天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

言行不一致

2016-10-03 02:57:48 | 時事
 30日の衆院予算委員会で、稲田朋美防衛相が民進党の辻元氏に、今年8月に「靖国神社参拝を回避するため」稲田氏がジブチを訪問し、15日の全国戦没者追悼式も欠席したと指摘。
「あなたはいつも、国のために命をささげた方に感謝しないといけないと言っている。言行不一致ではないか」と攻め立てた。


稲田氏は「本当に残念なことに、出席できなかったということは、ご指摘として受け止めたい」と涙声で語った、とされている。
安倍首相風に言えば「痛恨の極み」であったのだろう。


8月15日靖国神社では、英霊に「ありがとう」の感謝の言葉を唱和し、純白の鳩を大空に放つ
「日本の声 ― 英霊に感謝する集い」が行われる。
春秋の例大祭、みたままつりなどの祭事と比較してもあまり知られていない行事だ。


一方全国戦没者追悼式は
1952年(昭和27年)4月8日の閣議決定により、同年5月2日に

第1回昭和天皇・香淳皇后の臨席のもと新宿御苑でで行われた。

第2回は1959年(昭和34年)3月28日に変則的に実施。

第3回は1963年(昭和38年)に日比谷公会堂で
8月15日に。

第4回は1964年(昭和39年)には靖国神社で8月15日に開催。

第5回は1965年(昭和40年)から日本武道館にて8月15日に行われるようになり、現在に至っている。

1982年(昭和57年) 8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることを閣議決定した。

要するに、8月15日終戦の日を日本政府としては明確に色分けすることで日本武道館にウェイトを置いてきた。

つまり靖国通りを挟んで日本武道館を「平和を祈念する」、靖国神社を「英霊に感謝する」とすることでバランスさせようとしてきた。

この過程において生じたことが靖国問題であり、追悼式の会場が昭和40年まで定まっていない事からも流動的で試行の錯誤がうかがえる。

靖国と武道館の違いを戦死者と一般戦災者との観点から見てしまうと本質を見誤ってしまう。
つまり、最も重要な相違点は宗教色にある。

明らかに戦没者追悼式は宗教色を消した式典であり、日本国憲法20条の政教分離原則を意識したものとなっている。


日本国憲法9条では

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

とある。

戦力の解釈だけでもいくつも説があり、自衛隊を違憲と判断する政党すらある。このような日本国憲法下で自衛隊を違憲とすることの方がある種の言行不一致であると言えよう。

辻本氏の追求は単に解釈上の矛盾を視野においた言いがかりであり、稲田氏に問題があるのは防衛大臣としての確定的判断を敢えて避けたことのみであろう。

つまり、稲田防衛大臣は戦没者追悼式に出席しようがしまいが、靖国参拝すれば問題化されるのであり、寧ろ全てしない方策を選択したのである。