すずめ休憩室

日々のこと、好きなこと、飼っていたペットのことなどなど・・・。
気の向くままにつづってみました。

9月6日③

2018年09月12日 | 日々つれづれ
帰り道、せっかくクーラーがあるのだから氷があれば買おうかと思い、コンビニに寄る。

閉店しているところも多いが、営業しているところは扉を開いているか、車が停まっているのですぐわかったが、どこもかしこも品切れ。

扉には「乾電池、充電器は売り切れです」と張り紙がしてある。

暗い店内はおにぎりやパン、カップ麺などは売り切れで棚はガラガラ

お菓子の棚に商品が少しあるだけだった。


凄い・・・


TVで見た光景が今現実として目の前にある驚きと、意外と食料備蓄ってしていないのだなぁという驚きが入り乱れた。

まぁおひとり様だとカップ麺が3つあれば3食になるが、4人家族だと1食にもならないものね。


仕方がないのか・・・


道すがら行きは消えていた信号が少しづつ着いているのに気が付いた。

役所付近も信号は復旧しているが相変わらずの道路の混雑

どうやらガソリンスタンドに並ぶ長蛇の列が車の流れを悪くしているよう


ラジオでは役所で携帯の充電が可能との放送している。


ほんとこの時ほどスマホにしてよかったと思ったことはない。

TVも付かない中、スマホなどを持たない高齢者はラジオだけだものね。

車での充電とモバイル充電器でとりあえずスマホの電源は確保してある。

最悪ノートパソコンからUSBでとれるだろう


アパート帰ると当然のことながらまだ電気は来ていなかった。

プロパンなのでガスは大丈夫だったし、水道も止まっていない

明るいうちになんか調理をすればいいのに、なにもする気にならず

ラジオから流れる地震情報を聞いていた。


病院で停電の為にとある病院で幼児の酸素が滞り重体となったとニュースの他は病院事故は入ってこない

入院施設のある病院では非常電源が稼働し、問題が無いよう

父の所へ行こうかと思ったが、病院も大変だろうし、行ったところで私の出来ることはない

何かあれば連絡があるだろうと我慢した。


暗くなってからガスでお湯を沸かし、カップ麺と溶け始めていたアイスを食べた。


暗い中、たった一人でカップラーメンをすすっていると、ふと「とりぱん」の1ページが思い浮かんだ。


暗い室内でとりのさんがひざ掛けにくるまり、じっとしている1コマ


今の自分と重なった。

幸いラジオを聴くことができ、スマホで情報は得れていたから、あの時のとりのさんとは比べ物にならないくらい軽いのだろうけれど、それでも画面から伝わってくる「これからどうなっちゃうんだろう・・・」という雰囲気がそのまま自分に重なっている気がしていた。


「私には少しも壊れていない家があり

家族友人もみんな無事で

ガスも水も食料も温かな布団もある。

なのに

快適な文明生活なんて

うすっぺらい金魚鉢のようなものだと

気づいてしまったことが怖い」


震災を受けた人から見聞きして

解っていたつもりだけれど、あくまでそれは「つもり」だったのだと改めて思い知らされた。


外を見るとだんだんと復旧ているのか電気のついているアパートもあるが、この辺りはまだらしい

とりあえず水で濡らしたタオルで体をふいて

横になりながらラジオを聴いているうちにギュルギュルと変な音


起き上がってあちこち見ると、シュレッダーが動き始めた音だった。


電気が復旧した!!


TVを付けて改めて地震の爪痕を目のあたりにする

時刻は深夜0時をすぎていた

長い長い1日だった。


出社したら、「停電していた時は星空が見たことがないくらいに綺麗だった」という人が居て

夜空を見上げる余裕すら自分には無かったのだと思うと同時にその心のゆとりが羨ましくも思えた。


ダメだね


少し、心に余裕を持たないと自滅してしまうね



9月6日②

2018年09月11日 | 日々つれづれ
実家は心配していた食器棚も倒れていなかった。

ただ庭の畑は先日の台風の影響で懸念していた通り、トマトの苗は折れて倒れ、終わりかけのささぎは支柱が折れて倒れていた。


実家で使うかも・・・と思い、分散していたが、今は自分がいるところが最優先

懐中電灯と買い置きしていた電池をかき集め、確か手回しラジオがあったはず・・・と探したら、以前東日本大震災の時に作った持ち出しバックの中から出てきた。

大したものは入っていないが、他には替えの下着や生理用品、簡易の洗面用具、軍手、アルミシート、サランラップ(皿に巻いて使うと洗い物が出ない)が入っている。

念のためにクーラーボックスと一緒に車へ積んだ。


静かで真っ青な空


ただ台風の後のせいか暑くてちょっと動いただけで汗だくになる。


少し庭を片付けて裏を見に行くと、裏の息子さんと顔を合わせた。


実はこの息子さんとは殆どしゃべったことがない。

おじさんから「仕事で心と体の病になった」とは聞いていたのだけれど、私が実家で住んでいた時は殆ど引きこもり、訪問時に在宅をしていても出てくることすらなかったからだ。

それでもたまにオカズを作って持って行ったりしていたので、私の事は判るよう

うっかりおじさんと間違えて声をかけてしまったせいで会話することとなった。


初めてしゃべったけれど、かつてない大きな地震という不安が互いを饒舌にさせているのか、30分以上も立ち話

やはりこの辺りではキャリアの種類に関わらず、スマホは圏外になっているらしい

そうこうしているうちにお向かいさんが出てきて、私が見知らぬ男性としゃべっているのをいぶかしんでいる雰囲気がしたので、裏の息子さんである事を教えた。


田舎は良い人たちばかり


だけど、興味本位は町の人たちより強い

それは身に染みて判ってる(苦笑)

自宅待機の中、いつまでも圏外だと何かあった時に困るので早々に実家を後にした



9月6日

2018年09月10日 | 日々つれづれ
9月6日 午前3時

ちょっと前から目が覚めて布団の中でゴロゴロしていた。

すると突然の地震

アパートのせいかちょっとした地震も感じやすくなっているりだけれど、この日は違った

小刻みに縦に揺れる感じがしたと思ったら、あっという間に突き上げるような振動

神棚の榊が転がり、電気蝋燭が落ちた衝撃で点灯してたのを横目で見つつ、布団にくるまっていることしかできなかった。

ガシャンガシャンと鳴り響く音の中、耐え忍んでいたところでやっとの緊急地震速報がなった。

揺れが収まり部屋をみると冷蔵庫の扉が開き、中に入れておいたはずのモノが床に散乱してる。

真っ暗なところを見ると停電しているよう

棚の上の保存容器や調味料入れも同様で粉類が床を汚しているが掃除機も使えない。

そのうち復帰するでしょう・・・と思っていたけれど、続く余震と鳴り続ける緊急地震速報と消防のサイレンとで一睡も出来ず。

東日本大震災や阪神淡路大震災が思い出され、火災などが起きないことを祈るばかりだった。


津波の事はすっかり抜けていた。

明け方「津波の心配はない」と自治体からの避難情報で津波という存在を思い出したくらいだったので、ある意味幸運だった。


そんなこんなしているうちに全道広域で停電という事態がわかり、職場からは自宅待機と言う連絡が入った。


離れていると心配なのが実家

了解を得て、仮眠の後に実家の様子を見に行った。


国道は全て信号が消え、警察官の手信号となっており、スピードを出さないよう慎重に運転する。


道すがら店舗を見るとコンビニやホームセンターなどは駐車場いっぱいの車、車

家電量販店の前には行列が出来ている

ガソリンスタンドも長蛇の列


TVでしか見たことのなかった光景が目の前にあった。


見ているだけで買う事を断念してしまうような長い行列


みな停電が全道的で長引くと知り、買い物に来ているよう

店の外での販売なんて海外から略奪が起きそうだけれと、こういう光景を見ると「日本人で良かった」と思わずにはいられない

明るくなり、スマホを通して物凄い映像が入ってくる。


人的被害が少ないことを願うばかりだった。


幸い、車にはスマホの充電器があり、運転しながら充電は出来たが、いかんせん電波が不安定

4Gが3Gになり、アンテナも1本立つか立たないか
そのうち圏外になってしまった


停電はいつまでなのか・・・


あることが当たり前だった電気がなくなり、漠然とした不安の中、実家へ向かった。