韓国の山中で独り生活し、修行していた法頂和尚の本です。この中にいつまでも心に残っている文があります。
山中に暮らしながら、自然の側から見、聞き、考えて学ぶだけでも、生きていく上で何の不足もない。溢れる各種の情報を統制しなければ、情報に埋没して生きる活力を失う。見なくても、聞かなくても、知らなくてもいい事柄に、私たちはどれほど多くの時間と精力を浪費してことだろう。
生きる上で何が必要で、何が不要かを厳密に区別したいと思う。
見なくても、聞かなくても、知らなくてもいい事柄に、私たちはどれほど多くの時間と精力を浪費してことだろう、と言う法頂和尚のことばが頭の隅から離れないのです。
情報化時代とか言われてだして永い時間が経過しましたが、その情報が私たちの生活を豊かに、そして幸せにするためにどれほど役に立っているのか?
具体的なことは語りませんが、法頂和尚のこの指摘は核心をついているように思うのです。
ずいぶん前に紹介したミゾハギの花です。このミゾハギは背丈が高くなりましたが、8月の酷暑にも耐え、今も花を咲かせています。この写真は前に撮ったもので、色つやの落ちた今の姿はお見せしないことにしますが、今でも立派に咲いています。
人の世の、見知らぬ人の事件や事故の情報を聞くより、目の前の花から多くのことを教えられるような気がします。