■父が亡くなりました
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2月中旬ごろからいよいよ…ということになり、長期に休みをとって実家で介護の手伝いをしていました。
2/11~20に帰っていたときは、こちらの呼びかけにも反応していたように思います。「帰ってきたよ」というとにっこりしたように思う(自分の思い込みかも知れないけど…ね)
2/26~ ふたたび実家へ。もう殆ど意識がなかったように思います。心臓よ動け!体の各組織頑張れ!と念をおくる日々。そして3月3日の夜9時20分、息を引き取りました。夜中におきる番を交代するために2階でちょうど仮眠をとろうとしたとき、階下から「お父ちゃんが息をしていない!」というお姉ちゃんの叫びでお父ちゃんのもとへ。
あああ、ここにはもういない、遠くに行ってしまった…と感じました。
魂って死んだ時には近くにいるって聞いてたけど…全然そんな気はしなかった。異次元のどこか遠くの世界に魂が飛んでいってしまった。そこでは自由に生き生きとお父ちゃんの魂がひゅんひゅん飛んでいる、そんな気がしました。のんびりした川の向こう岸におばあちゃんやおじいさん達がいて、そこに呼ばれていくのかな~と思っていたから、結構意外。
その後は…お医者さんや葬儀屋がきたり、親戚がきたり…。葬儀というものはいろいろ段取りがあり、遺族の悲しみを和らげるためにあるのかな~と実感しました。
でも、1年たって今は帰ってきてくれているような気がします。空に、空気に、木々に。「○○しなければいけない」ということを一言もいったことのない父でした。今のわたしにも「そうだなァ~おまえのすきなようにやればいいから」としか言ってくれません(笑)
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美しい夕暮れと庭のアマリリス。
■東日本大震災
通夜・葬式が終わったところでそろそろ東京に帰ろうと思った時にあの大地震が!お姉ちゃんとお母さんが市役所に種々手続きにでかけていて、一人で留守番中。震度5強って、最初は地震とは思えなくて、かろうじて遺影と位牌を抱えて、家具のない吹き抜けの玄関でへたってました。
台所では食器棚から食器が落ちまくり、スタンドピアノも50センチばかり動いてしまっており、2階も本が散乱。幸いなことに家自体はちょっとヒビがはいり、物置部屋になっていた8畳の和室のドアが開かなくなってしまっただけで済みました。
その日は停電・断水で情報は何も入らなかったので、東北の津波のこととか全くしりませんでした。翌日の水配布(結局もらえなかったけどね)に並んでいたときの新聞号外で津波の事実を知りました。
停電は3日くらいで復旧しましたが、断水は3週間くらい続いたのかな。でも田舎はすごいですよ。何軒かに1件は井戸のあるお家がある!水はそこで汲ませてもらいました。それから、スーパーも入場制限はあったけど営業していて、食べるものはなんとか手にはいるし、ご近所で分け合ったりすることもできるのですね。
震災4日後になんとかバスやタクシーを乗り継いで、東京に帰ってきたのですが、東京のもの不足に驚き!近所付き合いとかないし、買占めしちゃう気持ちもわかるなあ。
しかし、父はいいときになくなったのかもしれません。酸素吸入や点滴、痰取り、すべて電気ですから、停電になったらどうしていいかわからなかったでしょう。
東北ではそうしてなくなったお年寄りもいるかもしれないと思うと胸が痛みます。
■思い出の県営アパート
3歳まで住んでいてその後も良く遊びに行っていたアパートが取り壊しになるそうなので、写真を撮ってきました。
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途中に咲いていた梅。
■いけなかったお芝居・コンサート
GQ・ライフ「11人いる!」・シフコンサート
アンドラーシュシフは、また来日を待ちたいと思います。