先日東本願寺へお参りした時、チョット立寄った所が、【渉成園】と大原【三千院】。
今宵は、渉成園を載せます。
以下の文は東本願寺HPに記載されているのを載せました。
『渉成園は、真宗大谷派の本山(真宗本廟)の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)ともよばれています。
この地は、もともと平安時代初期(9世紀末)嵯峨天皇の皇子左大臣源融(みなもとのとおる)が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原院苑池(ろくじょうかわらのいんえんち)の遺蹟と伝えられています。その後、1641(寛永18)年、徳川家光によってその遺蹟の一部を含む現在の地が寄進され、さらに、1653(承応2)年、第13代・宣如上人の願いによって石川丈山が作庭したのが渉成園のはじまりです。』
【イロハモミジ】
【ツバキ】
【コクチナシの実】
【クロガネモチ】
歴史のある東本願寺の飛地境内地【渉成園】・・・・趣が充分伝わってくる素晴しいお庭でした。
紅葉のピークが過ぎたばかりのようでしたが、実物植物、特にクロガネモチの赤が印象に残りました。
【By HERAI 】
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今宵は、渉成園を載せます。
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『渉成園は、真宗大谷派の本山(真宗本廟)の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)ともよばれています。
この地は、もともと平安時代初期(9世紀末)嵯峨天皇の皇子左大臣源融(みなもとのとおる)が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原院苑池(ろくじょうかわらのいんえんち)の遺蹟と伝えられています。その後、1641(寛永18)年、徳川家光によってその遺蹟の一部を含む現在の地が寄進され、さらに、1653(承応2)年、第13代・宣如上人の願いによって石川丈山が作庭したのが渉成園のはじまりです。』
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【コクチナシの実】
【クロガネモチ】
歴史のある東本願寺の飛地境内地【渉成園】・・・・趣が充分伝わってくる素晴しいお庭でした。
紅葉のピークが過ぎたばかりのようでしたが、実物植物、特にクロガネモチの赤が印象に残りました。
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