帰り道、せっかくクーラーがあるのだから氷があれば買おうかと思い、コンビニに寄る。
閉店しているところも多いが、営業しているところは扉を開いているか、車が停まっているのですぐわかったが、どこもかしこも品切れ。
扉には「乾電池、充電器は売り切れです」と張り紙がしてある。
暗い店内はおにぎりやパン、カップ麺などは売り切れで棚はガラガラ
お菓子の棚に商品が少しあるだけだった。
凄い・・・
TVで見た光景が今現実として目の前にある驚きと、意外と食料備蓄ってしていないのだなぁという驚きが入り乱れた。
まぁおひとり様だとカップ麺が3つあれば3食になるが、4人家族だと1食にもならないものね。
仕方がないのか・・・
道すがら行きは消えていた信号が少しづつ着いているのに気が付いた。
役所付近も信号は復旧しているが相変わらずの道路の混雑
どうやらガソリンスタンドに並ぶ長蛇の列が車の流れを悪くしているよう
ラジオでは役所で携帯の充電が可能との放送している。
ほんとこの時ほどスマホにしてよかったと思ったことはない。
TVも付かない中、スマホなどを持たない高齢者はラジオだけだものね。
車での充電とモバイル充電器でとりあえずスマホの電源は確保してある。
最悪ノートパソコンからUSBでとれるだろう
アパート帰ると当然のことながらまだ電気は来ていなかった。
プロパンなのでガスは大丈夫だったし、水道も止まっていない
明るいうちになんか調理をすればいいのに、なにもする気にならず
ラジオから流れる地震情報を聞いていた。
病院で停電の為にとある病院で幼児の酸素が滞り重体となったとニュースの他は病院事故は入ってこない
入院施設のある病院では非常電源が稼働し、問題が無いよう
父の所へ行こうかと思ったが、病院も大変だろうし、行ったところで私の出来ることはない
何かあれば連絡があるだろうと我慢した。
暗くなってからガスでお湯を沸かし、カップ麺と溶け始めていたアイスを食べた。
暗い中、たった一人でカップラーメンをすすっていると、ふと「とりぱん」の1ページが思い浮かんだ。
暗い室内でとりのさんがひざ掛けにくるまり、じっとしている1コマ
今の自分と重なった。
幸いラジオを聴くことができ、スマホで情報は得れていたから、あの時のとりのさんとは比べ物にならないくらい軽いのだろうけれど、それでも画面から伝わってくる「これからどうなっちゃうんだろう・・・」という雰囲気がそのまま自分に重なっている気がしていた。
「私には少しも壊れていない家があり
家族友人もみんな無事で
ガスも水も食料も温かな布団もある。
なのに
快適な文明生活なんて
うすっぺらい金魚鉢のようなものだと
気づいてしまったことが怖い」
震災を受けた人から見聞きして
解っていたつもりだけれど、あくまでそれは「つもり」だったのだと改めて思い知らされた。
外を見るとだんだんと復旧ているのか電気のついているアパートもあるが、この辺りはまだらしい
とりあえず水で濡らしたタオルで体をふいて
横になりながらラジオを聴いているうちにギュルギュルと変な音
起き上がってあちこち見ると、シュレッダーが動き始めた音だった。
電気が復旧した!!
TVを付けて改めて地震の爪痕を目のあたりにする
時刻は深夜0時をすぎていた
長い長い1日だった。
出社したら、「停電していた時は星空が見たことがないくらいに綺麗だった」という人が居て
夜空を見上げる余裕すら自分には無かったのだと思うと同時にその心のゆとりが羨ましくも思えた。
ダメだね
少し、心に余裕を持たないと自滅してしまうね
閉店しているところも多いが、営業しているところは扉を開いているか、車が停まっているのですぐわかったが、どこもかしこも品切れ。
扉には「乾電池、充電器は売り切れです」と張り紙がしてある。
暗い店内はおにぎりやパン、カップ麺などは売り切れで棚はガラガラ
お菓子の棚に商品が少しあるだけだった。
凄い・・・
TVで見た光景が今現実として目の前にある驚きと、意外と食料備蓄ってしていないのだなぁという驚きが入り乱れた。
まぁおひとり様だとカップ麺が3つあれば3食になるが、4人家族だと1食にもならないものね。
仕方がないのか・・・
道すがら行きは消えていた信号が少しづつ着いているのに気が付いた。
役所付近も信号は復旧しているが相変わらずの道路の混雑
どうやらガソリンスタンドに並ぶ長蛇の列が車の流れを悪くしているよう
ラジオでは役所で携帯の充電が可能との放送している。
ほんとこの時ほどスマホにしてよかったと思ったことはない。
TVも付かない中、スマホなどを持たない高齢者はラジオだけだものね。
車での充電とモバイル充電器でとりあえずスマホの電源は確保してある。
最悪ノートパソコンからUSBでとれるだろう
アパート帰ると当然のことながらまだ電気は来ていなかった。
プロパンなのでガスは大丈夫だったし、水道も止まっていない
明るいうちになんか調理をすればいいのに、なにもする気にならず
ラジオから流れる地震情報を聞いていた。
病院で停電の為にとある病院で幼児の酸素が滞り重体となったとニュースの他は病院事故は入ってこない
入院施設のある病院では非常電源が稼働し、問題が無いよう
父の所へ行こうかと思ったが、病院も大変だろうし、行ったところで私の出来ることはない
何かあれば連絡があるだろうと我慢した。
暗くなってからガスでお湯を沸かし、カップ麺と溶け始めていたアイスを食べた。
暗い中、たった一人でカップラーメンをすすっていると、ふと「とりぱん」の1ページが思い浮かんだ。
暗い室内でとりのさんがひざ掛けにくるまり、じっとしている1コマ
今の自分と重なった。
幸いラジオを聴くことができ、スマホで情報は得れていたから、あの時のとりのさんとは比べ物にならないくらい軽いのだろうけれど、それでも画面から伝わってくる「これからどうなっちゃうんだろう・・・」という雰囲気がそのまま自分に重なっている気がしていた。
「私には少しも壊れていない家があり
家族友人もみんな無事で
ガスも水も食料も温かな布団もある。
なのに
快適な文明生活なんて
うすっぺらい金魚鉢のようなものだと
気づいてしまったことが怖い」
震災を受けた人から見聞きして
解っていたつもりだけれど、あくまでそれは「つもり」だったのだと改めて思い知らされた。
外を見るとだんだんと復旧ているのか電気のついているアパートもあるが、この辺りはまだらしい
とりあえず水で濡らしたタオルで体をふいて
横になりながらラジオを聴いているうちにギュルギュルと変な音
起き上がってあちこち見ると、シュレッダーが動き始めた音だった。
電気が復旧した!!
TVを付けて改めて地震の爪痕を目のあたりにする
時刻は深夜0時をすぎていた
長い長い1日だった。
出社したら、「停電していた時は星空が見たことがないくらいに綺麗だった」という人が居て
夜空を見上げる余裕すら自分には無かったのだと思うと同時にその心のゆとりが羨ましくも思えた。
ダメだね
少し、心に余裕を持たないと自滅してしまうね