日課のように父の病院に行っていたのが嘘のように会社からまっすくアパートに帰ってくる日々
新しいライフスタイルにも慣れてきたのに、あの日を思い出させるかのような大きな地震
あの日より揺れも小さかったけれど、揺れ始めてから緊急地震速報がけたたましく鳴ったので、震源地はいつものところだと想像できた。
昨年の7月から父の調子が悪くなり、悪くなったといっても、生命体として終わりが近づいている・・・
と宣告されただけで、ただ見守るしかなかったのだけれど
それでもあの地震があった9月にはまだ生きていて、こうしたことがあれば父のところはどうなっているんだろうとやきもきをした。
だけど今は自分の事だけを考えければよい
それはある意味、気楽で
とても寂しいこと
そしてそういう事に気づいてしまう自分
そして揺れの中、やはり思い出したのがあのブラックアウト
冬の北海道でこれが起きれば死活問題
というか、凍死者がでる。
幸い、実家からポータブルストーブを持ってきたし、灯油もあったので、2~3日ならなんとかなりそうと安心していたのだけど、震源地の街ではまたもや断水しているよう。
一度大きな災害に見舞われるとなかなか立ち直れられないのは勿論、こうした余震が弱った心にさらに打撃を与える。
復興住宅も建設され、徐々に元の生活を取り戻されているとは聞いているが、早く皆が元の生活に戻れることを祈るばかり・・・。
新しいライフスタイルにも慣れてきたのに、あの日を思い出させるかのような大きな地震
あの日より揺れも小さかったけれど、揺れ始めてから緊急地震速報がけたたましく鳴ったので、震源地はいつものところだと想像できた。
昨年の7月から父の調子が悪くなり、悪くなったといっても、生命体として終わりが近づいている・・・
と宣告されただけで、ただ見守るしかなかったのだけれど
それでもあの地震があった9月にはまだ生きていて、こうしたことがあれば父のところはどうなっているんだろうとやきもきをした。
だけど今は自分の事だけを考えければよい
それはある意味、気楽で
とても寂しいこと
そしてそういう事に気づいてしまう自分
そして揺れの中、やはり思い出したのがあのブラックアウト
冬の北海道でこれが起きれば死活問題
というか、凍死者がでる。
幸い、実家からポータブルストーブを持ってきたし、灯油もあったので、2~3日ならなんとかなりそうと安心していたのだけど、震源地の街ではまたもや断水しているよう。
一度大きな災害に見舞われるとなかなか立ち直れられないのは勿論、こうした余震が弱った心にさらに打撃を与える。
復興住宅も建設され、徐々に元の生活を取り戻されているとは聞いているが、早く皆が元の生活に戻れることを祈るばかり・・・。