おっかさま所属の俳句誌、右脳俳句フォーラム・月刊ザクロの、購読会員になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/44/9228acc1d0774f8215cbac6d7ca970ec.jpg)
5月号表紙。
全8p、ホチキス綴じ。
代表は稲垣鷹人さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3d/71dafbaa753e66175713df9f8647c498.jpg)
流し雛ふと振り向いて去りにけり
岡本とゝ女
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/ab/3c98bbc90434bf6f0385b6dca1a68f79.jpg)
春泥を踏み若者の自己主張
稲垣鷹人
大空へ伸びて全き木の芽かな
松木千樹
千樹さんは、篠山鳳鳴高校のご出身。
おっかさまは同級生……でも、千樹さんは、俳句では大先輩。
おっかさまは、千樹さんから、「もっと勉強を」というお手紙を、これまでにも、いただいております。
千樹さんは、馬場あき子さんの「かりん」に、もう亡くなられましたが、義兄弟がおられました。
わたしはその、義兄弟の方と、「かりん」の集まりに呼んでいただいた後、二次会にて盃を、傾けさせていただいたことがあります。
それも、十年も前のこととなってしまい、懐かしく思い出されます。
さて、5月号は、こちらの方の作品に、舌を巻きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/88/edcb02db022e6612192baab01aecb0ef.jpg)
白き蝶ひらりヨットに変はりけり
鈴木杏
折り紙でしょうか。
折り紙と言わずに書けば、美しい幻視の世界そのもの。
折り紙でも、折り紙とは、言わないのよ。
その一方、
濠一面の落花かきわけ行くボート
「花筏」という季語があります。
俳人の作品世界は、季語とどのように向き合うか、季語との距離の取り方に、アイデンティティのほとんどが示されるといって、過言ではないでしょう。
季語たる「花筏」を知らなければ、凡作と見えるでしょうが、これは、「季語には寄りかかりません」という句でしょう。
さて、母の句。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/22/de4dca252e275c13260c720e1ed5fd8f.jpg)
おっかさまの句が、たいてい無印なのは、季語とどのように向き合うか、まだそこへ、勉強が至らないからでありましょう。
若い時間は、無傷に、身勝手に過ぎてゆくもの。
とゝ女さんが、「4月号巻頭者 雑詠鑑賞」に、投句・句会の世話役、舞九さんの句をひいて、お書きです。
「一病を笑ひ飛ばして花の下
吉松舞九
この齢になっては、無病なんてあり得ない。」
人それぞれ、病を得て、みずからの病は笑い飛ばしつつ、ながれゆく雛のごとく、ときに、見返りの菩薩ともなられるのではないでしょうか。
また近いうちに、感想を書かせてくださいませ。
皆様のご健詠、しかとお祈りしております。
辰巳泰子拝
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5月号表紙。
全8p、ホチキス綴じ。
代表は稲垣鷹人さん。
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流し雛ふと振り向いて去りにけり
岡本とゝ女
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春泥を踏み若者の自己主張
稲垣鷹人
大空へ伸びて全き木の芽かな
松木千樹
千樹さんは、篠山鳳鳴高校のご出身。
おっかさまは同級生……でも、千樹さんは、俳句では大先輩。
おっかさまは、千樹さんから、「もっと勉強を」というお手紙を、これまでにも、いただいております。
千樹さんは、馬場あき子さんの「かりん」に、もう亡くなられましたが、義兄弟がおられました。
わたしはその、義兄弟の方と、「かりん」の集まりに呼んでいただいた後、二次会にて盃を、傾けさせていただいたことがあります。
それも、十年も前のこととなってしまい、懐かしく思い出されます。
さて、5月号は、こちらの方の作品に、舌を巻きました。
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白き蝶ひらりヨットに変はりけり
鈴木杏
折り紙でしょうか。
折り紙と言わずに書けば、美しい幻視の世界そのもの。
折り紙でも、折り紙とは、言わないのよ。
その一方、
濠一面の落花かきわけ行くボート
「花筏」という季語があります。
俳人の作品世界は、季語とどのように向き合うか、季語との距離の取り方に、アイデンティティのほとんどが示されるといって、過言ではないでしょう。
季語たる「花筏」を知らなければ、凡作と見えるでしょうが、これは、「季語には寄りかかりません」という句でしょう。
さて、母の句。
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おっかさまの句が、たいてい無印なのは、季語とどのように向き合うか、まだそこへ、勉強が至らないからでありましょう。
若い時間は、無傷に、身勝手に過ぎてゆくもの。
とゝ女さんが、「4月号巻頭者 雑詠鑑賞」に、投句・句会の世話役、舞九さんの句をひいて、お書きです。
「一病を笑ひ飛ばして花の下
吉松舞九
この齢になっては、無病なんてあり得ない。」
人それぞれ、病を得て、みずからの病は笑い飛ばしつつ、ながれゆく雛のごとく、ときに、見返りの菩薩ともなられるのではないでしょうか。
また近いうちに、感想を書かせてくださいませ。
皆様のご健詠、しかとお祈りしております。
辰巳泰子拝