きのうわたしは、「星の王子さま」を読んで、とっても感動したのですけど、きょうには、違った感想を持ちました。
子供のこころで感動しましたが、おとなのこころで、感想を書きます。
まず、王様、呑み助、うぬぼれや、実業家、点燈夫、地理学者、いろんな魂の人が、世の中にあるとしても、にんげんは、単一の切り口で語れないということです。
王子さまは、友達になりたいのは、点燈夫だけと言いましたが、世の中には、うぬぼれやの点燈夫もいれば、呑み助の点燈夫もいるということです。
そして、キツネの、「大切なものは目に見えない」という名言も、「目に見えるものはたいして大切ではない」という意味では、決してないということです。
目に見えない大切なものを、守れるのは、目に見えるものだけなのです。
わたしたちは、愛を、愛だけで、守れはしないのです。
得点や、お値段や、既成事実の件数、およそ数字で測りとれるものによってしか、守るべきものが、どれほど大切なものであるか、他者に訴えるすべを持たないのであります。
「大切なものは目に見えない」、確かにそうですが、後世に、伝えていくためには、目に見える形が、必要です。
そして、わたしは、ただ一輪のばらを、喧嘩したからといって、ほったらかしにして、自分の星を離れたりはすまい。
ありふれた日々だからこそ、愛しています。
喧嘩しては、水を遣る、こんな毎日を、続けていけることこそが、幸福なのだ。
愛しているんです。
時間を、捧げましょう。
捧げられる行いも、財産もないなら、捧げものは、時間しかない。
大切なひとを、想う時間、かかずらう手数、空費ではない。
そして、歌という、形にしましょう。
そして、歌という形のために、目に見えない捧げもののほうを、削り取ることは、すまい。
写真は、そこらへんに咲いてる、ひるがおだけど、綺麗に撮らせてくれました。
山法師の根方に、咲いていました。
山法師の写真も、素敵に撮れたんですよ。
それは、またこんど……。