歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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カステラのエネルギー

2013-05-20 03:20:15 | 日常
山法師の寝方に、寄り添い、おのずから咲いていました。
ほたるぶくろの花。



大切にしたい方から、福砂屋の、カステラをいただきました。
ゆっくりいただくつもりであったのに、いただいた日のうち、すでに、家の人が、一本まるまる、平らげてしまいました。
甘いものに目のない人の食べ方で、、、



これは、わたしの分ですっ!!
(もちろん、まだあるので、取ってあります。)



家の人が、中学校の修学旅行で焼いた、清水焼。
もう、けっこう昔……。
男の子らしく、斬刀とありますが、快刀乱麻を断つ……!
というあり方で、あってほしい。

ことばは、言の葉と書きます。

政治家の暴言が目立つ昨今ですが、葉っぱの勢いが強すぎてというよりは、幹から根から、腐れているとしか思われない発言が、多すぎます。

中東で戦火が鎮まりもしないのは、宗教のせいではありません。
宗教のせいなら、東南アジアは、どうでしょう。
世界三大宗教の、るつぼです。
でも、皆仲良く暮らしていますし、経済発展も著しく、かつて植民地にしようとした日本人を、温かく迎えてもくれます。

いまの政治家の外交面での動きが、うまくないのは、平和のためにといいながら、戦争すればよいとおもっているから、うまくないのです。
戦争を避けるのが、しんめんもくであれば、もっと繊細に動けるはず。

誰でも、ちっとばかり、ええこと言えるまでには、勉強すれば、たどり着けるものなんです。
でも、大事なのは、ええこと言える人になれるかどうかにあるのでは、ないんです。

おなじ道理を、繰り返し、繰り返し、言えるか。
倦んでも止めないか。
あきらめずにいられるか。
そして、解き説きしつつ、子らの話を聞けるか……。
意見の異なる相手が、負けといてくれたぶんを、見誤らずに、いられるか。

あれ、自分の仕事のはなしに、なっちゃった。
社会科も、教えています。

道理は、繰り返し説かれなければ、安心をなくします。
それに、地味にでも、説かれたなかの文言が、思い出され、道を間違わずに済むことが、あるとおもうの。

それから、道理とは、道を間違わずに済む、そうしたことわりを言うのであって、誰にでもあるうしろめたさや、欲求をほじくって、それを本音だとか、誰でも分かる、などと、ひらきなおることでは、ありませんね。

あぁ、語ってしまった……カステラのエネルギーで。

繰り返し伝えましょう。
腐れたものから、繰り返し吐き出される、汚染された言葉に、負けないでいてください。

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おのずから咲く

2013-05-20 02:34:38 | 日常
東日本大震災以降、あちこちに、思わぬ草花の自生が目立ちます。
それに、咲く時期の花時計が、かなり狂ったもよう、温暖化の影響もあるかしれませんが、なんかちょっと、あれから、調子が違うんよねぇ、、、な。



近場の、あまり手入れのよいとはいえない花壇に、あやめがにょっきり。

ここは、土がよいみたいで、昼咲き月見草が、こんなに!



つまり、お花も、少しでも豊かな場所、生き残れる場所を求めているのだ。
そして、精一杯、生存の証を、立てているのだ。

ここの花壇は、いつも前を通るのですが、もう何年も前、ここに咲いてるお花のほうから、話しかけてきたことがありました。
そのときわたしは、進めてよいものかどうか、悩みがあったんです。

「ニセモノですよ!」

ぎょっとしました。
だって、お花に目を遣れば、お花のなかから心にまっすぐ、そんな声が、響き聞こえたのですから。

人を、見誤ってしまったことが、あって……。
見誤ったのは、わたし自身もまた、偽物だったからでしょう。
その頃のわたしの歌は、荒んで、ほとんど歌集に入っていません。


……あぁ、お花のコロボックルのいうことを、聞いておけばよかったなぁ。


そのとき月鞠の復刊を決意し、その年のうちに、運びあげることができました。
ひとえに愚かなために、紆余曲折のあるなか、お励ましに、感謝しております。

わたしはずっと、コロボックルの声のようなものは、自分は日頃耳にするのに、非科学的とおもってて、口にするすら、はばかられた。
でも、それ以来、コロボックルの声に、耳を傾けないのはダメって、おもっているの。

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