。そこでそのような散歩をするなんて、、、、、、、、。

 

    

 

串田孫一も山口燿久もタカ長とは次元の違う一流の登山家です。そしてある意味天才的な文化人だとタカ長は思っているのですが、その人たちのこの行動。

 

天才のすることは凡人には分からないなぁ、、、、、、、、。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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