図形曼荼羅好きな方 (^O^)/

ラピスラズリの蒼とトルコブルーの重なりに魅かれます。色と形は何かを現わすような気がします。

大いなる海 心の底を開発

2012-04-19 14:41:54 | 日記

出居清太郎氏は昭和44年昭和新山のみ前にて海底開発誓願碑を建設すると大きな声を発声されたそうでず。
碑文の由来は、昭和新山は日の丸であり即日月である。
昭和新山を教科書として絶対将来も戦争をしてはいかん。
命の親はそう諭しているのであります。
昭和新山は北海道に生まれましたが、全世界の人々に教えを示している。
それは大宇宙が無から有を生み出だすご苦労を象徴している。
昭和3年に将来太平洋戦争が始まると、日本国民が地獄に落ち入る
と命の親からのお諭しを内閣書記官鳩山一郎先生を通じて田中義一総理に謹告。
治安維持法違反で投獄されることとなります。
十五年前に敗戦を予言したいのちの親から進むべき道として
海の底を開発し、心の底を開発し、世界平和を実現する。
それを象徴しているのが昭和新山である。
実際に出居清太郎氏は海底のヴィジョンや警告を言葉にしています。
「火が燃える。火が燃える。熱の火が燃える。海の底に建築ができて人が住んでいる。」
「何のかも裸になれ、天借を払え。大恩に報いよ。総理大臣以下国民よ聞け。天借を払わざれば行き詰まるぞ」
「どこもかしこも大掃除か。皆、危ない道をあゆんでいるぞ。
今にひっくり返るぞ。
川(目先の損得勘定)に沿わないで水(天地自然の法則)に沿っていけ。
川に沿うから川に落ちるんだ。天地自然に沿っていけ。
神の子の自覚をせい、借りものを悟れ」

本土決戦を止め平和的終戦へ導いた岡本天明氏の心を洗濯してまことの神を中心に持つことを説く日月神示は出居清太郎氏と共通のものを感じます。
日月神示のなかにいのちの親に触れている部分があります。

ひふみ神示 第01巻  上つ巻
第二帖 (二)
 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに
第二十七帖 (二七)
 何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。元の仕組は富士(二二)ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。
ひふみ神示 第18巻 光の巻
第八帖 (四〇四)
 何によらず不足ありたら、神の前に来て不足申して、心からりと晴らされよ、どんな事でも聞くだけは聞いてやるぞ、不足あると曇り出るぞ、曇り出ると、ミタマ曇るからミタマ苦しくなりて天地曇るから遠慮いらん、この方に不足申せよ、この方 親であるから、不足一応は聞いてやるぞ。気晴らしてカラリとなって天地に働けよ、心の不二晴れるぞ、はじめの岩戸開けるぞ。早のみ込み大怪我の元、じっくりと繰り返し繰り返し神示よめよ、神示 肚の肚に入れよ、神示が元ざぞ、今度は昔からの苦労のかたまり、いき魂(たま)でないと御用むつかしいぞ。世のたとへ出て来るぞ。神が人の口使ふて云はせてあるのぢゃぞ。神国は神力受けねば立ちては行けんぞ、神なくして神力ないぞ、神なくなれば丸潰れざぞ

日月神示の中に「三千年前にかえすぞ」とは、
神が暮らしの中心であった時代にかえすということなのでしょう。
それは、天地自然を大切に想うことからはじまるのでしょう。

海底開発碑文には、
地球表面の七割を越える海洋は、富士山の高さに相当する平均の深さをもつ海底とともに悠久なる資源の宝庫である。
昭和新山のみ前に立った私は、新山すなわち神山なりと大悟し

人のこの世の争いを 浄化するには真心で
親善交流たゆみなく 海底開発努力せん

との天啓をうけた。海は母であり、無条件の慈愛の象徴である。
神山の生成は母体から神の子の産まれるいずるごとくである。
と刻まれています。
コメント
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